浜に生きる 21
MANA―essay,interview
宇田川信治さん 浦安市舟大工保存会 元会長 →Profile
うた せ ぶね |
東京湾に打瀬舟が走った |
2004年10月30日、浦安沖の東京湾で建造なった 打瀬舟が走った Photo by 黒住圭樹(C) |
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千葉県浦安市では、山本周五郎「青べか物語」に描かれた浦安の漁師マチの歴史・文化や漁業民俗を現代に伝えるための事業を幅広く行ってきた。平成十三年に浦安市郷土博物館が設立・開館後は、同館がこの事業を担い、常設展示・企画展示や、復元建造したベカ舟や投網舟に市民が乗船できる体験企画、海苔すき体験、郷土料理教室などの市民参加企画を実施している。こうした事業のひとつとして、浦安の漁業を支えてきた木造船の復元建造のとりくみがある。舟大工の技を現代に伝え、後世に残すために、浦安で長い舟大工経験をもつ宇田川信治さんが親方(リーダー)となり、ベカ舟から始まり、打瀬舟、投網舟、伝馬舟など十隻にのぼる木造船を復元建造した。
今年の五月、二隻目となる帆つき引き網漁船の打瀬舟「浦安丸」が完成し、十月三十日には、東京湾で帆を立て、帆走する勇姿を披露した。舟大工・宇田川信治さんに木造舟建造のワザとその心を語っていただいた。
●うだがわ・のぶじ profile |
印旛杉の巨木に血が騒ぐ |
Q―浦安市の教育委員会から、ベカ舟を復元するのに力を貸してほしい、と依頼されたとき固辞されたと聞きました。
舟大工「勘兵衛」として最後の舟を作ったのは昭和四十七年でした。その後、舟大工を廃業して弟の会社に勤め、その後、木場の自動車教習所に勤めておりまして、いまさら、ということもありましたし、仕事場に迷惑をかけてはと思い断ったのです。
Q―宇田川さんに、やろう、という気を起こさせたのはなんだったのですか。
当時の教育委員会で浦安の象徴となっていた“ベカ舟”の復元を企画担当されてきた永井さんから、「いまや幻となったベカ舟を復元できるのはあなたしかいない」とか、それはまあ、とにかく熱心に、情熱的に口説かれてしまったのですね。口説き文句のなかには「お孫さんに舟大工の仕事をする姿をみせたくはないですか」。殺し文句でしたねえ。
それと、実に周到な準備をされて、当時としても貴重な原木の調達を早くからされておりました。舟大工の大切な仕事に材料となる木を見る眼があります。わたしは、“ジボク”と呼んでいますが、千葉県内のよい木が少なくなってきていたんです。印旛杉が、海で操業する木造船の建造には、脂分が適度に含み材質として一番よいと思っています。この印旛杉の材質に似た香取の杉を、博物館ではすでに調達しており、それを見たとき、これほど準備周到に計画しているのなら、できるなあ、やってみようと思ったのですね。
Q―博物館内に、その原木を切り出したときの切り株の切断材が展示されていますね。
あの原木は、平成十二年に一隻目の打瀬舟を建造した時に調達したものですが、惚れ惚れとする杉の巨木でした。わたしらは、山にはえている木を、乾燥させ寝かせて使用できるようになる期間を考えて一年、二年前から、メボシをつけておいてヤマヌシさんに交渉しておくわけです。
木の大きさをいう場合に、立っている目の位置の高さの木の胴回りを測ってメドウリ何尺と表現します。
この木は、わたしが理想とする印旛杉で、メドウリが一丈(十尺)(約三メートル)ある銘木でした。交渉したら、はじめはケンもほろろで断られたんですが、わたしらが、浦安の舟大工の技を後世に伝えるために必要なんだということを、理解してもらって、山を売るときに、一本杉のまま残しておいてくれたのです。
伐採の現場に立ち会って、切り株となったときの材質のよさと巨木さに舟大工の血が騒ぎました。
ウナワ舟ってどんな舟? |
Q―舟を作り始める前から舟大工の仕事ははじまっているのですね。
そういうことです。舟大工の中には何十年という期間舟を作り続けるだけの木材のメボシをつけておく人もおるぐらいですから。とくに、この木はみごとなものでした。年輪から樹齢二百八十年ということがわかりました。舟大工冥利に尽きるような銘木との出会いでした。これだけの大木ですから、板にするコビキの作業ができるのは木場でこの人だけといわれた名人にお願いしました。
コビキをする人も木の心をわかって材木に仕上げてくれるから、長年使用に耐える漁船ができるわけです。舟大工の仕事は、まずよい木があって、よい材木にしてくれるコビキ名人がいて、舟クギを打つ鍛冶屋さんがいて、みんな、木に合わせて心を一つにして初めてできるんですね。
Q―これまで何席復元建造を手がけられたのですか。
まず1隻目がベカ舟でした。ベカ舟は、海の上の自転車みたいな役割をする小型の舟でしたから、建造には1週間もあれば1隻できます。その後も、技術伝承のために一隻と、地元の中学校の生徒たちに「君たちにだって作れるんだよ」ということを教えながら、子どもたちと一緒に1隻造りました。ですから、合計で3隻造っています。
次に、東京湾の漁業のなかでも珍しい追い込み網漁の「うなわ舟」を2隻造りました。ウナワ漁は、鵜の羽やそれを模した木片をつけたウナワとよばれるオドシ具を引いて魚を網にに追い込むという浦安に長く伝わる伝統漁法です。
船型や、漁具の復元には、ウナワ漁の名人だった宇田川廣一さんらの元漁師のかたがたの記憶がたよりでした。わたしも若いころ親方から聞いていたことを思い出しながら、さらに文書資料とつき合わせ、みんなが力と知恵をしぼりながらの共同作業ですすめていきました。人間の記憶なんて当てにはならないという面もありますが、一度造って見せて、ここがこう違うとか、たしかこうなっていたとか、結局は造ってみなけりゃ、よい舟の復元はできないんですね。
1隻目より2隻目になって、「ああむかしのまんまだ」という一声を聞くのが、なんといっても一番うれしい。図面など残さず、記憶と経験だけの世界でやってきましたからね。
元漁民の記憶が頼りの打瀬船 |
Q―今年になって打瀬船が完成し、十月に走行したそうですね。東京湾を木造の帆船が風に乗って走る。江戸前漁のなかでも名物漁でした。夢をみるようです。
平成12年に打瀬船をまず1隻つくりました。昭和40年代、まだ何隻か操業をしていた1隻引きの帆船が打瀬網船(うたせあみぶね)です。わたしは何隻も造った経験がありましたが、帆のかたち、材質や、引き網の構造、これは漁師さんの記憶だけが頼りです。元漁師さんでつくる「もやいの会」のメンバーのなかでも、打瀬漁(うたせあみりょう)の第一人者で長老の平林道太郎さんの話が大いに役に立ちました。
平林さんは85才で、いまでも櫓を漕がせたら浦安一番ですよ。デバラナイかたで、仲間の信望も厚く、網から漁具まで、手作りできるものは何でもやってこられた方なのです。木造船を復元するというのは、舟大工が技を持っているだけではだめなんです。こういう平林さんのような方がいて初めて完成にこぎつけられるのです。
打瀬船の2隻目を昨年から造り始めました。今度は、1隻目の経験を生かしているばかりか、8馬力のエンジンを使用して、一般走行もできるようにした上で、帆走もできる船型に工夫しました。長さが9.5メートル、幅1.7メートル、約1.5トン。14人乗りです。船型や構造を昔にできるだけ近づけようと、エンジンを目立たないようにするために、エンジン場を低く設計しました。
この舟は、帆走して三番瀬に沖から近づいたり、市民も体験乗船できることを前提に作ってあります。実際に洋上で帆走したり網を引いたりするには、いくつかの課題をクリアしなければいけませんが、市民にとっても、浦安の沖合いで帆船が走行するというのは夢のある試みだと思います。
青べか物語と伝馬船 |
Q―「青べか物語」で山本周五郎が描いた「ベカ舟」は、実は「伝馬船」だったと宇田川さんが話されている文章を読んだことがあります。
2004年11月3日、子供づれ家族が 宇田川さんが造った投網船に体験 乗船した。 |
そうなんです。ベカ舟は三種類ほど異なった船型があります。何れも、小型で、軽く走行性をよくするために船底が薄く、ベカベカとしなるような舟だから「ベカ」と呼ばれていたんですね。
ところが、小説に描かれているのは、「胴がフクれて、みるからに鈍重」という船型の特徴を持つ舟です。これは、どうもベカではなく、コヤシを運ぶ伝馬船(てんません)(オワイブネともよばれた)のことだと思います。
境川の川べりに2000隻近くびっしりとつながれた浦安のベカ舟のケシキのなかには、そのような伝馬船も含まれていました。ですから、この小説に描かれた伝馬船とノリのベカ舟との違いを知ってもらうためにも、昔の通に小説に描かれた記述を参考にして忠実に復元した伝馬船も作りました。
この他に、投網(とあみ)をうちながら船にお客さんを乗せ、料理を楽しんでもらう遊船を目的とした投網船を1隻つくりました。投網師(とあみし)たちは、船頭でもあり、漁師でもあり、また料理の腕前も一流の庖丁師(ほうちょうし)、つまり料理人でもあったんです。
この投網船と櫓こぎのベカ舟や伝馬船は、「もやいの会」の元漁師さんたちが、操船し、説明役となり、定期的に乗船体験ができる企画が行われており、そのつど家族連れでいっぱいになります。
博物館には、これまで建造された10隻の木造船のほか、建造経過をビデオに納めた資料映像が用意されています。舟大工の仕事場から、道具など実際に現在も使っているものが展示されていますから、ぜひご覧になってみてください。
●エピローグ―浦安市立郷土博物館にうかがい、尾上一明学芸員と一緒に、館内にあるレストランで人気の江戸前郷土料理「あさりめし」をごちそうになった。午後からは、沈んでいた漁船につんでいた焼玉エンジンを同館が修理復元させ、運転のデモが行われた。「焼玉エンジン」運転を始め、この博物館の特徴は、浦安の漁師マチの暮らしを追体験できる催しが盛りだくさん。2004年12月4日から2005年の2月27日まで「のり―ちば海苔いまむかし」の企画展が開かれ、海苔すき実演や体験、ノリ養殖場の見学会などが行われる。市民参加体験型博物館の楽しさを存分に味あわせてくれる。浦安市郷土博物館の住所連絡先は次の通り。 千葉県浦安市猫実1-2-7 (電)047-305-4300 |
インタビューア MANA・なかじまみつる
JF共水連機関紙「漁協の共済」2004年12月号・117初出・一部加筆訂正して掲載しました。
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