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MANAってなあに

「まな」とは、なんていう意味ですかと、よく聞かれる。ぼくは、「まないた」の「まな」ですよ、と答えることにしている。フリーライターの肩書きで取材に行き、名刺を差し出すと「ああ、まないた新聞さんですか」とか「“ナマ”ってなんですか」と返されることもあった。どうも、そのことばには、マナイタショーのイメージが浮かんで、いやあな思いがしたものだが、最近は、あんまりソトミやテイサイを気にすることもないオジサンにすぎない身分に気がついて、マナでもナマでも、「まないた」の「まな」でもどうでもいいじゃないか思うようになった。

 じつは、「まな」には、ぼくの好奇心の対象となるもののエッセンスが全部含まれているのです。たった二つのひらがなの合成のなかに、日本語の源流にさかのぼることのできる不可思議さを感じさせる語でもあります。

ぼくの知っている限りでは、六つくらい意味がある。「広辞苑」の項目だてをつかって整理しておこう。

@ 真魚(ま・な) 神にささげる食料(神饌)の魚のこと。「真肴」とも書く。広く食料としての「菜」をあてて近世以降「真菜」と書く場合もある。

A 真名(ま・な) 漢字を楷書で書いた字のこと。「真字」とも書く。漢字のこと。本名や実名のこと。紫式部が清少納言のことを「したり顔にいみじう侍りける人」と痛烈な批判を書いているが、その1つの理由に「さばかりさかしだち真名書き散らし」云々をあげている。女の人ってコワイですねえ。というより、ぼく自身がサカシダって理屈っぽくものを書き散らしているのではないかと、ドキッとしてしまいます。

B 末那(まな) サンスクリット語のmanasからきた意識を意味する言葉。いろんなボンノウを思い起こさせるヤツです。マナシキなんてこともいいます。ぼくんちの近くの中野の哲学堂の庭には、「末那識の道」なるもんが散歩コースにあります。

C マナ 南太平洋の島々で使われてきた超自然のパワーのことをいう。戦いに勝つ、悪い精霊の誘いをたちきり追い払ってくれる南の島の善玉スーパーマンのもっているマジカルパワーのことであります。

D マナ 旧約聖書にあるmannaで、「出エジプト記」に、飢えて死にそうになっていた人々が神から与えられた奇跡のたべもののことが記されている。「パン」であったということを人から聞いたが、詳しく調べたことがないので知らない。

Eまな 「愛」をあらわす言葉であります。愛弟子(まなでし)とか愛娘(まなむすめ)の「まな」です。

 ゴタクはこれくらいにして、なんでも「まないた」の上にのせて料理して食べちゃえ、というような思いを込めて、ぼくのホームページ(現在制作中。味篇、海篇、本篇)は「まないた・しんぶん」ぐらいのつもりで発刊した次第です。マナからマナシキをへて再びマナに戻る。こんなサカシきアナログの世界から抜け出せない人間ゆえのゴッタニ新聞です。

 部屋中が本とファイルと新聞や雑誌の切抜きで、どこに何があるやら自分でもわからなくなってきた昨今、パソコンと格闘しはじめて、こんな雑なるものどもを整理するとどうなるか。

 HPに情報を書きこんだら、そのコピーや資料は捨てるというルールを作ると、はたして今の仕事部屋は少しはきれいになるかどうか、という、ぼくにとっての生存をかけた実験がこのHPなのです。もともと、このルールは、パソコンのプライベートな情報管理として機能させるべきなのですが、どうせ入力していくなら、文字情報なんかはたいしたボリュームではないのだし、だれかが利用してくれるかもしれないから、公開してしまえ、というわけです。ものずきな人は、まなのHPの更新状況をチェックしていただければ、ぼくの部屋がきれいにかたずいていく状況が一目でわかるというわけです。

 ぼくが作る“まなの本”についてはMANABOOKをご覧ください。

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