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●ゴタク 1  面倒な人は飛ばしてお好きなページへどうぞ

 

ぼくは、海ナシ県の浦和で育ったせいか、恥ずかしながら泳げないのに、なぜか仕事は、海へ海へと足が向いてしまう。味探検と同じように、海に暮らす漁師さんから、魚のとり方や、全国各地の沿岸漁村に伝わる漁具の話を聞いたり、市場に揚がる魚介類を見たり、食べたりするのが無常の喜びになっています。

 いろいろな出会いがありました。福井県の若狭湾でもいちばん京都府よりの高浜の漁師さん貝井春治郎さんは漁師で、県内画檀でもリーダー格の画家でもあります。豪雪の日の出会いがもとで、何十回とお話を伺った話が、『若狭の漁師四季の魚ばなし』(草思社刊)という貝井さんからの聞き書き集となりました。そのとき1日1枚日記がわりに絵でその日の出来事を書いてくださいねとお願いした約束を、自分も勉強になるからと、本ができてからも毎日1枚スケッチブックに絵日誌として描き続けています。

 本ができて二年ぶりにこの間お会いしたら、「こんなにたまりましたよ」と見せていただきました。貝井春治郎ギャラリーをインターネットで開きましょうと約束して、できあがった(りつつある)のが、「若狭の漁師春治郎美術館」です。

 ぼくの下手な文章や記録より、若狭の浜に暮らす貝井さんのスケッチ1枚が、海や漁について、みなさんに語りかけるものがたくさんあるだろうと思います。これからも貝井さんから送っていただいたものを、載せていくつもりです。

 

ぼくのゴタク 2

 ところで、このページを御覧になった海や魚がだい好きなみなさん。「海は誰のものだろう?」なんていうことを考えたことがありますか。

 海が好きな人の中には、スキンダイビングや、魚釣り好きの方もたくさんいると思います。もう30年近く、各地の海や漁村を歩いてきて、この間の海沿いのムラの環境の変化には、悲しい気持ちになります。しかし、ぼくは、信じていることがあります。それは、漁業や漁村がしっかりとその地域にあって、漁師さんが経営は苦しくとも、ちゃんと暮らし続けているところは、その回りで生きているぼくたちも暮らしやすい地域になっている、ということです。まあ一種のヒポテシス(仮説)ですが、まんざらでもないという確信に近いものです。

 漁業、漁村、いいかえれば漁師さんがいなくなった浜、港、総じて海なんか、どこが面白いのか、という自問自答のテーマであります。自分だけ楽しければいいという風潮をぼくは疑問に思います。これは味探検をしていても感じているところでして、商店街が活発な地域、おいしい野菜を作りつづけているお百姓さんが近くにいて直売場なんかがある地域、裏の細路地に花々がきれいに咲いている迷路のような下町。みんな人が有機的にからまりあって生きています。こんなところには、どきどきするドラマがあったりするものです。都会も、いなかも関係なくぶらりと歩いていると、ふと人が声をかけて来たり、自分も声をかけてみたくなったりする、どこもそんなマチやムラであったらいいなあと思います。

 このヒポテシスを考えてみようというのが「海って誰のもの?」のページです。山って誰のもの、川って誰のもの、雑木林って、河川敷って、……国って、政府って、町って、地球って、……、なんでも当てはめられる、ぼくの思考と行動の原点です。イデオロギーの行き詰まりの裏には、「所有」ということの限界性や、どこからが「共有」の世界に入りこんでいくのかという、ボーダレスな世界、考え方への転換、あるいは発見が起こっているのではないでしょうか。

 ぼくが、海は誰のもの?ということから「漁業権」という所有でも、共有でもない約束事によってできている世界のことを考えてみたいと、かく思っておるのは、こんなわけです。法律の専門家でも、学者でもありませんが、「法」というよりも、とりわけ昔からその地域に暮らしつづけてきた人たちが作り上げてきた約束事の「慣習」の世界と、自然がなければ暮らしがなりたたない農山漁村のがんばっている存在に、現代のこの息苦しい閉塞感を突き破るカギが潜んでいるのではないかと思います。

 「慣習」なんて古臭いものというなかれ。今、ぼくたちが生き続けている社会のどこかしこで、新しい決まりごとが積み重ねられて、現代の新しい慣習として常に育っているのです。古いことと、新しいこととのぶつかり合いや折り合いによって、いまのぼくらの暮らしが成り立っています。「新しき漁村(海のムラ)」と「古漬け状態の都会」がおりなすいろいろな出来事についても、メモのようなエッセイのようなかたちで載せていくつもりです。

 井の中のカワズ状態ですから、ぜひ、感心を持たれた方がいたら、「まなしんぶん」あてメールをお寄せください。忌憚ないご意見をお待ちしています。  


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