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雑魚古典テキスト 003

屋代弘賢著 「古今要覧稿」第六抜粋

 

 

テキスト化に当たっては次の修正を入力者によりおこなった:原則現代文字表記に直し、此→「此れ」ないし「此の」の送り仮名を加えた。句読点は、適宜加えた。引用書名には「食療正要」のように「○×○×」になおした。ルビは、所定箇所に続けて、鮎魚(ナマヅ)とした。 割注は、「性魯鈍にしてはね跳る事まれなりと{栗本瑞仙院説}いへるは」と、チュウカッコ{○×○×}でくくった。

もくじ:

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和名・一次名称・俗称別引用文献・参考文献引用文中の古書名注引用文中の人名注編者凡例

真魚真名字典箋注倭名類聚抄

 

明治40年発行 国書刊行会編集兼発行

 

古今要覧稿第六 巻第五百五十八

 

  ●魚介部

 

  からかこ  ぎゞう かじか [罔]魚   関連リンク:箋注倭名類聚抄:〔53〕[イ]

からかこ、一名からかき、一名ぎゞ、一名ぎゞう、一名ぎはち、一名かはらばち、一名かばち、一名ぎんぎ、一名さほぎぎ、一名うしぎゞ、一名しんばち、一名とんぼぎゞ、一名かはをこぜ、一名かじか、は、漢名を[罔]魚、一名黄顙魚、一名[央][L]、一名[央/皿][絲]魚、一名昂思、一名黄[央]、一名黄[L]、一名剛鰓魚、一名[央]魚、一名[央]顙といふ。此の魚、小なるは七八分より二三寸に至り、大なるは六七寸より一尺ばかりに過ぎず。其の小なるは色黒くして、しまはぜの如く、背に油色なる縦道あり。また、處によりては純黒にして、縦道なきもあり。大なるは全身正黄色にして、横に淡黒の斑文あり{湖中産物図説}。また、背淡黄黒色にて黒斑鮎あるも多し{本草綱目啓蒙}、或は全身はさらなり。すべての鬐及び尾に至るまで灰色なるもありて{湖中産物図説}、ともに其の状頗る鮎魚と一様なりといへとも、このうをは、いずれも、両腮下、及び脊上の鬐に各鈎刺ありて、人を螫せば痛む事甚だしきを異なりとし、また、鮎魚は上唇及び頷下の左右に一條の鬚ありて、すべて四條なりといへ共、これは上唇の鬚左右に二條相並びて、口吻に近きは太く、それにならびたるは細く短かく、頷下にあるもまたこれと一様にして、すべて八條なるを異なりとし、また、鮎魚は肝下よりして尾先の半に至るまで、たゞ一條の鬐つらなりて、それにむかひし腰のかたに鬐なしといへども、此のうをは、尾の下に近づきて、上下相対する鬐ありて短かく、また、鮎魚は胸より腹へかけて、その色白しといへども、これは胸復ともに黄褐色なるを異なりとす。また、近江国琵琶湖の方言に、あかざといひ、余吾湖の方言に、あからといふものあり。其の状首扁くして腮大に張り、腹大に垂れて、大に口闊く、鬚左右に生じ、腮下にも一條の鬚ありて、惣身鱗なく、尾は飯匕の如く頭背共に紫赤色、腹は朱色、尾鰭共に褐色にして、大さ三四寸までのものあり。其[而]は緑豆の大さにて、色は黄褐なり。これも刺ありて人を螫せば痛み最甚し。此れすなわち、「大和本草」に載る、所西京、嵯峨川にて、みこうをといふものなり{湖中産物図説}。その一名を、はちふり、一名あかりご、一名はちうを、一名はつちやう、一名さしぎゞ、一名てんぎり、一名みこ女郎といふ。また、越前国の方言に、しやでといへるは、これ海産のぎゞうなり。その一名をうみぎゞ、或はぐゞともいへり。形は河産に異なちず、ただ白黒の竪條ありて、長さ三寸許と{本草綱目啓蒙}いへども、今越前敦賀にて、うみぎゞ、また、しやでと称するは、色淡黄黒にして淡黒斑あり、長さ一二尺或は三尺ばかりのものを云う{湖中産物図説}。また、「食療正要」には、海産のうをも海中に産するよし、既に「大和本草」に見えたれば、海産にもぎゞの種類多き事はしられたり。また、案に京都三條修の人の云う、こりは賀茂川の産なれども、別に一種俗に、こりもちといふものあり。これは泥川にのみ居て、賀茂川などの石川にはいとまれなるものなり。泥鰌うなぎなどに交じりたる物にて、白川及びみぞろか池のおち口などに多し。其の形は、なまづ岐々などに似たり。岐々は頭平かにして口闊く、脊に鬐ありて、口の鬚多し。こりもちは、頭まどかにして口せばく、脊に鬐なく、口に鬚なし。此の魚小さきは一二寸、大なるは四五寸ばかり、その色黒くして横に茶色の斑文あり。また、腮下の鰭に圓き硬刺あり。それにて人を螫せばいたむ事甚し。其の肉よく肥て色ことに白し。塩焼にしてこれを食するに味あしからず。是れを捕て物に入をく時はぎうぎうと鳴なり。水中にてはいまだその声をきかずといへり。憶にこれ全く黄顙魚の一種なり。蓋し「和歌まさな草」に、「源氏物語」を引きて、いしぶしは俗にいふ、ごりもつなりといへるは、すなわち、このこりもちの事にてもあるべきにや。
○「和名類聚鈔」「崔禹錫食經」を引きて云う。「[罔]…略…而頬著鉤者也」{案に本草和名に引しには、鉤の上に劔字あり。「東雅」云う。[罔]字詳ならず。和名鈔注に「與罔同」とあれば、或は倍字なりけんもしらず云々。}
○「本朝食鑑」云う。「岐々 生于渓澗田水間状類加志加魚{案に野必大のいはゆるかじかは、即ち岐々の細小なるものをさしていふ。}而有鬚…中略…痕多食則害人」
○「大和本草」云う。「[央/皿][絲]魚處々山中渓河ニアリ…中略…黄顙魚コレ[央/皿][絲]魚ト同物異名ナルベシ。」
○「和漢三才図会」云う。「[央/皿][絲]魚、俗云岐々…中略…暗握之手自中刺也」
○「本草正偽」云う。「黄顙魚キゝ。信州濃州ノ溪間ニアリ。赤黒ノ二種アリ。赤ヲアカサス、黒ヲ黒サスト云。鬐人ヲ螫ス、甚痛ニヨツテ名ヅク。長三四寸、鮧魚ノ子ト混ズ。北ニハ長サ尺餘ニ至ルト云」
○「諸国里仁談」云う。「出羽国鳥海山の麓川の黄顙魚は、皆一眼也。鎌倉権五郎、鳥海彌三郎と戦ひ、右の眼を射る荅の矢を放ちて又これを射る。その鏃を抜き此川に至りて目をあらふ。此縁に仍て一眼也。」{案に黄顙魚をかじかといひしは、蓋し此の川の方言なり。然るを本朝食鑑及び和漢三才図会にも尋常のかじかの漢名を黄顙魚とせしは、ふるくより此の方言を伝え聞きて遂に混同せしなるべし。}
○「本草綱目啓蒙」云う。黄顙魚溪間及ビ江湖中ニ生ズ…中略…小兒ニ食シム疳ヲ治スト云。」
○「湖中産物図説」云う。黄顙魚四季倶ニ甚多シ。其ノ状鮧魚ニ似テ頭扁大腹垂レ眼白ク口闊ク二條ノ鬚左右倶ニアリ。腮下ニモ一條鬚アリ。惣身鱗ナク正黄ニシテ淡黒斑文アリ。脊ノ鰭脇腹ノ鰭昔刺アリテヨク人ノ手ヲ螫ス。其ノ痛ミ甚シ。尾ハ二岐ナリ。稀ニ三岐ノ物モアリ。此ノ魚頭骨硬クシテ食フベカラズ。時珍ノ説ノ如ク其ノ声軋々ト云ガ如シ。此ノ魚ヨク小魚ヲ食フ。最モ口中細歯アリトイへドモ、凡小魚ヲ平呑ス故ニ腹中ニ入シモノニ其ノ状全キ小魚ヲ宿滞スルモノ多シ。此ノ魚ノ大サ小ナル物ハ七八分、大ナルモノハ五六寸、又尺許ナル物多シ。一種惣身頭脊腹鰭ニ至ル迄灰色ノ物アリ。眼中モ灰色其ノ餘異ナルコトナシ。」
○「本草綱目」云う。「黄顙無鱗魚也。…中略…性最難死」
○「江陰縣志」云う。「黄顙魚似鮎而小背黄腹…中略…有力解飛者」

  ○詩
医林集要
  黄顙魚 略

…以下略。
 


 

古今要覧稿第六 巻第五百五十九:832〜839頁

 

:[イ]=[頤−頁]

●魚介部

いしふし ごり [イ]    関連リンク:箋注倭名類聚抄:〔53〕[イ]

いしふし、一名ふし、一名ごり、一名ごす、一名ごろ、一名ごりもつ、一名あぶらはぜ、は漢名を[イ]といふ。今山城の賀茂川に産するものは、その形だぼはぜに似て、小なるは、一寸 餘、大なるは二寸許、口の状だぼはぜよりも少し長く、頭より尾に至るまで黒白の細斑點相まじりて腹の色白く、すべての圓く、尾もまた圓し。此 の種は大和本草に、いはゆるごりに二種あり、一種は腹下にまるき羈鬐ありて石につく、これ眞なりといへるものにて、上文にいはゆる[イ]也。また一種江戸の神田川に生じて、その頭頗る鮎魚(ナマヅ)に似て、小にして扁たく、身圓く、両眼の間広く、口もまた濶くして、下唇は上唇よりも少しく出て、全身に黒白の斑文及び細鱗ありて、胸の鬐前種と相似てやゝ大なるものあり。此れ即ち益部方物略記に、いはゆる石魚(セキヘツキヨ)也。此の種は、食療正要にいはゆる、ごりの状牛尾魚(コチ)に似たりといひ、山海名産図会に図する所の、いしふしの細鱗ありて、斑文多きものもまたこれと同種なるべし。又一種小石川のねこまたといふ所に小溝あり。その流水中にて、たまたま、さでにてすくひ得しは、其の状前種と一様にしてたゞ尾の先圓からざるを異なりとす。又脊の鬐黒くして、そのもとに白き二つの星鮎あり。すべての鬐及び尾に至るまでも、その先かば色にして、腹の色は紫なり。又口の内濶くして舌あり。性魯鈍にしてはね跳る事まれなりと{栗本瑞仙院説}いへるはその胸の鬐また圓きものなれば、此れ即ち前種の、たゞその色を異にせしものにして前種にはあらず。又加賀の浅野川に産するものは、その形前種と相似て、背淡黄黒色にして横斑文ありて、又あかみを帯たる小星點多し。その大きさ四五寸許りなり。これを方言に、のめさ、といひ又その国の泥川に産するは状も色も同くして鬚多し。これを、とうしやこ、といふといへり。此の種は蓋し予家に蔵する所の写真の図あり{これ志村知孝が写し置くところ也}。甞て其の中のごり類に状だぼはぜに似て、細鱗ありて、口辺極めて細鬚多きものあり。其産地は忘れたれども、これとまさしく一物にして、また和漢三才図会に、いしふし、は、状はぜに似て頭大きく、尾細く、鬚あり。また細鱗ありてなきがごとしといへるもこれと同種なるべし。又一種近江の琵琶湖に産するものは、その伏鯔魚(ナヨシ)の頭に似て圓くして扁たく、惣身無鱗にして灰色に黒黄を帯て朱色の細點あり。眼少さく口濶く、尾に岐なく、身と同色脊の鬐、脇の鬐及び腹下の鬐もともに同色にして、状団扇に似たり。其腋下の鬐を以て水底に沈み、石上に伏す故に、いしふし、と名づく。四時倶にあり。此の魚の頭は伏し、抱石魚(ガンブツ)の頭は仰くと{湖中産物図説}いへるは即ち加賀国に産するものとその形色ならびに相似たり。扨ていしぶしは諸国に多く産するもの也といへ共、古より山城の加茂川に産するものを名産とす。故に源氏物語に、ちかき川のいしぶしやうのもの、といひし。ちかき川は、即ち賀茂川也と河海抄にみえたり。今も下賀茂糺の森の茶屋にて此のものゝ一二寸なるを白味噌にて調し、ごり汁と名付てうる也。その汁にてうしてうるは、すべてその状だぼはぜに似て小にして黒自の斑鮎あるもの也といへども、食療正要には味噌汁にて煮食ふものは、かしら鮎(ナマヅ)に似て扁たきもの也といへり。然れば源氏物語には、いしぶしやうの物とあれども、うつぼ物語に、いしぶしをてうぜさせ給ひし、とあるは此の二種のうちいづれの物にてかありけん。今詳ならず。

和名類聚鈔{龍魚類}引崔禹錫食經云[イ]…中略…石間者也{岡村尚謙日本草和名に、[イ]を[追]に作り、沈を沈に作れるは共にその字の壊れたるなり。○又按に崔氏食経は早くより西土に絶てなかりし故に、證類本草已下諸家本草に至りても、[イ]魚の名を載ゼず、然るを食物本草にのみ崔氏食経の名ありといへ共、ただ其の名のみを伝へしは遺憾なリ。又本朝食鑑に唐崔禹錫者崔融之子開元中ニ書舎人也、源刺史所載鯛[生]蕗骨蓬山葵之類本邦今古所賞而諸家本草中未言、惜乎禹錫食経今則亡矣焦ъo籍志有崔氏食経十巻者即是也ともみえたり。}

亭子院御集云。いしぶしやうの物御前にて調じ参らす云々

うつぼ物語{国ゆづり中}云。とりあつむるいをどもえらせたまふあゆ一籠はへ一籠にいしぶしこぶな入させあらまきなとそへさげておとゞの御前に人々めしててうぜさせ給ふ云々

源氏物語{常夏巻}云。いとあつき日ひんがしのつりどのにいで給ひてすゞみ給ふ云々、志たしき殿上人あまたさぶらひにし川よりたてまつるあゆちかき川のいしぶしやうの物おまへにて調じ参らす

和漢三才図会云。石斑魚俗云石伏也状似彈塗魚而頭大尾細有鬚有硬鬐有細鱗如無其背斑文浅黒色腹白大者三四寸常伏石間故称石伏

大和本草云。ゴリ二種アリ。一種腹下ニマルキヒレアリ。其ノヒレノ平ナル所アリテ石ニ付ク、是レ真ノ「ゴリ」也。膩多シ、羹ト為シ味ヨシ、形ハ杜父魚ニ同シテ小ナリ、但背ノ文黒白マジレリ、又イシブシト名ヅク。賀茂川ニ多シ、漁人トリヤウアリテ多クトル、一種ヒレ右ノ如クナラズ、膩ナシ、味ヲトレリ、然ドモ是レ亦タ羹トシテヨシ、賀茂川ニ多シ。筑紫ニテ「ウロヽコ」ト云物也。

{案に本草啓蒙にうろゝこはまたをろゝこともいひて即ち江戸にていふ、だぼはぜなりといへり。然りといへ共だぼはぜは胸の鬐またごりと一様なるものなれば、それを以てひれ右の如くならずとはいふべからず。志からば日東魚譜に[聚]魚(和品)釈名烏路々子(同上)また、かはぜともありて、形[イ]魚ニ似ル、但腹下円翅無ク、耳長僅寸不魚也、故名、味[イ]魚ニ及バズ、気味、主治[イ]魚ト相違ヘズ也といへるものにてもあるべきにや、然りといへ共、[イ]魚ニ似テ腹下ニ円翅無キノミ、といへるものをさして、またひれ右のごとくらずとはいふべからざれば、もしくは大和本草のもと書やうのあしきにてもあるべきにや、又湖中産物図説には我州に、うるりこといふ小魚あり、其の状五六分より一寸許りに至る、頭扁たく、眼大きく、口濶く総身灰色にうるみて、細小の簿墨の斑ありて粘滑なり、その色によりて、うるりこと呼ぶといふ。大和本草に、うろゝこといひしは、此のうろりこ成べしともいへるは蓋し日東魚譜にいはゆる[聚]魚とおなじものなるべし。

日東魚譜云石伏、水中石間ニ生ジ石ニ著キテ躍リ浮遊セズ、故ニ名、京師吾利ト呼ビ、開東油[發](アブラハゼ)ト呼ブ。形河鹿ニ似テ黒色、気味甘温、無毒。

「食療正要」、「方物略記」ヲ引キ云、石鱉魚状[央][軋(車→魚)](ギヽウ)ニ似テ小、上春時ニ石間ヲ出デ、庖人取リ奇味ト為ス、又云、[取]鱗幺質本俎ニ登ラズ。以味見録雖細猶捕達日源語名曰衣矢沸矢俗名吾里渓澗中ニ生ジ、常ニ石下ニ伏セシ。鮎ニ似テ扁身円ニシテ細長、牛尾魚ニ似テ長二寸許、味噌汁煮食、味甘淡。

 

 

以下Sorry Under Construction

 

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