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まなライブラリー |
雑魚古典テキスト抄訳 001
狩谷エキ齊
箋注倭名類聚抄
せん ちゅう わ みょう るい じゅ しょう
巻第八
その1(1-20)(1丁表〜11丁表)
明治16年印刷局刊版・国会図書館蔵10巻本より
テキスト・現代語訳・注 by MANA:なかじま・みつる
和名・一次名称・俗称別|引用文献・参考文献|引用文中の古書名注|引用文中の人名注|編者凡例
目次
MANA抄訳に当たって|MANA簡約凡例 ||||| 序|凡例|校例提要|参訂諸本目録|倭名類聚抄總目|倭名類聚鈔序|巻第八|その1(1-20)|(1)龍|〔2〕[叫(口→虫)]龍|〔3〕螭龍|〔4〕蛟|〔5〕魚|〔6〕鯨鯢|〔7〕[孚][布]|〔8〕鰐|〔9〕鮝魚|〔10〕人魚|〔11〕鮪|〔12〕鰹魚|〔13〕[乞]魚|〔14〕 鮫|〔15〕[宣]魚|〔16〕鰩|〔17〕鯛|〔18〕尨魚|〔19〕海[即]|〔20〕王餘魚|その2(21-40)|〔21〕[唐]魚|〔22〕[魚+椶−木]|〔23〕梳齒魚|〔24〕針魚|〔25〕鱏魚|〔26〕鱣魚|〔27〕蝦|〔28〕騰(馬→魚)|〔29〕[喿]|〔30〕[]|〔31〕[番]魚|〔32〕鯆魚|〔33〕[夸]|〔34〕鰯|〔35〕鯔|〔36〕[馬]|〔37〕鱧魚|〔38〕[制]魚|〔39〕[反]魚|〔40〕[侯][頤−頁]魚|その3(41-63)|〔41〕鰻[麗]魚|〔42〕韶陽魚|〔43〕[生]魚|〔44〕鯉魚|〔45〕鮒|〔46〕[蚤]|〔47〕[時]|〔48〕鱸|〔49〕[完]|〔50〕鱒|〔51〕[免]|〔52〕鯰|〔53〕[頤−頁]|〔54〕[庸]|〔55〕[囘(巳→又)]魚|〔56〕[厥]魚|〔57〕鮎|〔58〕[是]魚|〔59〕鮠|〔60〕[末]|〔61〕[白]魚|〔62〕[小]|〔63〕細魚||その4(64〜72)(龍魚体)|
|||その5(73-115)(龜貝類)|その5-2(116-124)(龜貝体)|その6(125-212)(蟲豸部)〔125〕虫|
箋注倭名類聚抄巻第八
エキ齊狩谷望之著
その1 〔1〕〜〔20〕
凡 例 (1)「倭名類聚抄」本文をさしていう場合は「抄本文」ないし「 順抄文」と略し、句読点:返り点等(返り点は省略している場合があります)は版本どおりに翻刻し、色文字(大)で示す。 源順による抄文(行)中に小文字2行で記す注文(割注)は、{×△×}と中括弧でくくり色文字(小)で記した。 「○」以下は、エキ齊箋注で、 {中かっこ}でくくり、現代語訳し、ふつうの墨文字で記した。なお、抄本文とともに箋注原文テキストは、真名真魚字典該当ページ(リンク)にのせた。 (2)また、箋注の現代語訳は、次の原則にのっとり、訓点どおりの訓みを尊重しながら、意訳をも混用し訳した。 (3)○につづけて「按」字は、「エキ斎按う。」 あるいは「エキ斎按うに、」と書く。 (4)抄本文の京本と異本の異文を示す“該当文字”「二字」云々の記載は、《下総本には〔京本の該当文に〕「和名」二字がある》と括弧書きで記す。 (5)引用書名は、伝存本、亡佚本、原本、写本、刻版本含めてすべて『日本書紀』『文字集略』 のように『○×○×』と記し、同書中の章節句に名称がつく場合は『日本書紀』巻第十一「仁徳紀」のように記す。 (6)引用箇所は、「○×△」で示し、引用所注釈者名(本文例:釋魚郭注云) のように、エキ齊が『書名』篇撰者名を略して該当「篇」「章」のみしるしている場合も、 〈『爾雅』「釋魚」郭璞注は「○×△」と云(曰・謂)う。〉と、できるだけ略さずにしるし、「云」「謂」「曰」等記述どおりの字によって「いう」を記す。また、〔注〕に、引用箇所を含む原文を、エキ齊が参照したと予測される文献(か、それに)に近い出典 諸本によって、該当箇所を忠実に翻刻し、適宜句読点≠書き加え記す。 但し、「即(旧字体)」「爲」「經」「廣」「氣」など新字体「即」「為」「経」「広」「気」などに直しても翻刻意図を損なわない範囲で、新字体出記述した。 (7)出典諸本は、【日本書紀】(岩波文庫『日本書紀』坂本・家永・井上・大野校注)あるいは【日本書紀】(岩波文庫本)、【爾雅】(「爾雅注疏十一巻」東京大学東洋文化研究所倉石文庫蔵:TDB)あるいは【爾雅】(「爾雅注疏十一巻」TDB)などと記す。TDB(東大東文研)TLDB(東大総合図書館)やKLDB(京大図書館DB)、WLDB(早大図書館DB)は、ネットにより閲覧できる電子版原典画像のライブラリー略字 であり、詳細には、その書の内容を解説した別稿頁「古書注」(リンク)に記した。 (8)『説文』は「説文解字」あるいは「説文解字注」と記すほうが適切である場合も、箋注記載どおり略称『説文』と書 き、〔注〕に、(イ)【説文解字】(徐鉉校訂「大徐本」汲古閣本)(WLDB)、(ロ)【説文】(「説文解字注十五巻」經韵樓蔵版)(WLDB)の片方、あるいは両方の該当字・箇所を含むセクションを翻刻テキスト化して記した。 (9)漢字に訓みを加える場合は「太都(たつ)」とカッコがきで記した。 |
箋注倭名類聚抄巻第八
棭齋狩谷望之著
龍魚部第十八 龜貝部第十九 虫豸部第二十 {○廣本は、虫を蟲に作る。エキ斎按う 。『漢碑』「唐扶頌」に「徳は草虫に及ぶ」と云う。また、蟲は虫に作る。蓋 し省文(略字)である。『爾雅釈文』は「蟲は亦、虫に作る」と云う。今人は、虫を以って蟲の字に代え、ずっと仮借して用いてきただけで、おそらくは、この関係は是とするものではない。
抄本文読み下し:龍魚部第十八 龜貝部第十九 虫豸部第二十。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :龍(その他16画)。虫(虫へん0画):参考:〔125〕虫 〔注〕(0-0)「倭名類聚抄」本文をさしていう場合は「抄本文」ないし「 順抄文」と略し、句読点:返り点等(返り点は省略している場合があります)は版本どおりに翻刻し、色文字(大)で示す。 源順による抄文(行)中に小文字2行で記す注文(割注)は、{×△×}と中括弧でくくり色文字(小)で記した。○以下は、エキ齊箋注で、 {中かっこ}でくくり、現代語訳し、ふつうの墨文字で記した。なお、抄本文とともに箋注原文テキストは、真名真魚字典該当ページ(リンク)にのせた。また、箋注の現代語訳は、次の原則にのっとり、訓点どおりの訓みを尊重しながら、意訳をも混用し訳した。@○につづけて「按」字は、「エキ斎按う。」 あるいは「エキ斎按うに、」と書く。A抄本文の京本と異本の異文を示す“該当文字”「二字」云々の記載は、《下総本には〔京本の該当文に〕「和名」二字がある》と括弧書きで記す。B引用書名は、伝存本、亡佚本、原本、写本、刻版本含めてすべて『日本書紀』『文字集略』 のように『○×○×』と記し、同書中の章節句に名称がつく場合は『日本書紀』巻第十一「仁徳紀」のように記す。C引用箇所は、「○×△」で示し、注釈者名(例:釋魚郭云) のように、エキ齊が『書名』篇撰者名を略している場合も、 〈『爾雅』「釋魚」郭璞注は「○×△」と云(曰・謂)う。〉と、できるだけ略さずにしるし、「云」「謂」「曰」等記述どおりの字によって「いう」を記す。また、〔注〕に、引用箇所を含む原文を、エキ齊が参照したと予測される文献(か、それに)に近い出典 諸本 によって、該当箇所を翻刻し、適宜句読点を書き加え記す。 出典諸本は、【日本書紀】(岩波文庫『日本書紀』坂本・家永・井上・大野校注)あるいは【日本書紀】(岩波文庫本)、【爾雅】(「爾雅注疏十一巻」東京大学東洋文化研究所倉石文庫蔵:TDB)あるいは【爾雅】(「爾雅注疏十一巻」TDB)などと記す。TDBは、ネットにより閲覧できる電子版原典画像のライブラリー略字。D『説文』は「説文解字」 あるいは「説文解字注」と記すほうが適切である場合も、箋注記載どおり略称『説文』と書き、〔注〕に、(イ)【説文解字】(徐鉉校訂「大徐本」汲古閣本)(WLDB)、(ロ)【説文】(「説文解字注十五巻」經韵樓蔵版)(WLDB)の片方、あるいは両方の該当字・箇所を含むセクションを翻刻テキスト化して記す。E漢字に訓みを加える場合は「太都(たつ)」とカッコがきで記す。 (0-1)篆隷書体の範ともなる 「漢碑」「唐扶頌」に載る。 未見、要確認.。 (0-2)「爾雅釈文」:唐の陸徳明「経典釈文」30巻中の爾雅に関する音義を中心に記した「爾雅釈文」(二巻) をいう。 (0-3)詩経国風、召南、草蟲三章で鄭注「蟲直忠反、本或作虫非也、虫音許鬼’反、草木疏云、一名負[攀(手→虫)]」とある。負[攀(手→虫)]は、フハン、イナゴの仲間、クビキリバッタ(【学研新漢和大字典】及び加納喜光『漢字の博物誌』))。 (0-4) 【爾雅義疏】(芸文印書館本)(郝懿行著)釋虫第十五:説文云。有足謂之蟲。[虫虫]、蟲之總名也。又云。虫、一名蝮。象其臥形、物之微細、或行、或飛{或飛二字、従釋文増。}、或毛、或[蠃〈虫→衣〉]、或介、或鱗。以虫為象。按此則凡蟲属字旁’作虫、音許偉反、既非[虫虫]之省文、亦非蟲之叚借、今人相承以虫為蟲、或書蟲作虫、胥失之矣。考工記梓人云、外骨内骨卻行仄行連行紆行、以脰鳴者、以注鳴者、以旁’鳴者、以翼鳴者、以股鳴者、以[匈/月]鳴者、謂之小蟲之属。月令鱗毛羽介通謂之蟲。大戴記易本命篇又以人為倮蟲、而聖人為之長、是人與物通有蟲名、是篇則云、有足為蟲、無足為豸、然亦対文、散則通耳、易本命及淮南墜形篇云、風生蟲、蟲八日而化、古微書、引春秋考異郵云、蟲之為言屈伸也。是蟲豸通名、故題曰釋蟲。 |
龍魚部第十八
龍魚類百八 龍魚体百九
龍魚類百八
〔1〕龍’文字集畧云、龍’、 {力鐘反、太都}{○下総本には「和名」二字あり。『日本書紀』「神代紀」、「斎明紀」に同訓あり。エキ斎按うに、太都(タツ)は、もともと(蓋) 『爾雅』に謂うところの「螣蛇」(トウダ)であろう。郭璞(カクハク)は「能く雲霧を興して其の中に遊ぶ ものなり」と云う。また 『荀子』は「蛇無足而飛」と云う。『説文』は、「螣、神蛇なり」と云う。今猶、太都(タツ)は、雲中に在り尾を垂らし有るものである。越後の海辺でよく見ることができ、これを、太都万岐(タツマキ)と謂う。恐らくは龍にあらず。}
抄本文読み下し:龍’ 文字集略 は云う。龍’。{力鐘の反。太都(タツ)。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :〔龍〕(その他16画)。参考:虫(虫へん0画):〔125〕虫 〔注〕(1-1)文字集略: もじしゅうりゃく:古書注参照。中国古字書だが、亡佚して伝わらない。エキ齊「和名抄引書」:文字集略、[隋志]文字集略六巻{梁、阮考緒撰}、[旧志]同一巻{阮考緒撰}、[新志]阮考緒文字集略一巻 、[現在]。……なお、エキ齊「和名抄引書」で、「引書」の注記としてエキ齊が記した経籍志の略記は次のとおり。[隋志]は、『隋書』「経籍志」(『隋書』巻三十二、志第二十七)、[旧志]は『旧唐書』「経籍志」(旧唐書巻四十六、志第二十六)、[新志]は『新唐書』「芸文志」(唐書巻五十七、志第四十七)、[漢志]は『漢書』「芸文志」(漢書巻三十芸文志第十)に記された書名を記し、[現在書目]あるいは[現在(書)]は、わが国で891年ごろ成立した『日本国見在書目録』に記載された書名を記す。 (1-2)@神代紀:【日本書紀】(岩波文庫『日本書紀』坂本・家永他校注)巻第二(神代紀かみよのしものまき)第十段、「海幸山幸説話」中の弟山幸である「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」が海神(わたつみ)の宮で豊玉姫(とよたまびめ)と出会い、妻に娶り、豊玉姫が龍(竜:たつ:そして別記一書に「八尋熊鰐」ヤヒロワニ)に化身して、海辺で「鸕[玆鳥]草葺不合尊」(うがやふきあえずのみこと)を生む、云々の件で、次のように記す。(第2冊164頁):後に豊玉姫、果して前の期の如く、其の女弟玉依姫を將ゐて、直に風波を冒して、海辺に来到る。臨産む時に逮びて、請ひて曰さく、「妾産まむ時に、幸はくはな看ましそ」とまうす。天孫猶忍ぶること能はずして。窃に往きて覘ひたまふ。豊玉姫、方に産むときに竜(たつ)に化為(な)りぬ。而して甚だ慙ぢて曰はく、「如し我れを辱しめざること有りせば、海陸相通はしめて永く隔絶つこと無からまし。今既に辱みつ。将に何を以てか親昵しき情を結ばむ」といひて、乃ち草を以て児を裹みて、海辺に棄てて、海途を閉ぢてただに去ぬ。、故、因りて児を名けまつりて、彦波瀲武鸕[玆鳥]草葺不合尊(ひこ・なぎさ・たけ・うがやひこあへずのみこと)と曰す。後に久しくして、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)崩りましぬ。日向の高屋山上陵に葬りまつる。/…中略…/A(172p)一に云はく豊玉姫の侍者、…中略…時に豊玉姫、八尋(やひろ)の大熊鰐(わに)に化為(な)りて、云々。B(178p〜)一書(あるふみ)に曰はく、兄(このかみ)火酢芹命、能く海の幸を得。故、海幸彦(うみのさちびこ)と号く。弟彦火火出見尊、能く山の幸を得。故、山幸彦(やまのさちびこ)と号す。…中略…豊玉姫、自らに大亀に馭りて、女弟玉寄姫を将ゐて、海を光らして来到る。時に孕月已に満ちて、…中略…則ち八尋大鰐(やひろのわに)に化為りぬ。…以下略。C斉明天皇同訓: 【日本書紀(岩波文庫版第4冊)】第二十六、「元年春正月」の条に続けて、「夏五月庚午朔空中ニ龍(タツ)ニ乗レル者有リ、貌(カタチ)唐人(モロコシビト)ニ似テ青キ油笠(アブラキヌノカサ)ヲ著キテ葛城ノ嶺(タケ)ヨリ馳テ膽駒山(イコマノヤマ)ニ隠」 (332p)と載る。 (1-3)爾雅「螣蛇」:古書注参考:TDB「爾雅注疏十一巻」巻第十釋魚第十六:螣、螣蛇 (チン、トウダ)【(郭璞)註】龍類也、能興雲霧而遊其中、淮南云蟒蛇(モウダ){○螣、上音朕(チン) 、下音騰(トウ)}。【疏】{蛇似龍者也。名螣、一名螣蛇。能興雲霧而遊其中也。 蟒當為奔。案淮南子覧冥篇説女媧云、功烈上際九天、…以下略。 (1-4)荀子「螣蛇」:荀子「勧学篇」第5セクション「君子結於一」(君子はひとつのことをなすにも積み重ねて心を用い一にしてのぞむことこそがトップに昇る喩を表す)。「螣蛇無足而飛、梧鼠五技而窮」螣蛇(トウダ)は足を持たずとも空を飛べるのに、梧鼠(ごそ=鼫鼠せきそ:ムササビ)は五つの技(飛、登、泳、潜、走)を持つのに窮する道をたどることもある。 (1-5)説文 :古書注参照:【説文】(「説文解字十五巻」TDB)第十三巻虫部:螣:神它也。{荀卿曰、螣蛇無足而飛。毛詩叚借為[虫貸’]字。}从虫朕聲。{徒登切。六部} (1-6)越後海辺冣’多:越後海辺最多:冣’(冖→宀) (1-7)太都万岐:タツマキ:@【本草綱目啓蒙】(東洋文庫4冊)(3-191)(巻之三十九、鱗之一、竜類九種)竜 タツ{和名鈔}〔一名〕鱗中長{名物法言}…中略…竜ハ神霊ノ物ニシテ親シク形ヲ見ルコトナリ難シ。…中略…俗ニ、タツノ天上スルト云。是ハ蛇類俗ニタツト呼モノニシテ螣蛇ナリ。真ノ竜ニハ有ズ。諸蛇ノ条下ニ、螣蛇化竜ト云モノナリ。…以下略。A『本朝食鑑』(人見必大著)には、鱗介部に「竜」の記載なく、「蛇虫部」冒頭の「蛇」釈名に竜記事を載せる。Bエキ齊が、越後(新潟)に、螣蛇・タツが「最多」、「よく現れ見ることができる」と記し、それを「タツマキ」と呼ぶと注したが、その出典を示しておらず不詳。ただ、この引用の典拠を髣髴させる記述が文化8年(1811)柳亭種彦序記のある橘崑崙著、葛飾北斎画『北越奇談』に見える。第1巻「龍蛇ノ奇」の「竜巻にあふ」記述と、北斎の見開き挿絵もあって「越後」の「竜巻」は、けっこう広く知られていた話であったのだろう。C 【東遊記】(後編三)(橘南谿 著。寛政7〜9〈1795〜1797〉年刊)(WKDB):登龍 越中越後の海中、夏の日龍登るといふ甚多し。黒龍多し。黒雲一村虚空より下り來れば、海中の潮水其雲に乘じ逆卷のぼり、黒雲を又くはしく見れば、龍の形見ゆることなり、尾頭などもたしかに見て、登潮は瀧の逆に懸るが如し、又岩瀬と云所、宮崎といふ所まで、十餘里の間に竟りて、黒龍登れるを見しと云、又鐵脚道人退冥の手代、越後の名立の沖を船にて通りし時、海底に大龍の蟠れるを見しといふ、蟠龍を見る事は、此手代に限らず、彼海底には折々ある事となり、是等は皆慥なる物語なりき、…以下略。BC書該当箇所と北斎「編者崑崙新潟にて龍巻にあふ」を真名真魚字典:龍(その他16画)に載せる。 |
龍’(MANA作字)
【干禄字書】文化14年和泉屋金右エ門版
冣 :
: 最
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四足五釆、甚有二神霊一也、{○下総本は、龍’は龍に作る。那波本も同じ。エキ斎按うに、 『干禄字書』に謂う。「龍’龍上通下正。」天文本は、「也」の上に「者」の字あり。廣本も同じ。}
白虎通云、鱗虫三百六十六、而龍’為之長也、{○引用する文は原書(『白虎通』)に載っていない。エキ斎按う 。 『易本命篇』は「有鱗之蟲三百六十、而蛟龍爲二之長一」を載せ、また、 『孔子家語』「執轡篇」に「鱗蟲三百有六十、而龍為二之長一」と云う。おそらく源君は、これらの書からの引用するところを誤ったものだろう。『説文』は、「龍は、鱗蟲の長なり。能く幽とし、能く明とし、能く細とし、能く巨とし、能 く短とし、能く長とする。春分きたりて天に登り、秋分となりて淵に潜る。肉と飛の形を从え、童の省形〔立:リュウ〕を声とする」と云う。}
鈔本文読み下し:龍’ 文字集略 は云う。龍’。{力鐘の反。太都(タツ)。}/四足五釆(しそくごべん)にして、甚だしく 神霊を有するものなり。/白虎通は云う。鱗(りん)虫は三百六十六ありて、龍は、之の長と為すなり。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :〔龍〕(その他16画)。参考:虫(虫へん0画):〔125〕虫 〔注〕(1-6)龍’龍:干禄字書(上聲十丁ウに載る):中国で 「進士考」(科挙試験)の目安として刊行された標準字形とその異体字を並べた字書。 二ないし三の楷書字体をあげ、俗(俗字)・通(通字)・正(正字)を示した。龍については、龍’(通:字形は右図参照)、龍”(通:字形略)、龍(正)としている。 (1-7)白虎通: びゃっこつう:後漢の章帝建初四年( 西暦79年)に、宮中の「白虎観」に集めて古典の字義を論議させ、そのいわゆる「白虎観論議」を班固らが整理してまとめた書をいう。4巻。「白虎通義」、「白虎通コ論」とも呼ばれる。「白虎」は四神の一で、西方をつかさどる。○エキ齊「和名抄引書」(17丁裏)白乕通{露…中略…○龍〈疑〉} (1-8) 易本命篇:『大戴礼記』39篇中の1篇「易本命篇第八十一」。「蛟龍」は〔3〕に記す。 (1-9)孔子家語(こうしけご):「論語」に漏れた孔子一門の説話を蒐集したとされる古書。10巻。散逸し伝わらない。 (1-9) 説文:@【説文解字】(徐鉉校訂「大徐本」汲古閣本)(WLDB):龍(篆):鱗蟲之長、能幽能明、能細能巨、能短能長、春分而登天、秋分而潛淵。从肉飛之形、童省聲。{臣鉉等曰、象[宛−ウ]轉飛動之皃}凡龍之属皆从龍。{力鍾切}A【説文解字】「説文解字注十五巻」(段注)(TDB):龍:鱗蟲之長、能幽能朙〔=明〕、能細能巨、能短能長 {四句一韻}。春分而登天、秋分而潛淵。{二句一韻。毛詩蓼蕭傳曰、龍寵也、謂龍即寵之叚借也。勺傳曰、龍和也、長發同謂龍爲邕、和之叚借字也。}从肉。{與能从肉同。}[@]肉飛之形。{[@]肉二字依韻會補 、無此則文理不完、六書故、所見唐本、作从肉从飛及童省。按从飛謂[@2]飛省也。从及謂[@3]反、古文及也。此篆从飛、故下文受之以飛部。}童省聲。{謂[@4]也。力鍾切九部 }凡龍之属皆从龍。: 簡約すれば、「龍は鱗蟲の仲間の長であり、その姿は、幽かに見えるかと思えば明らかに見えもし、細かいかと思えば巨にもなり、短くもなれば長大でもあって、変幻の能力をもっている。春分になると天に登り、秋分になると淵に潜る。 「肉」(の象形:月)を従(从)えて、空を飛ぶ形(龍のツクリの字形)をあらわし、「童」の省字「立」を聲音(リュウ)とする。「臣鉉等曰:象[宛−ウ]轉飛動之皃」:[宛−ウ]:エンは、エビのように体を折り曲げるさま 、「皃」=「貌」であるから、空をくねくねと蛇のように飛ぶさまを象っている。 (1-9-2)毛詩蓼蕭傳:毛詩(詩経)小雅、南有嘉魚之汁(なんゆうかぎょのじゅう)に含む「蓼蕭」(りくしょう)篇。 「既見君子/為龍為光」(すでにくんしをみれば、龍となり光となる)に対して、【毛傅】が「龍は寵なり」と注した。つまり、この「龍」は、次行の「徳」に通じ、めぐみ深いお方、という意味の「寵」(ちょう)と読む、ということである。 (1-9-3)段注は、(1-9)@の大徐本の旁の字形について修正を加え、解字の補説を行っている。「从肉飛之形」では、「文理不完全」であるとして、 「[@]肉の二字を韻會により補」っている。「韻会」は『古今韻會挙要』(古書注参照)で、第一巻平聲上、ニ冬の「龍」を、右下画像(WLDBより)のように記す。 |
龍:篆
[@]作字
[@]篆
@の上半:[@3]
@の下半:[@2]
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![]() 龍の左半上部:[@4]=立
龍の左半下部:[@5]=肉:月 |
![]() |
〔2〕虯 龍’ 文字集略云、虯、{音球、}龍’之無レ角青色也、{○下総本は、「虯 」を「虬」に作る。廣本も同じである。」エキ斎按う 。 『龍龕手鑑』が「虬虯同上」と云う。廣本は、「無」は「有」に作る。」エキ斎按う 。『淮南子』「注」は、「角有るを龍とし、角無きを虯とす。」と云う。また、『楚辞』「離騒」及び「天問」「注」は、「角無きを虬と曰う。」と 云う。また、『慧琳音義』は『韻英』を引用して、「虯は角無き龍なり。」と云う。また、『玉篇』、『廣韻』も同じである。『後漢書』「馮衍伝」「注」は、また「虯龍は之れ角無きものなり 。」と云う。
然るに、『説文』は、「虯、龍子有レ角者」と云う。『廣雅』は「角有るを龍と曰い、角無きを
龍と曰う」と云う。『初学記』及び『玄應音義』は、『廣雅』を引用して「
作レ虯、
作レ螭」と
いう。『集韻』は、「虯」は、又「
」に作り、「螭
」は、又「
」に作る。是れらの用例に見るとおり、「有レ角」、「無レ角
」の二説が古くより記されてきたが、いまだに、いずれを是(ぜ)とするかの説を知ることができないのである。}
抄本文読み下し:虯龍(キュウリョウ) 文字集略は云う。虯{音は球(キュウ)。}龍、これ角無 くして、青色なり。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :〔龍〕(その他16画)。参考:虫(虫へん0画):〔125〕虫 〔注〕(2-1)「文字集略」注1-1参照。古書注参照。 (2-2)龍龕手鑑(KDB)第四巻:虫部第二[平聲]虬{無角龍也又居幽切}虯{同上○今増}。 (2-3)淮南子注: 有角為龍、無角為虬:【淮南子】『淮南鴻烈解』(KLDB)巻第六「覧冥訓」:往古之時、四極廢、…中略…名聲被後世、光暉重萬物。乗雷車、服駕應龍、驂青虯、{〔高誘注〕:駕應徳之龍在中為服、在旁’為驂、有角為龍、無角為虬、一説、応龍有翼之龍也。}援絶瑞、…以下略。 (2-4)屈原『楚辞』(古書注参照)「離騒」 「天問」:(1)駟玉虬以乘鷖兮、溘埃風余上征。及び、「天問」 :焉有虬龍、負熊以遊:『楚辞章句』王逸注:有角曰龍、無角曰虬。なお、『楚辞集注』の朱熹注も「離騒」(同)、「天問」(虬見上) を云う。 (2-5) 慧琳音義:古書注慧琳音義(一切経音義)参照。:「韻英」:唐・陳庭堅[チンテイケン]撰(「輯佚資料」):元庭堅(?〜756年頃)[新志]玄宗韻英五巻天宝十四載撰:[南部新書]天寶時,翰林學士陳王友元庭堅撰「韻英」十卷。 (2-5-2)中電CBETA:一切經音義卷第九十:翻經沙門慧琳撰:前高僧傳音下卷:第九巻:劉虯(糾幽反韻英云無角龍也荊州隱土名也捨宅為寺)。 (2-6)【玉篇】(大廣益会玉篇三十巻・張氏重刊宋本玉篇)(TDB):@巻第二十三○龍部第三百八十一{凡八字}龍{力恭切。能幽明大小登天、潜水也。又寵也。和也。君也。萌也。}A巻第二十五○虫部第四百一{五百二十五字}虫{略}…中略…蛟{古爻切。蛟龍也。}虯{奇樛切。無角龍。}螭{丑支切。無角如龍而黄。} (2-7)【廣韻】(五巻・張氏重刊宋本廣韻TDB)@上平聲巻第一:{都宗}冬第二{鐘同用}/ニ○冬{都宗切。七}/三○鐘{職容切。十八}…○龍{通也。和也。寵也。鱗蟲之長也。易曰、雲従龍。又、姓。舜納言龍之後。力鐘切。九}/A上平聲巻第一:{章移}支第五{脂之同用}/五○支{章移切。二十九。}…○摛{丑知切。九}螭{螭無角如龍而黄、北方謂之地螻。}/B下平聲巻第二:{羽求}尤第十八{侯幽同用}/{胡鉤}侯第十九/{於虯}幽第二十/二十○幽{於虯切。七}…○虯{無角龍也。渠幽切、又居幽切、七} (2-8)後漢書馮衍傳注:【後漢書】(WLDB)巻二十八下:馮衍傳第十八下:建武末、上疏自陳曰、臣伏念高祖之略而陳平之謀、…中略…駟素虯而馳騁兮、乗翠雲而相佯。就伯夷而折中兮、得務光而愈明{四馬曰駟。虯龍、之、無角者也。楚詞曰。駟玉虯以乗翳兮。…以下略} (2-9)説文云、虯、龍子有角者:@【説文解字】(徐鉉校訂「大徐本」汲古閣本)(WLDB):虯(篆):龍子有角者。从虫[Ч]聲。{渠幽切}A「説文解字十五巻」TDB)説文解字注:虯(篆):龍無角者。{各本作龍子有角者。今依韻会所據正。然韻会尚誤多子字。李善注、甘泉賦引説文、虯龍無角者、他家所引、作有角、皆誤也。王逸注、離騒天問両’言有角曰龍、無角曰虯。高誘注、淮南同。} (2-10)廣雅:釋魚:記載未見。 この部分だけ複写し忘れのため後日要確認。 (2-11)初学記:古書注参照。 記載未見。要確認。 (2-12)玄應音義:古書注(一切経音義)参照:中電CBETA:一切經音義:記載未見。要確認。 (2-13)集韻:【集韻】(WDB):巻之四平聲四:尤第十八{于求切。與侯幽通}侯第十九{胡溝切}幽第二十{於虬切}…中略…○虯[黽’]{渠幽切。説文龍子有角者或作[黽’]。文十九。}:[草〈早→黽〉]=[黽’]/平聲巻之一:支第五{章移切。與脂之通}:五○支[支/巾]{章移切。}…中略…○摛[扌離]{抽知切。}…螭[多它]彲離{説文若龍而黄、北方謂之地螻。一説、無角螭、或作[多它]彲離。} (2-14)未知此以孰為是也(いまだ、此れ孰れを以って是とするかを知らず。):【広雅疏証】(光緒五年淮南書局重刊本)(巻第十下)釋魚:「皆與説文、廣雅異説、未知孰是。」つまり、王念孫説を参考にして、エキ齊は記している可能性が強い。 |
T1601-02:[多它] (5780):螭に同じ。
【集韻】(WLDB) |
〔3〕螭龍’ 文字集略云、螭、{音知、}龍’之無レ角赤白蒼色也、{○エキ斎按う
。『説文』は、「龍の若(ごと)くにして黄色、北方では、これを地螻(ちろう)と謂う。或いは云う。角無きを螭
(ち)と曰う。」と云う
。『廣雅』は「角無きを龍
(ちりょう)と曰う」と云う。『集韻』は、螭は又、
に作る。つまり、此に云う「龍之無角」と書くところと合う。又、エキ斎按う
。『上林賦』は、「赤螭」(せきち)と云い、楊雄『解嘲』は「絳螭」
(こうち)と云う。ここで云う「蒼」は恐らく衍字であろう。
抄本文読み下し:螭龍(ちりょう) 文字集略は云う。螭。{音は知(ち)}龍の角無くして、赤白(蒼)色なり。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :〔龍〕(その他16画)。参考:虫(虫へん0画):〔125〕虫。 〔注〕(3-1)螭: 前掲注 2-7参照。「ち」。「みずち」「あまりょう」。 (3-2) 「文字集略」注1-1参照。 (3-3) 説文:【説文解字】(徐鉉校訂「大徐本」汲古閣本)(WLDB):若龍而黄、北方謂之地螻、从虫离聲、或云、無角曰螭。丑知切。 (3-4) (3-5)上林賦:司馬相如「上林賦」(じょうりんのふ)。 (3-6)楊雄:(前53〜紀元18年)漢の思想家。字は「子雲」。「法言」「楊雄方言」。 『文選』巻35の揚雄「解嘲」に「絳螭」見えず。『漢書』第87下楊雄伝下第五十七の「楊子曰」(WLDB本6丁表)に続く「解難其辞曰」 (8丁表)のセクションに「独不見夫翠、糾絳螭之將登乎天」 が載る。顔師古注に「師古曰虯螭解並在前」とあり、87上揚雄傳上に「駟蒼螭兮六素虯」の注に「師古曰。四六駕数也。言或四或六也。螭似龍一名地螻、虯即龍之無角者」という。順原文は、この「蒼螭」をイメージしてのものかもしれない。とすれば、衍字「蒼」も、この漢書揚雄傳の記述をも指すのか。要検討。絳=コウ:深紅の赤。……エキ齊の記載ミスか、自筆原本からの版本化の際のミスか、確認の要あり。 |
〔4〕蛟 説文云、蛟、{音交、美都知、日本紀私記用二大虯二字一、 }{○下総本は、「和名」二字あり。」廣本は、「虯」 を「虬」に作る。廣本は「私記」の二字は無い。是れに似て、「大虬」 は、(『日本書紀』巻第十一)「仁徳六十七年紀」に見える。 }
抄本文読み下し:蛟 説文は云う。蛟{音は交(こう)。美都知(みづち)。日本紀私記は、大虯の二字を用う。} 。/龍の属なり。山海経は云う。蛟は、虵に似て四脚。池魚は二千六百を満たし、則ち蛟来たりて之の長となす。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :〔龍〕(その他16画)。→〔蛟〕含む。参考:虫(虫へん0画):〔125〕虫。 〔注〕(4-1)蛟:こう。みずち。 (1)【類聚名義抄(観智院本)】蛟{⊥交。ミツチ。}虬虯{⊥球、二正、龍。}大虬{ミツチ}(2)参考:【新撰字鏡(天治本)】蛟{胡肴反。龍名、美止知。}:ミトチ。龍魚部の箋注に「新撰字鏡」が引用されるのは、〔6〕鯨鯨からであり、注(6-6)参照。 (4-2) 「説文」虫部:龍之属也、池魚満三千六百、蛟来為之長、能率魚飛、置笱水中、即蛟去。从虫交聲。古肴切。 (4-3)日本紀私記:古書注参照。 (4-4)日本書紀巻第十一「仁徳天皇六十七年」:有大虬、令苦人:是歳、吉備中国の川嶋河の派に、大虬(みつち)有りて人を苦びしむ。(岩波文庫版(二)276頁) |
龍’之属也、山海経云、蛟似レ虵而四脚、池魚満二二千六百一、則蛟来為二之長一{○『説文
』虫部は「蛟、龍之属也、池魚満二三千六百一、蛟来為二之長一」と云う。又、『山海経』「南山経」は、「禱過(とうか)の山より(ぎんすい)出でて、その水中に虎蛟(ここう)多し。」と云う。
郭璞「注」は、「蛟は蛇に似て四足、龍の属」と云う。此の順抄文にある引用は、『説文』『山海経』の二書からのものであって、錯出殽雑した記述になっている。然るに、『太平御覧』は、此の引用と全く同じである。疑うらくは、『修文殿御覧』が二書から引用して伝写に際して錯誤したものを、源君及び李ムが
、いずれもそのまま踏襲し引用したものによるのであろう。廣本は、『山海経』の下に注字あり、是に似て、「二千」とあるのは、『説文』に従い「三千」と作るにあたるものであろう。天文本は、「池魚」以下十三字なく、伊勢廣本も同じである。」
エキ齊按う。蛟をもって「美都知」とし、大虯をもって「美都知」とする。その説は同じではなく、蛟の一名は大虯ではない。
又、エキ斎按う。『万葉集』に「虎爾乗古屋乎越而青淵爾鮫龍取將來劔刀毛我」(とらにのりふるやをこえてあをぶちにみづちとりこむつるぎたちもが)と云う。「鮫龍」は即ち「虯龍」の異文である 。『中庸』の「黿鼉鮫龍」(げんだこうりゅう)、『釈文』は、もと「蛟」に 作る のが、是である。宜く「美都知」「若多都」と訓む。今本「左女(サメ)」と訓むのは、「鮫」字によるものであるが、誤りである。『淮南子』「道應訓」に「蛟龍水居」とあり、その注に、「蛟は水蛟、その皮に珠あり、世人は刀剣の口となす。」とし、注 者、高誘は蛟龍をもって鮫魚となしたが、其の誤りは『万葉集』の旧訓と同一である。}
抄本文読み下し:蛟 説文は云う。蛟{音は交(こう)。美都知(みづち)。日本紀私記は、大虯の二字を用う。} 。/龍の属なり。山海経は云う。蛟は、虵に似て四脚。池魚は二千六百を満たし、則ち蛟来たりて之の長となす。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :〔龍〕(その他16画)。参考:虫(虫へん0画):〔125〕虫。 〔注〕(4-5)山海経:古書注参照:南山経: 郭璞注:山海経の郭璞注記:【山海経箋疏】(WLDB)山海経第一「南山経」南次三経之首曰天虞之山、…中略…東五百里禱過之山、…中略…[浬〈里→艮〉]水出焉、而南流注于海、其中有虎蛟 {【郭注】蛟似蛇四足龍属。 【郝疏】懿行案。郭氏江賦云、水物怪錯、虎蛟鉤蛇、本此水経注引裴淵広州記云、[浬〈里→艮〉]水有錯魚、博物志云、東海蛟錯魚生子、子驚還入母腸、尋復出與水経注合、疑、蛟錯即虎蛟矣、所以謂之虎者初学記三十巻引沈宝臨海水土異物志云、虎錯長五尺黄K斑耳目歯牙有似虎形、唯無毛或変化成虎、然則虎蛟之名蓋以此又任ム述異記云、虎魚老者為蛟疑、別是一物也}、其状魚身而蛇尾、其音如鴛鴦、食者不腫{【郝疏】懿行案、説文云、腫癰也}、可以已痔{【郝疏】懿行案、説文云、痔後病也}。 (4-5)錯出殽雑:錯雑、混じって。 (4-6)修文殿御覧:古書注参照。:「太平御覧」の元となったとされる北斉に成立した類書。梁の「華林遍略」と並び称される。亡佚書。【エキ齊・和名抄引書】(63丁オ)御覧{目録。[番]魚。水滴器。}/[隋志]{雑}聖壽堂御覧三百六十巻/[旧志]{類書}修文殿御覧{三百六十巻}[新志]{類書}祖孝徴等修文殿御覧三百六十巻[現在] 。 (4-7)李ム等:「太平御覧」宋の太宗の命により977年成立した1000巻の類書。李ム(925〜996年)らが編撰。 (4-8)万葉集:古書注参照。第16巻・3833:岩波文庫本:「新訂新訓 万葉集」(佐々木信綱編)下巻176頁:虎(とら)に乗り古屋(ふるや)を越えて青淵(ぶち)に鮫龍(みづち)とち来(こ)む劔立(つるぎたち)もが:[題詞]境部王(さかひべのおほきみ)、數種の物を詠める歌一首{穂積親王の子なり} (4-9)中庸:礼記中庸(巻十六第三十一):今夫水,一勺之多,及其不測,黿鼉鮫龍魚鼈生焉,貨財殖焉。「天地の道は一言にして尽くすべきなり云々」のセクション。引用の訓みは「げんだこうりゅう」。読み下しは「今夫レ水ハ一勺ノ多キナリ、其ノ測ラザルニ及ビテハ黿鼉鮫龍魚鼈(ゲンダコウリュウギョベツ)生ジ貨財殖ス」:(天地自然のありよう〔道〕は博く深く厚く、そしてあくまでも高く光明にあふれ、無限にはるかで永遠に久しいものである)ということを受けて、「そもそもこの水系の世界は、ただのひと勺いの水が集まり、それが測りしれない多きなものになると、この水世界には黿鼉(げんだ)や、鮫龍(こうりゅう)や、魚鼈(ぎょ べつ)のいけるものたちが生まれそして棲み、そして真珠や珊瑚のような財宝となるものも殖産されるのである」。黿鼉を字義通り訳せば「おおきなかめ」と「わに」となるが、そのような象徴的な水棲動物たちを指すと考えてよいだろう。鮫は蛟と同で、龍と一緒になって「ミズチやタツなどのいろいろな龍たち」でよいだろう。魚鼈は、現実世界でも確認のできている「魚や亀たち」という義であろう。鮫は、明らかに現代理解する「サメ」ではない。 (4-9)淮南子道応訓:「道応訓第十二」に「蛟龍水居」の記述なし。「原道訓第一」に載る。「夫萍樹根于水、木樹根於土、鳥排虚而飛、獸蹠實而走、蛟龍水居、虎豹山處、天地之性也。」()(そもそも、浮き草が水に根を生やし、樹木が大地に根付き、鳥が虚空を飛び、獣は実に地を踏みつけながら走り、蛟龍が水に棲み付き、虎豹は山をねぐらにする、それ、すべて天地の性である……というような意味)。「蛟、水蛟、其皮有珠、世人以為刀劍之口」高誘注は原典出所未確認。 |
〔5〕魚 文字集略云、魚{語居反、宇乎、俗云伊乎、 }{○下総本は、「和名」二字あり。」『日本書紀 』「神代紀」に、魚を「宇乎」(うを)と訓む。 「紆鳴」(うを)は又、継体紀春日皇女歌に見える。「伊乎」( いを)は、『栄花物語』「楚王の夢」巻、「御裳着」(おんもぎ)の巻に見える。}
抄本文読み下し:魚 文字集略は云う。魚{語居の反。魚(うお)。俗に伊乎と云う。/水中連行するものにして、蟲の惣名なり。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[魚]。 〔注〕(5-1)文字集略:古書注参照。前掲注 (1-1)。 (5-2)神代紀魚:【日本書紀】(岩波文庫)(一)(222頁) 『日本書紀』巻3 ・神武天皇即位前紀戊午年(つちのえ・うま・とし)九月(ながつき)條:天皇又因祈之曰……吾今当以厳瓮天……沈于丹生之川。如魚無大小、悉酔而流。……乃沈瓮於川。其口向下。頃之魚皆浮出……。:天皇、又因りて祈(うけ)ひて曰 (のたま)はく、……「吾今当(われいままさ)に厳瓮(いつへ)を以(も)て丹生之川(にうのかは)に沈めむ。如し魚(いを)大 (おほ)きなり小(ちひさ)しと無く、悉(ふつく)に酔(ゑ)ひて流れむこと、……」とのたまひて、……しばらくありて、魚(いを)皆浮き出 でて、水の随(まま)に噞喁(あぎと)ふ。……岩波文庫版では「魚:いを」と訓み、「うを」の訓みは、神代紀第一段「開闢(あめつちひら)くる始に云々、譬へば游ぶ魚(いを)の水上に浮けるが猶し。」 (16頁)ほか、原文「魚」を「いを」と訓み、「うを」を見ない。他のテキスト に、神代紀第一段の魚の訓みをみると、『伴信友校 日本書紀』(慶長4年清原國賢跋:慶長15年野子三白跋:明治16年岸田銀香刊)(KLDB)、飯田武郷『日本書紀通釈』いずれも「うを」 と訓む。また、岩波文庫本『古事記伝』(一)(187頁)に、「タダヨヘル」の注に、宣長は「書紀に、開闢之始(アメツチハジメノトキ)、云々、譬二猶游魚之浮水上一也云々。(ウヲノミヅニウケルガゴトキナリキ)」と訓んでいる。 (5-2-2)魚を、ナ、トト、ウヲ、イヲと呼ぶ、それぞれの呼びわけについて、宣長の整理を『古事記伝』 (古書注参照)に見てみることにしよう。(1)(4-19p)鳥遊は、登理能阿曽備(トリノアソビ)と訓べし。…中略…野山海川に出て、鳥を狩(カリ)て遊(アソ)ぶをいふなり。…中略…是レ狩(カリ)をも遊(アソ)びと云証なり。…中略…是レもなほ魚釣(ナツル)を云なるべし。○取魚は、師の須那杼理(スナドリ)と訓れつるぞ宜しき。(2)(4-87p)○真魚咋は、麻那具比(マナグヒ)と訓べし。魚(ウヲ)を那(ナ)と云は、饌(ケ)に用る時の名なり。【只何となく海川にあるなどをば、宇乎(ウヲ)と云て、那(ナ)とは云ハず。此ノけぢめを心得おくべし。】書紀ノ持統ノ巻に、八釣魚(ヤツリナ)てふ蝦夷(エミシ)の名の訓注に、魚此ヲ云レ灘(ナト)。万葉五【二十三丁】に奈都良須(ナツラス)、【魚釣(ナツラス)なり。】これら釣魚(ツルウヲ)は、饌(ケ)の料なる故に、那(ナ)と云り。…中略…さて菜(ナ)も本は同言にて、魚にまれ菜にまれ、飯に副(そへ)て食(ケフ)物を凡て那(ナ)と云なり。…中略…万葉十一【四十二丁】に、朝魚夕菜(アサナユフナ)、これ朝も夕も那(ナ)は一ツなるに、魚と菜と字を替て書るは、魚菜に渉る名なるが故なり。さて其ノ那(ナ)の中に、菜よりも魚をば殊に賞(メデ)て、美(ウマ)き物とする故に、称(ホメ)て真那(マナ)とは云り。【故レ麻那は魚に限りて、菜にはわたらぬ名なり。今ノ世に麻那箸(マナバシ)麻那板(マナイタ)など云も、魚を料理(トトノフ)る具に限れる名なり。】さて、真魚咋(マナグヒ)と云名目(ナ)は中昔の記録ぶみなどに、魚-味と云ヒ、今ノ俗に魚-類の料-理と云ほどのことゝ聞ゆ。(3)○如ニ魚鱗一所造之宮室(イロコノゴトツクレルミヤ)。魚鱗は伊呂古(イロコ)と訓べし。和名抄に、唐韻ニ云ク、鱗ハ魚ノ甲也。文字集略ニ云ク、龍魚ノ属ノ衣ヲ曰レ鱗ト。和名以呂久都(イロクツ)。俗云伊呂古(イロコ)。字鏡には、鰭ハ魚ノ背上ノ骨、又伊呂己(イロコ)とあり。【和名抄に、以呂久都と云るは心得ず。又伊呂己をば、俗云とあれど、俗には非じ。さて又これを、今は宇呂古と云フ。此ノ宇(ウ)と伊(イ)とは、何れか古へならむ。魚をも、中昔には伊袁(イヲ)と云へれども、今は多く宇袁(ウヲ)と云を、古言にも宇袁(ウヲ)と云り。然れば、鱗も、中昔にこそ伊呂古(イロコ)とのみ云ヘれ、古事は宇呂古(ウロコ)なりけむも知リがたし。されど古書に然云るを未ダ見ざれば、姑ク和名抄に随ひて訓るなり。】(4)(筑摩書房本居宣長全集第十一巻)三十一之巻○御食之魚は、美氣能那(ミケノナ)と訓べし、【又魚を、麻那(マナ)とも訓べし、上巻に、真魚(マナ)とあると同じければなり、】大神の御饌(ミケ)の料の魚なり、【 又御食(ケ)を、太子へ係(カケ)て、太子の御饌の料の魚と見ても通(キコ)ゆ、天皇は凡て己レ命の御うへにも御某(ミナニ)と詔ふこと常なれば、太子も准へて御自(ミミヅカラ)も御気(ミケ)と詔ふべし、されど於レ我(アレニ)とあるよりのつゞきを思ふに、なほ大神の御食の魚と見る方まさるべし、】魚は、食ノ料にするをば、凡て那(ナ)と云例なり、【 此事上に既に出ヅ、】さて如此我(カクアレ)に御食の魚(ナ)給へりとある、一言に、大神の御恵(ミメグミ)を深く辱(カタジケナ)み喜(ヨロコ)び謝(マヲ)し賜ふ意おのづから備(ソナ)はりて聞ゆ、【 古語は簡(コトズクナ)にして、かく美(メデタ)がりき、かの書紀の漢(カエア)ざまの潤色(カザリ)の語の多くうるさきと思ひ比(クラ)ぶべし、】 (5-3)紆鳴:継体紀春日皇女歌:『日本書紀』巻十七継体天皇七年九月條(岩波文庫版181〜182p):莒母唎矩能……以簸例能伊開能/美那矢駄府/紆鳴謨/紆陪[仁(二→爾)]堤々那皚矩……:陰国(こもりく)の……磐余(いはれ)の池の、水下(みなした)ふ、魚(うを)も、上(うへ)に出て嘆く……。
(5-4)栄花物語、楚王夢、御裳着:
岩波書店『日本古典文学大系』(旧版)(75・76巻)『榮花物語』(梅沢本。旧三条西家本):第76巻:(1)卷第十九:御裳ぎ:114頁(4〜7行):僧前(そうぜん)などこの殿にて仕(つか)うまつるべき仰言(おほせごと)…中略…講師達(かうじたち)、中心のどかなるところにて、…中略…「十千の魚、十二部經の首題の名字を聞(き)ゝて、…後略。 |
水中連行蟲之惣名也、{○下総本に之の字なし。伊勢広本も同じ。エキ斎按う。『周禮』「考工記 」「梓人(しじん)」注に、「連行魚属」と云う。阮氏の蓋本(文字集略)は此による。『説文』は「魚、水蟲也、象形、魚尾は燕尾と相似る」とある。}
抄本文読み下し:魚 文字集略は云う。魚{語居の反。魚(うお)。俗に伊乎と云う。/水中連行するものにして、蟲の惣名なり。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[魚]。 〔注〕(5-5)水中連行:蟲:考工記梓人:周礼冬官考工記第六:「梓人為筍虡」:梓人(しじん)は工作を司る。「筍虡」(ジュンキョ)は、鐘(かね)や磬(けい)をかけてつるして楽器とした道具。動物や魚類などの形をしたものを 掛けたり、その道具に彫刻したらしい。そのいわれが書いてあるが、ちょっと難しいので後日調べて触れることにする。そこに、獣(「大獣」)を五にわけ、「脂者=牛羊属」(ウシやヒツジのなかま)、「膏者=豕属」(ブタのなかま)、「蠃者=虎豹貔[貓(苗→离)]属」(浅毛:薄毛のケモノの仲間)、「羽者=羽鳥属」(羽を持つ鳥のなかま)、「鱗者=龍蛇属」(龍蛇の仲間で鱗を持つ生物のなかま)とする。前二者の「脂者」と「膏者」は祭祀の牲(いけにえ)として使うためであり、後三者の「蠃者」「羽者」「鱗者」は、筍虡の道具の使用についてとして述べている。次に、この三つの生き物たちを、外形や骨(甲羅)のつき方、前進する際の這い方を、郤行(隙間を空けて進むもの?)、横ばいするもの、連れ添って群れを成すもの(連行魚属)、くねくねと進むもの(紆行蛇属)、次に鳴き方飛び方及び小さな虫の仲間で分類する。詳細は略すが、「外骨、内骨、郤行、仄行、連行、紆行、以脰鳴者、以注鳴者、以旁鳴者、以翼鳴者、以股’鳴者、以胸鳴者、云之、小蟲之属、以為雕琢」。当時の、生物を外形や行動形態、殻や甲羅や鱗の有無、鳴き方などで分類して識別する方式が述べられて興味深い。森枳園(立之)著に「千魚一観録」という魚類を、行動や外形など観察者の目を第一義的に識別の基準に置き分類を試みた「奇書」ともいえる本が手元にある。森は、エキ齊から渋江抽斎を継承する考証学の系譜に位置し、また医学を学び、後明治維新後漢方医方の教祖的な立場にたった人物だが、実は、このような西欧分類学がわが国に定着する過程にあって、考証と科学とを結びつけるような観察眼を生かした経験科学の試行(思考)を行った人物でもある。この書は、魚類学の上から観て非科学的であって噴飯モノときって棄てられて、翻刻も科学者による紹介も全く為されてこなかった書物だが、日本が西欧科学が席巻するにいたる過程(明治15年記載自筆校本)で、あえて、西欧分類学には目もくれず、東洋的学と自然観察眼を機軸に、魚類を分類した意欲的な業績として再評価を加えるべき価値があるのではないかと思う。これはのちに稿を改めて触れたい。 (5-7)説文(TDB『説文解字十五巻』):魚、水蟲也。象形、魚尾與燕尾相佀。〔段注〕{其尾皆枝故象枝形、非从火也。語居切、五部}凡魚之属皆从魚。(佀=似) |
〔6〕鯨鯢 唐韻云、大魚、雄曰レ鯨、{渠京反 、}雌曰レ鯢、{音蜺、久知良}{○『廣韻 』は、「鯨」を[畺]に作り、下に「鯨」字を出し、「上同」と云う。伊勢廣本は、鯨は、[亰]に作る。那波道圓本も同じ。」エキ齊按う 。『龍龕手鑑』は、「鯨或[亰]」に作る。下総本和名二字あり。區[施(也→尼) ]’羅(クヂラ)は、『日本書紀』「神武紀」の御歌に見ゆ。『本草和名』に載る「鯨」、『日本書紀』「敏達紀」に載る「鯨魚」と同じ訓みであろう。『新撰字鏡』は、「鼇」 に「久知良」、「鯢」に「女久知良」(メクヂラ)の訓みを載せている。}。
抄本文読み下し:鯨鯢 唐韻は云う。大魚。雄は鯨{渠京の反}と曰い、雌は鯢{音は蜺(ゲイ)。久知良(クヂラ)。}と曰う。/淮南子曰く。鯨鯢、魚之王なり。 〔注〕(6-1)唐韻:古書注参照:最古の韻書「切韻」(601年、陸法言撰)の修訂版として 8世紀中ごろ成立。5巻だが亡失して伝わらない。『唐韻』を修訂したものが『広韻』(大宋重修広韻:だいそうちょうしゅうこういん:古書注参照)で陳彭年らによって1008年成立。 【廣韻】(五巻・張氏重刊宋本廣韻TDB):下平聲巻第二:{古行}庚第十二{耕清同用}:十二○庚{古行切。十二}…○フ{擧也。渠京切。十一}[畺]{大魚。雄曰[畺]、雌曰鯢。}鯨{上同}A下平聲巻第二:{與早}陽第十{唐同用}:○強{巨良切。四}[畺]{鯨魚別名、又其京切。} (6-2)龍龕手鑑 :古書注参照。:@【龍龕手鑑】(KDB):第三巻魚部第三十五。[平聲]○鯨{音フー鯢魚王也又雄曰ー雄曰鯢也}/[亰]/[畺]{或作}/[敬]{俗}/○鯢{正 。五兮切。鯨ー也}/[児]{通}A【龍龕手鑑】(WLDB):巻一下平聲:魚部第三十五:[敬]{俗}/[畺]{或作} /鯨{通}/[亰]{正。音フ[亰]鯢魚正也。又雄曰[亰]、雌曰鯢也。四。}/鯢{通。}/[児]{正。五兮反。鯨[児]也。ニ。} (6-2-2)エキ齊が箋注の際に手元においていた『龍龕手鑑』は、ここで MANAが参照した京大蔵本(KLDB、8巻本)とも、早大蔵本(WLDB、4巻本)とも異なり、わが国刊本の原本となったとされる「朝鮮国刊本」で、『経籍訪古志』巻第二に載る「龍龕手鑑八巻」(朝鮮国刊本・求古楼蔵)。「求古楼」とは狩谷エキ斎蔵書印に記す号(湯島狩谷氏求古楼図書記)であり、書誌に次のように載る。「遼僧行均字廣濟集、有統和五年沙門智光序、毎巻首有全(金イ)州郷校上五字、又有一印、{文字漫滅不可読}共出韓人、又有蟠桃院印、及如実庵図書記印、此本原係能登石動山僧大惠旧物、大惠没後帰求古楼、」この経緯については、木村正辞「欟齋雑攷」巻2「龍龕手鑑」(前記古書注)参照。 (6-3)區[施(也→尼]’羅 :區旎羅佐夜(くぢらさや):日本書紀巻3神武天皇即位前紀戊午(つちのえうまの)年八月(214頁)「莬田の高城に……」の歌に含まれる。「……辭藝破佐夜羅孺、伊殊區波辭、區旎羅佐夜離、固奈瀰餓、那居波佐麼、……」(しきはさやらす、いすくはし、くちらさやり、こなみか、) について、文庫版では、區旎([施(也→尼])羅(クヂラ)を「鷹等」として、「……わなを仕掛けてまっていると、鴫はかからず鷹がかかった。これは大漁だ……」(訳:講談社学術文庫「日本書紀(上)」96頁参照) と訳す。「くち:鷹の総称:古事類苑・動物部・鷹934頁:八雲御抄三下鳥」からだが、もうひとつの解釈が「くぢらさや:鯨障」と「鯨」説である。 岩波文庫版も、補注巻第三12(396p下段)で、「イスクハシの語義未詳、クヂラにかかる形容語。仁徳紀に、鷹をクチという由の注があるので鷹と解するが、クヂラは鯨の意ととるべきか。イスクハシを形容語として挿入したものか。磯細(くは)しの意か。……以下略」と鯨説に言及している。同歌は、古事記中巻神武天皇東征にあり(岩波古典文学大系156〜157p)に載る。注記(倉野憲司)に、「いすくはし」は「未詳」とある。同補注に「イスクハシは勇細(イサクハシ)で、鯨の枕詞であると記伝〔MANA:古事記伝〕は説き、武田博士はイススキ(身ぶるいすること)のイスに花グハシ、などの名グハシなどのクハシが接続して、身ぶるいの精妙なるの意をなして、次のクヂラ(鷹ら)の枕詞としたのであろうとされている。」を載せる。また「くぢら」の注記に「記伝は鯨年、武田博士は新村博士の説によって『鷹ら』(仁徳紀に『百済俗、号此鳥曰倶知。』とあって、その下に『是今時鷹也』と分注している)としておられるが、共にしっくりしない。」のだという。古事記伝にも載る「くぢら:鯨」説については、本注が長くなるので真名真魚字典「鯨」項に載せる。 (6-4)本草和名:古書注参照:鯨:真名真魚字典「鯨」項に載せる。 (6-5)日本書紀敏達紀「鯨魚」:真名真魚字典「鯨」項に載せる。 (6-6)新撰字鏡:古書注参照:真名真魚字典「鯨」項に載せる。 エキ齊の読んだ「新撰字鏡」は、「久知良」の「知」により、「享和本」あるいは、「享和本」を本に編んだ「群書類従」本であることがわかる。これらは抄本であり、完本である天治本は、いまだ世に現れていなかった。箋注成稿(文政3・1827年)ののち、完全な内容の傳本が、まず文政年中に巻2、巻4が発見され、安政3・1856年に残10巻が発見され、「新撰字鏡」(天治本)12巻の全貌がしられることになったのである。 |
【龍龕手鑑】(KLDB)〔平聲〕魚部第三十五
注(6-3)區[施(也→尼)羅:
區 旎 羅
=くぢら |
淮南子云、鯨鯢、魚之王也、{○引用する文は原書(『淮南子』)には載っていない。エキ齊按う 。『慧琳音義』は、『淮南子』を引用し「鯨魚死而慧星出」と云い、また、「許叔重」(『淮南子注』)を引用して、「鯨魚之王也」と曰う。則ち、ここに引用した文は、許慎 『淮南子注』から引用した注文であって、『淮南子』から直接引用したものではない。さらに、「鯢」の字はおそらく衍字であろう。」又、エキ斎按う 。「鯨魚死而慧星出」は 、『淮南子』「天文訓」、及び「覧冥訓」に見える。
『説文』は、「[畺]、海大魚也。春秋伝曰、取二其 [畺]鯢一」という。また、続けて鯨(篆)字を載せ、鯨は「 [畺]或从レ京」とし、鯢字を載せていない。別に「鯢」を 条目としてあげ、「剌(盧達切:ラツ)魚」と云っている が、ここにおける用例には合うものではない。エキ斎按う。『淮南子』も、「西京賦」薛綜注も、皆、「鯨大魚」と云う。 また、『春秋左氏伝』宣公十二年、「左伝正義」は、(晋の)裴淵「広州記」を引用し、また「呉都賦」「劉逵注」は、「異物志」を引用し、いずれも「雄曰鯨、雌曰鯢」と 云う。また、劉逵は、「一説に、鯨は鳳を言うがごとく、鯢は皇を言うがごとくなり。」と云う。王念孫は、「雌鯨は之れを鯢と為すごとく、また雌虹は之れを蜺と為 すなり」と曰う。}
抄本文読み下し:鯨鯢 唐韻は云う。大魚。雄は鯨{渠京の反}と曰い、雌は鯢{音は蜺(ゲイ)。久知良(クヂラ)。}と曰う。/淮南子曰く。鯨鯢、魚之王なり。 〔注〕(6-7) 魚之王:「淮南子」本文には確かに載っていない。慧琳音義:@一切経音義巻十五:鯨鯢:上渠迎反、説文云海中大魚也、淮南子云鯨魚死而彗星出、左傳云大魚也、許叔重曰魚之王也、或作[畺]下音霓、杜注左傳云[此/隹]鯨也、説文刺魚也、並形聲字。〔[此/隹]=雌〕A同第56巻:鯨鷁:又作[畺]同渠京反、許叔重注淮南子云、鯨魚之王也、異物志云、鯨魚數里或死、沙中云、得之者皆無目俗云其目化為明月珠也鯢鯨之雌者也、左傳鯨鯢大魚也、説文作[兒+鳥]、司馬相如作[赤+鳥]或作[畐+鳥]、埤蒼作[舟+益]、字書作鷁同五歴’反水鳥也善高飛也。B第81巻:鯨海:上[竝/見]迎反、許叔重曰、鯨魚之王、字統從畺作[畺]海中大魚也、長千餘里、説文從魚畺聲今從京作鯨通用字。〔[竝/見]=竟・竸・競〕/鯨波:巨迎反、許叔重注、淮南子云鯨魚海中最大魚也、説文亦同或作[畺]字。C第83巻 、第86巻:鯨鯢:@とほぼ同略。D第92巻:@、Aとほぼ同略(但し杜注左傳云鯨鯢大魚也、に続けて「顧野王云鮑食小魚也」を載せる)……「中華電子佛典協會(CBETA)」(大正新脩大藏經 第五十四冊 No. 2128《一切經音義》CBETA 電子佛典 V1.85 普及版)より。 (6-8)許叔重:許慎。「隋書経籍志」にいう、「淮南子二十一巻{漢淮南王劉安撰許慎注}」であり、「鴻烈間詁」と呼ばれる。 古書注淮南子参照。 (6-9)許慎注文:「新美篇・輯佚資料」(参考文献)第七雑家類「淮南子許氏注:天文訓」:鯨魚死而彗星出/鯨魚之王也、並慧琳音義十五、五十六、八十一、八十三、八十六、九十二、玄應音義十九、諸道勘文四十五、又慧琳音義引注云鯨魚海中最大魚也。 (6-10)天文訓及覧冥訓:『淮南子』巻三「天文訓」、巻六「覧冥訓」(箋注原文「冥覧訓」は「覧冥訓」が正しい。 (6-11)説文 (段注):@[畺](篆)海大魚也{〔段注〕此海中魚最’大者、字亦作鯨、羽獵賦作京、京大也。}从魚畺聲{〔段注〕渠京切、古音在十部。}春秋伝曰取其[畺]鯢。{〔段注〕宣公十二年左氏伝文、劉淵林注、呉都賦、裴淵広州記、皆云、雄曰鯢、雌曰鯢、是此鯢非刺魚也。}鯨(篆)[畺]或从京{〔段注〕古京音如姜} 。A鯢(篆)剌魚也。{剌、盧達切、或作刺者誤。剌魚者乖、剌之魚謂其如小皃能縁木、史漢謂之人魚。釋魚曰、鯢大者謂之鰕。郭云、今鯢魚似鮎四脚、前似彌猴、後似狗、聲如小皃啼、大者長八九尺、別名鰕。按此魚見書傳者、不下數十處、而人不之信少見、則多怪也。余在雅州親見之、廣雅[内]鯢也。亦謂此集韵有[剌/魚]字、剌之俗。}从魚兒聲。{形與聲皆如小皃、故从兒、舉形聲關會意也。五雞切。十六部。}……「史漢謂之人魚」の「史漢」とは、「史記」と「漢書」を並べてこう呼ぶ。 (6-12)不載鯢字(鯢字を載せず):前注記に見るように、[畺]を正篆としてあげ、続けて、「鯨」の篆字を載せている説文の同一記事中には、「鯢字を載せず」という意味であろう。 (6-13)西京賦薛綜注:『文選』「西京賦」:海若游於玄渚、鯨魚失流而蹉跎。{薛綜注:海若、海神。鯨、大魚。善曰。楚辭曰。令海若舞馮夷。又曰。臨沅、湘之玄淵。薛君韓詩章句曰。水一溢而為渚。三輔舊事曰。清淵北、有鯨魚、刻石為之、長三丈。楚辭曰。驥垂兩耳、中阪蹉跎。廣雅曰。蹉跎、失足也。 (6-14)@春秋左氏伝、宣公十二年:KDB『十三經註疏』「春秋左傳註疏六十卷」第二十三巻二十八オ:武非吾功也、古者明王伐不敬、取其鯨鯢而封之以為大戮、於是乎有京観以懲淫慝:「其の鯨鯢(ゲイゲイ)を取りて之を封じ、以て大戮(タイリク)と為す 」として、鯨を悪逆の巨魁(白川静)と譬え 「懲淫慝」す記述を載せる。A左伝正義引裴淵広州記:晉・杜預:註:鯨鯢大魚名、以喩不義之人呑食国{唐・陸コ明音義○鯨、其京反、鯢、五兮反、懲、直升反、慝、他得反}、唐・孔穎達:疏:【注】鯨鯢大魚名、○正義曰、裴淵広州記云、鯨鯢長百尺、雄曰鯨、雌曰鯢、目即名月珠也、故死即不見、眼晴也、周處風土記云、鯨鯢海中大魚也、俗説出入穴即為朝水。 (6-13)呉都賦劉逵注: 【文選・呉都賦】(TLDB)@異物志云:鯨魚、長者數 千里、雄曰鯨、雌曰鯢、或死於沙上、得之者皆無目、俗言其目化為明月珠。……中略……一説曰。鯨猶言鳳、鯢猶言皇也。A「異物志」不詳だが、「新美篇・輯佚資料」地理類に「異物志:後漢・楊孚撰」 が載る。エキ齊は「南州異物志」と併記して載せている。【エキ齊「和名抄引書」】南州異物志[隋志]{地理}異物志一巻{後漢議郎楊孚撰}南州異物志一巻{呉’丹楊太守萬震撰}[旧志]南州異物志一巻{萬震撰}[新志]萬震南州異物志一巻。 なお、「長者数千里、」は、李善注舊本では、「長者数十里、小者数十丈」となっている。 (6-14)王念孫:(オウネンソン:1744〜1832) (古書注参照):清代中期の考証学者。字は懐祖。「廣雅疏証」「読書雑志」ほかを著す。「雌鯨ハ蜺ト為ス」の出典は 『広雅疏証』巻第十下「釋魚:[内]鯢也」か、爾雅釈天の「螮蝀虹也」の釈文であろう。原典未確認のため後補記する。 (6-15)雌鯨:蜺:「虹蜺」「虹霓」(いずれも「コウゲイ」)、「にじ」のこと。爾雅釈天「風雨」(KDB):螮蝀虹也【晉・郭璞註】俗名、美人ト為ス。虹、江東デト呼ブ。{闕名音○螮音啼、蝀丁穴切、雩于句切}蜺挈貳【註】蜺ハ雌虹也。(屈原)離騒ニ見ユ。挈貳其ノ別名。……以下略……【宋 邢[日/丙]疏】螮蝀之ヲ雩ト謂う。……中略……月令ハ季春ノ月ニ虹始テ見ユ。音義ニ云フ。虹雙出ス。鮮盛ナル者ガ雄ト為ス。雄ヲ虹ト曰フ。闇ナル者ハ雌ト為ス。雌ヲ蜺ト曰フ。是レ、陰陽交会ノ気ニシテ、純陰純陽、則チ虹トス。……以下略。 |
〔7〕[孚][布] 臨海異物志云、[孚][布]、{浮布二音、伊流賀、}{○下総本は 、「和名」二字あり。」『新撰字鏡』は、「鮪、伊留加」(イルカ) を載せる。また、『古事記』、『出雲風土記』は、「入鹿」に作る。}、
大魚色黒一浮一没也、{○『臨海異物志』は伝本がない。エキ齊按う。『太平御覧』が『魏武四時食制』を引き、「[孚][布]魚は、黒色で、大きさは百斤ある猪のごとし。黄色い色をして肥え食すべからず。数 体(枚)連なり、浮いたり、沈んだりしながら泳ぐ」と云う。この箇所の引用と同じであろう。」エキ齊按う。 『廣韻』の「鯆」字の注に「鯆[孚]魚名。亦、[布]に作る。」とある。『晋書』『廣雅』に、「[甫/寸][孚]は[菊]也」とある。しかるに、[甫/寸]はまた、鯆の字の異文である、と 『廣韻』に見える。すなわち、[孚][布]をさかさまにしたものの字に似ている。 『四時食制』は、「[孚][市]」に作り、これとほぼ同じ文体になっている。また、『説文』に「[肺(月→魚)]魚也、楽浪番国に出ず」とある。}
抄本文読み下し:[孚][布] 臨海異物志は云う。[孚][布]。 {浮布ニ音。伊流賀(イルカ)。}/大魚、色黒く、一浮一没するなり。/兼名苑は云う。[孚][布]、一名鯆[畢]{甫畢二音。}、一名[敷][常]{敷常二音}。野王案う。一名江豚。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[孚](7画)。鯆(7画)。 〔注〕(7-1)臨海異物志: 古書注参照。輯佚し伝本無し。【エキ齊「和名抄引書」】に、地理書「臨海異物志」とあり、[隋志]地理「臨海水土異物志一巻」{沈瑩撰}と記される。抄のほか、日本にのみ残存する天文を中心とした専門類書「天地瑞祥志」にも同書のことが載る。 (7-2)新撰字鏡:古書注参照。【新撰字鏡(享和本)】魚部七十一(831)鮪’{榮美反。上。伊留’加。} (7-3)古事記:入鹿:古書注参照:古事記中巻仲哀天皇(岩波 大系227p〜/岩波文庫137p〜) 及び「古事記伝」三十一之巻「○毀鼻入鹿魚」の記事はMANA字典「[孚]」の該当テキストをみよ。本セクションの引用記事についても整理して載せたので参照されたい。 (7-4) 出雲風土記:入鹿:古書注参照:「出雲風土記」島根郡 :凡南入海所在雑物、入鹿…中略…海松等之類至多、以下略。 (7-5) 太平御覧が引く魏武四時食制:古書注「太平御覧」、「四時食制経」 参照:『太平御覧』九百三十八巻:鱗介部十一:[孚][市]魚 :魏武四時食制云、[孚][市]魚黒色、大如百斤豬、黄肥不可食、数枚相随、一浮一沈、一名数常見首、出淮及五湖。 (7-6) 百斤:斤:重さの単位:一斤16両、周代256グラム、唐以後は約600グラム。現代中国は500グラム。 (7-7)廣韻、鯆:【廣韻】(TDB):古書注参照:@上平聲巻一:{遇倶}虞第十{模同用}:十○虞{遇倶切。}○敷{芳無切。三十六}[孚]{魚名}/十一○模{莫胡切。十二}…○逋{博孤切。十三}鯆{鯆[孚]魚名、亦作[布]。}…○[禾専]{普胡切。十二}鯆{魚名、又江豚、別名天欲風則見。}鱄{上同}A上聲巻三 :九○麌{虞矩切。三}…○甫{方矩切。十九}脯…鯆{大魚} (7-8)晉書::古書注参照: 注(7-15)参照。 (7-9)廣雅:[甫/寸][孚][菊]也:【広雅疏証】( 王念孫)(光緒五年淮南書局重刊本)(巻第十下)(二十一丁表〜同丁裏)釋魚:[甫/寸][孚]、[匊]也。{説文、[匊]魚也。出 樂浪潘國、一曰、[匊]出九江、有両乳、一曰溥浮、與[甫/寸][孚]同。玉篇、[甫/寸][孚]魚、一名江豚、欲風則踊。[甫/寸]、一作鯆、晉書夏統傳、初作鯔[烏’]躍、後作鯆[孚]引、何超音義引埤蒼云、鯆[孚]、[匊]魚也、一名江豚、多膏少肉。[甫/寸][孚]之転語為[孚][市]。説文、[市]、魚也、出樂浪潘國。御覧引魏武四時食’制云、[孚][市]魚黒色、大如百斤豬、黄肥不可食’、数枚相随、一浮一沈、一名敷常見首、出淮及五湖。郭璞、江賦云、魚則江豚海豨。李善注引南越志云、江豚似豬。本草拾遺云、江[豬(者→屯)]状如[豬(者→屯)]、鼻中為声、出没水上、舟人候’之、知大風雨。案即今之江豬是也。海豬以江豬而大、一名奔[孚]。江賦注引臨海水土記云、海豨豕頭、身長九尺。本草拾遺云、海[豬(者→屯)]生大海水中、候’風潮出没、形如[豬(者→屯)]、鼻中為声、脳上有穴、噴水直上、百数為羣。酉陽雑俎云、奔[孚]一名[@]、大如船、長二三丈、色如鮎、有両乳在腹下、頂上有孔通頭、気出嚇々、作声必大風、行者以為候’。案説文、[匊]有両乳、奔[孚]有両乳在腹下、則即[匊]魚也。奔[孚][甫/寸][孚]、語之転耳。郭璞注、爾雅、[既’/魚]是[逐]云、尾如[匊]魚、鼻在額上、能作声、少肉多膏。情状與江豚相近。蓋亦[匊]之類也。[匊]、各本譌作[菊]、惟影宋本不譌。} (7-10)説文:説文解字に[孚][布]は載らず、[市](ハイ)と[菊−クサカンムリ](キク)が載る。エキ齊が廣雅を引用した 「[菊]」は、[匊]が正しい。[孚](7画)に整理して載せたので参照されたい。 |
字形参考 [*]:テキストの表記例
[孚]
[市]
[匊]
[普’]
[甫/寸]
[@] (ケイ・ カイ)
[犭屯]
[犭希] || 豨’ |
兼名苑云、[孚][布]一名鯆[畢]、{甫畢二音}、一名[敷][常]{敷常二音}、{○下総本には、[孚][布]の二字がなく、廣本も同様である。」エキ齊按う。[甫][畢]、[敷][常]の二名は、諸書に見ることができず 、『太平御覧』が「四時食制」を引いて「[孚][市]一名を敷常という」といっていることから、[敷][常]は、「敷常」の俗字であろう。}、
抄本文読み下し:[孚][布] 臨海異物志は云う。[孚][布]。{浮布ニ音。伊流賀(イルカ)。}/大魚、色黒く、一浮一没するなり。/兼名苑は云う。[孚][布]、一名鯆[畢]{甫畢二音。}、一名[敷][常]{敷常二音}。/野王案う。一名江豚。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[孚](7画)。鯆(7画)。 〔注〕(7-11)兼名苑:参考古書名注参照。〔10〕人魚、鮫等にも載る。 (7-12)[敷][常]は、「敷常」の俗字:中国の「諸書に見ることができない」とエキ齊も書いているように、要注意字であり、再検討を要する。敷をフと読ませることで、この字がかかわりを持つことはあっても、「常」の字を伴って、「フ・ジョウ」という訓み(東洋文庫「本朝食鑑」4では、訳注者がフジョウのルビをふっている。221ページ)で、[孚][市]、[孚][布]と同義 の俗字とするのは、検討を要す。たとえば、前セクション(7-5)の太平御覧に引用された「魏武四時食制云」の該当箇所は、諸橋大字典では「一名数常見首」と書いてい るが、「数」は「敷」の誤植であろう。また、下総本の写本である「早稲田大学蔵本」「和名類聚抄」五の「龍魚」の[孚][布]の項には、次セクション「一名江豚」に割注し「睹頖’反、上之[布][敷][常]三字為不見不審也」とある。この割注者が、下総本の書写をしたものであるのか、どの段階で書き加えられたものかも、今後検討を要する。 |
野王案一名江豚、{○今本『玉篇』魚部に「[甫/寸][孚]魚は、一名を江豚といい、風を欲するように(水中や水上を)踊る」とあるところを引いたものだろう。
『晉書』「夏統傳」に「鯆[孚]」を作る。『何超音義』が『埤蒼
』を引き、「鯆[孚][匊]魚也、一名江豚、多膏少肉」と云う。『説文』は「[匊]魚也、楽浪番国
に出ず。一に[菊’]と曰う。九江に出でて、両乳有す。一に、溥浮(ふふ)と曰う。」と云う。則ち、[甫/寸][孚]、[鯆][孚]、[孚][布]、[孚][市]は、皆、「溥浮」の俗字である。
『酉陽雑俎』に載せる「奔[孚]」も、また、この語の転じたものであろう。『證類本草』が、陳蔵器(の「本草拾遺」)を引用して、「江[猪(者→屯)]の状は[猪(者→屯)]のようであり、鼻から声を発し、没していたかとおもうと水上に現われでる。海にでて漁師たちは、この様子をうかがい、大風雨を予測する」と書いている。エキ齊按う。江[猪(者→屯)]とは、江豚のことであろう。「出没水上」とは、すなわち
『異物志』の「一浮一没」のことであろう。又、海豨あり、一名海豘、一名
、奔[孚]とも書いている。 郭璞「江賦」に、「江豚海豨」とあり、(『文選』)注に、『臨海水土記
』を引いて「海豨は豕頭、身長九尺」と云う。
陳蔵器は、「海豘(かいとん)は、大海
の水中に生じ、風潮を候(うかが)い出没する。形は豘の如
く、鼻中より声を為す。脳上に孔ありて、直上に水を噴く。百数の群を為す。」と云う。『酉陽雑俎』は、「奔[孚](ほんふ)一名[@](けい)。大きさは船の如くにして、長さは二、三丈。体色は鮎(ナマズ)のようで、腹下に両(ふたつ)の乳がある。頭のてっぺんには孔があり、そこから気を噴出し、赫赫(かくかく)たる声を発すると、必ず大風が吹く。船乗りたちは、これをもって海相(かいしょう)を候(うかが)う。」と
云う。}
抄本文読み下し:[孚][布] 臨海異物志は云う。[孚][布]。 {浮布ニ音。伊流賀(イルカ)。}/大魚、色黒く、一浮一没するなり。/兼名苑は云う。[孚][布]、一名鯆[畢]{甫畢二音。}、一名[敷][常]{敷常二音}。野王案う。一名江豚。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[孚](7画)。鯆(7画)。 〔注〕(7-13) このセクションは、前掲注(7-9)に見るごとく、王念孫『広雅疏証』の「[甫/寸][孚]、[匊]也。」の記述 を内容としている。「王念孫曰」を記していないのは、おそらく、日本で、王念孫研究の大切さを認識していたエキ齊や松崎慊堂らの説文研究の成果の一つとして箋注 をしたのであろうが、出典は明示すべきであろう。 (7-14)顧野王撰「玉篇」:大廣益会玉篇三十巻・張氏重刊宋本玉篇(TDB)魚部第三百九十七 :[甫/寸]{一名江豚、欲風則踊。 }/[孚]{[甫/寸][孚]也.} (7-15)晉書夏統傳:晉書巻九十四:列傳第六十四:隱逸傳 :夏統:統乃操柂正櫓、折旋中流、初作鯔[烏’]躍、後作鯆[孚]引、……「鯔[烏’]躍」は、【諸橋大漢和】に「水中遊戯の状」。 (7-16)何超音義:晋書第百三十巻、付晉書音義三巻。「音義三卷、唐何超撰」:[新志]何超晋書音義三卷處士。 (7-17)埤蒼: 古字書だが、亡佚し伝わらない。新唐書芸文志:「張揖広雅四巻又埤蒼三巻、三蒼訓詁三巻」 (7-18)説文[匊]魚:[孚](7画)参照。 (7-19)酉陽雑俎「奔[孚]」:古書注参照。唐 ・段成式撰になる怪異譚を集めた書。20巻・続集10巻。860年頃成立。 奔[孚]:巻十七広動植之ニ、鱗介篇魚貝類:六七二「奔[孚]」(ほんふ)(平凡社東洋文庫『酉陽雑俎』3、187p):奔[孚]は、一名、[@](けい)という。魚でもなく、蛟(みずち)でもない。大きさは船ほどで、長さは、ニ、三丈ある。色は、なまずに似ている。両乳が腹の下にある。以下略。……[@]は画像参照。原典未確認。 (7-20)証類本草:古書注「証類本草」 参照。:【證類本草】(政和本草:WDB)巻第二十蟲魚部上品総五十種:二十三種陳蔵器餘:20-8-56b1:海豚魚:味鹹、無毒。…中略…生大海中。候風潮出。形如[犭屯]鼻中聲、脳上有孔、噴水直上、百數為羣。人先取得其子、繋著水中、母自來就而取之。其子如蠡魚子、數萬為群、常隨母而行。亦有江[犭屯]、状如[犭屯]、鼻中為聲、出没水上、海中舟人候之、知大風雨。…以下略:全文は[孚](7画)参照。 (7-21)異物志、一浮一没:注(7-1)を見よ。 (7-22)郭璞、江賦、江豚海豨:『文選』第12巻「江賦」:古書注参照。:【文選】(嘉靖金臺汪諒校刊本:TLDB)魚則江豚{徒昆}海豨’{喜}、叔鮪{于軌}王鱣{音邅。南越志曰。江豚似豬。臨海水土記曰。海豨’、豕頭、身長九尺。郭璞山海經注曰。今海中有海豨’、體如魚、頭似豬。爾雅曰。[各]、[叔]鮪。郭璞曰。鮪屬、大者王鮪、小者叔鮪。王鱣之大者、猶曰王鮪。[各]音洛。}…以下略。関連文は[孚](7画)参照。 (7-23) 臨海水土記:古書名参照。及び、注(7-1)を見よ。 (7-24)陳蔵器云:前掲注(7-20)後半参照。 (7-25)前掲注(7-13)で指摘した王念孫「広雅疏証」の引用文例を組み合わせて記述しているため、構文上の重複が見られる。 |
〔8〕鰐 麻果切韵云、鰐{音萼、和邇、}{○下総本 には「和名」二字がある。」『新撰字鏡』及び『日本書紀』神代紀に同じ訓みを与える。}
抄本文読み下し:鰐 麻果切韵(マカセツイン)は云う。 鰐。{音は萼(ガク)。 和邇(ワニ)。}/鱉(ヘツ)に似て、四足有り。喙は長さ三尺にして、甚だしく利(するど)い歯をもって、虎及び大鹿が水を渡らんとすると、鰐は、之を撃ち、皆(ことごと)く中断す。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鰐(9画)。 〔注〕(8-1)麻果切韵(まかせついん):【エキ齊「和名抄引書」】麻果切韻{○[金+瓜]○鰐○[高/木]}/現在書目 切韻五巻{麻果撰}〔頭注:△〕。「麻果撰」は「麻杲撰」。古書注「切韻」を見よ。 (8-2)新撰字鏡 (しんせんじきょう):【新撰字鏡(享和本)】魚部七十一(831b下3)鰐、鱷{同。五各反。和尓。}/(831a下2)[卑’]{薄佳反。知奴、又、和尓。} (8-3)日本書紀神代紀: 【日本書紀】(岩波文庫『日本書紀』坂本・家永・井上・大野校注)@巻第一(神代上第八段)(102p〜)一書(あるふみ)に曰はく〔第六の一書〕、大国主神、……中略……又曰(い)はく、事代主神(ことしろぬしのかみ)、八尋熊鰐(やひろわに)に化為(な)りて、三嶋(みしま)の溝樴姫(みぞくひひめ)、或(ある)は云はく、玉櫛姫(たまくしひめ)といふに通ひたまふ。……以下略。A巻第二(神代下第十段)(172p〜)時(とき)に豊玉姫、八尋(やひろ)の大熊鰐(わに)に化為(な)りて匍匐(は)ひ逶虵(もごよ)ふ。…以下略。 |
似レ[敝/魚]有二四足一、喙長三尺、甚利歯、虎及大鹿渡レ水、鰐撃レ之皆中断、{○エキ斎按う 。(『文選』)「呉都賦」劉逵注に『異物志』を引用して、「鰐魚長二丈余、有四足似鼉、喙長三尺 、甚利歯、虎及大鹿渡水、鰐撃之皆中断」(鰐魚は長さが二丈あまりで、四本の足を持つ。鼉(ダ)に似て、四足有り。喙は長さ三尺にして、甚だしく利(するど)い歯をもって、虎及び大鹿が水を渡らんとすると、鰐は、之を撃ち、皆(ことごと)く中断す。)と云う。 『麻果切韻』は、蓋し、これを本 (もと)にしており、鱉( ヘツ )は、恐らく鼉(タ)の誤 りであろう。
『説文』の「鰐」は[虫屰」に作り、「似蜥易、長一丈、水潜 、呑水、即浮、出日南」 と云う。」エキ齊按う。(ここでいう)「鰐魚」は、わが国(皇国)に産 してはいない。(わが国でいう)「和邇」(ワニ)は、鮫魚(サメ)の一種であろう。大きな頭をして、口は特に大きく(巨)、大きなものになると、人を呑み込む。(和邇の)漢名は不詳である。
抄本文読み下し:鰐 麻果切韵(マカセツイン)は云う。 鰐。{音は萼(ガク)。 和邇(ワニ)。}/鱉(ヘツ)に似て、四足有り。喙は長さ三尺にして、甚だしく利(するど)い歯をもって、虎及び大鹿が水を渡らんとすると、鰐は、之を撃ち、皆(ことごと)く中断す。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鰐(9画)。 〔注〕 (8-3) 呉都賦劉逵注:【文選】(嘉靖金臺汪諒校刊本:TLDB)巻第五:京都下:呉都賦:左大冲。劉淵林注:前略……於是乎、長鯨呑航、修鯢吐浪。躍龍騰蛇、鮫鯔琵琶。王鮪{偉 }鯸鮐、[印]{印}龜[番][昔]。烏賊擁劍、[勾/黽]{古侯}[辟/黽]{辟}鯖鰐。涵泳乎其中。{航舡之別名、異物志云、鯨魚長者数十里、小者数十丈、…中略…鰐魚長二丈餘、有四足、似鼉、 喙長三尺、甚利齒、虎及大鹿渡水、鰐撃之皆中斷。生則出在沙上乳卵、卵如鴨子、亦有黄白、可食。其頭琢去齒、旬日間更生、廣州有之。涵、沉也。楊雄方言曰 、南楚謂、沉為涵。泳、潜行也、見爾雅。言已上魚龍、潜沒泳其中。 善曰。莊子曰、呑舟之魚、碭而失水。周易曰、見龍在田、或躍在淵。楚辭曰、騰蛇兮後從。文子曰、騰蛇無足而騰。鯔、音菑。[台]、音夷。[番]、甫袁切。[昔]、甫亦切。鰐、五洛切。涵、音含。}…以下略。 (8-4)異物志:前掲注(7-1)を見よ。 (8-5)鼉(タ)、鱉(ヘツ)は 、真名真魚字典「その他25画」参照。また、鱉(ヘツ)は 、後條〔77〕鼈(「その4・5」)の箋注あり。 (8-5)説文鰐:説文に「鰐」「鱷」字なく、[虫屰]を載せる.@【説文解字】(徐鉉校訂「大徐本」汲古閣本)(WLDB):(右画像)[虫屰](篆){似蜥易、長一丈、水潜呑人、即浮。出日南。从虫屰声。吾各切。}A【説文】(「説文解字注十五巻」經韵樓蔵版)(WLDB):[虫屰] 佀蜥易。長一丈。{當同鼉、下云長丈許、}水潜呑人、即浮。出日南也。{劉注呉都賦曰、異物志云、鰐魚長二丈餘、有足似鼉、長三尺、甚利歯、虎及大鹿渡水、鰐撃之、皆中断。生子則出在沙上乳卵、卵如鴨子、亦黄白、可食、其頭琢去歯、旬日闕X生、廣州有之、按拠劉注則不必、日南郡乃有其物也、}从虫屰声。{吾各切、五部、俗作[虫咢]鰐鱷、} (8-6)【古事記】(岩波日本古典文学大系『古事記祝詞』古事記:倉野憲司校注)上巻(大国主神―稲羽の素兔)(91〜92p) 故(かれ)、痛み苦しみて泣き伏せれば、最後(いやはて)に来(き)たりし大穴牟遲の神、其の莵をみて、「何由なにしかも汝なは泣き伏せる。」と言ひしに、莵答へ言まをししく、「僕われ淤岐おきの島に在りて、此の地ところに度わたらむとすれども、度らむ因よし無かりき。故かれ、海の和邇{この二字は音を以ゐよ。下は此れに[交+攵]。}を欺あざむきて言ひしく、…中略…『汝は我に欺かえつ』と言ひ竟をはる[皀+卩]ち、最端(いやはし)に伏せりし和邇(わに)、我(わ)を捕へて悉に我が衣服きものを剥ぎき。……○上記岩波日本古典文学大系本「海の和邇」頭注。《三三》鰐、海蛇、鰐鮫などの諸説があるが、海のワニとあることと、出雲や隠岐島の方言に鱶や鮫をワニと言っていることを考え合わせて、鮫と解するのが穏やかであろう。(91p)日本における「ワニ」と「サメ」については、『世界大博物図鑑』(2魚類)「サメ」(23〜39p)中の「ワニとサメ」(34〜35p、38p)の整理がわかりやすい。 |
[虫屰]
[虫咢] ―――
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〔9〕鮝魚 辯色立成云、鮝魚、{居媛反、布加、今案未レ詳}{○エキ斎按う 。「鮝」字は、諸書に見ることがない。「居媛(きょえん)」の反切(はんせつ)とする拠(もと)は、則ち、その字 が、[*1]を声符としているところにあるのだろう。「卷」「拳」等の字と同 じ(声符をもつ字)である。 「正字通」に鮝字が載る。これは俗に「鯗’」字だが、「鯗’」息両の反切(ショウ)であり、蓋し、養省声を従える。則ち、是の字ではない。下総本には「和名」二字あり。恐らく是にあらず。廣本も、また、ない。エキ斎按うに、鮝魚をもって布加(フカ)となすが、その典拠はわからないままだ。}
抄本文読み下し:鮝魚 弁色立成( ベンジキリュウジョウ)は云う。 鮝魚。{居媛(キョエン)の反。 布加(フカ)。 今案ずるに詳ならず。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鮝(6画)。 〔注〕(9-1) 弁色立成:参考古書名注参照。 (9-2)*1:「箋注倭名類聚抄」国会図書館活字本。判別困難な字形だが、原本から活字化するときに原著の字義を考慮すると、*1=*2であろう。収’→廾(にじゅうあし)の象形は、両手をそろえて物をささげるさまを表している(*4の下半分の象形→朕:鰧オコゼの場合はチン・トウ)。「共」の字に含まれる。*3は、音「ケン」で、種が散らばらないように両手で丸めて受けるさまを表している(【学研大漢和字典】574頁)。卷(まく)や、拳(まるくまいたこぶし)の構成要素になる。*4は、「京大本許氏説文解字」からの*3の篆文。拳(ケン)は、*3を音符(ケン)として、「手」を加えて作られた文字 である。 (9-3)居媛反:「反」は「反切」。「卷拳等の字と同じ」とは、何をエキ齊が言わんとしているのか、『広韻』の韻目配列により補注しておこう。@鮝:説文、玉篇、広韻、集韻に載らず。A「居媛」を反切とする字には、「玉篇」に「桊」(ケン)が載る。【玉篇】(大廣益会玉篇三十巻・張氏重刊宋本玉篇)(TDB):巻第十二(木部一百五十七:八百二十二字)桊{居媛切。牛鼻桊}:ピンイン=A:去聲:居倦切(juàn)、B:平聲:驅圓切(quān,quán):【標註訂正康煕字典】〔唐韻〕居倦切。〔集韻〕古倦切、竝音眷。B【説文】牛鼻中環也。从木[*3]聲。居倦切。C【廣韻】(五巻・張氏重刊宋本廣韻TDB)去聲巻第四:{蘇見}霰第三十二{線同用}:三十二○霰{蘇佃切。九}/三十三○線{私箭切。四}…○瑗{王眷切又于願切。五}…媛……○眷{居倦切。十五}睠捲弮卷桊…[*3]…○捲{渠卷切。五}D【廣韻】下平聲巻第二:{蘇前}先第一{仙同用}:一○先{蘇前切又蘇薦切。四}/二○仙{相然切。}…○權{巨員切。二十三}拳…巻{九免、九院二切}…捲。E:【集韻】(WDB)巻之三:平聲三:一○先{蕭前切。}/二○[僊(旁→興/巳)]僊{相然切。二十九}仙…○巻{驅圓切。十八}…弮…棬桊…拳…以下略。……ということの説明はできるが、「弁色立成」が「鮝」を「フカ」として、去聲「ケン」の声符を持つグループに加えたことの理由は、エキ齊のいうごとく「未知所拠」ままである。 なにが、大切かというと、エキ齊にとっても「未知」であり、現代の整理においてもわからない、という原理追求の必要という点にあるのではなく、このような、不可思議な文字の配列(ジャンルわけ)が生まれ、ほとんど根拠を特定できない文字とその訓み≠ェ誕生してしまう、という、そのことに、エキ齊が気づいて≠「て、いちおう「説文」「広韻」などの研究による当時の中国音韻学(考証学)をいかした日本語の解明が必要という問題意識に基づきチェックを入れている点に着目すべきなのだと思う。 (9-4)@「鯗’」の字形を再確認すること。Aサメとフカとの和名呼称の検討をすべし。ペンディング。 (9-5)【箋注倭名類聚抄】〔14〕鮫の項目を見よ。 |
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〔10〕人魚 兼名苑云、人魚、一名鯪魚、{上音陵、}魚身人面者也、{○疑うらくは、魚身以下 「六字」、これ『兼名苑』注文なりや。エキ斎按う。『山海経』「海内北経」は、「陵魚、人面、手足魚身、海中に在り」と云う。『兼名苑』の注は 、蓋し、之を本(もと)としているのだろう。『説文』に「鯪」字は載っていない。『山海経』に依れば、則ち、古くは「陵魚」に作るを知る。丘陵土中に在るをもって「陵魚」の名がつき、(その姿かたちは)人面に手足在るをもって、「人魚」という名がつけられた。『楚辞』「天問」に「鯪魚何所」と載る。王逸は「鯪魚は鯉なり。一に、鯪は鯉なり、四足あり、南方に出づ」と曰う。 「呉都賦」は、「陵鯉は獣の若<ごと>し。」という。劉逵注は、「陵鯉に四足あり。その状は獺の如し、鱗甲は鯉に似て、土穴中に居る、その性は好んで蟻を食う」と云う。 「陶別録」注(『証類本草』「名医別録」陶弘景の注に)は「鯪鯉は能く陸にすみ、能く水にあそぶ。岸に出で、鱗甲を開き、その状は死すが如し。蟻をして入らしめれば急閉して、水に入り、甲を開き、皆これ浮き出んとするを食す。故に蟻瘻を主とす」(鯪鯉はよく陸上を動き回り、水にも入って、岸べに上がると、鱗甲を開き、死んだようになっている。もし、蟻が入ってくると急に閉じて、水に入って甲羅を開くと蟻が浮き出してくるので、之を食べる。故に蟻瘻を持っている、)と云う。}
抄本文読み下し:人魚 兼名苑( ケンメイエン)は云う。人魚。一名鯪魚。{上音陵(リョウ)。 魚身人面のものなり。}/山海経注は云う。声は小兒の啼くが如し。故に之を名づく。 |
〔注〕(10-1)兼名苑:参考古書名注参照。 (10-2) 山海経、海内北経:古書注参照:陵魚:郝懿行疏・郭璞伝【山海経箋疏】(WLDB):山海経第十二(3冊)海内北経:陵魚人面、手足、魚身、在海中 {懿行案。楚詞天問云。鯪魚何所。王逸注云。鯪魚、鯉也、一云鯪魚、鯪鯉也、有四足、出南方。呉都賦云。陵鯉若獸、劉逵注云、陵鯉有四足、状如獺、鱗甲似鯉、居土穴中、性好食蟻。引楚詞云。陵魚曷止。王逸曰。陵魚陵鯉也。所引楚詞與今本異、其説、陵鯉即今穿山甲也、云性好食蟻、陶注本草説之極詳、然非此経之陵魚也。穿山甲又不在海中、此皆非矣、査通奉使高麗見海沙中、一婦人肘後有紅鬣、號曰、人魚、蓋即陵魚也。陵人声相転、形状又符是此魚審矣。又初学記三十巻引此経云、鯪魚背腹皆有刺如三角菱、北堂書鈔一百三十七巻亦引此経而云、鯪鯉呑舟。太平御覧九百三十八巻引作鯪魚呑舟、疑此、皆郭注誤引経文、今本竝脱去之也。} (10-3)説文に鯪字載らず:確かに載らない。但し、前掲注(6-11)に見るとおり、「鯢(篆)剌魚也。{剌、盧達切、或作刺者誤。剌魚者乖、剌之魚謂其如小皃能縁木、史漢謂之人魚。釋魚曰、鯢大者謂之鰕。郭云、今鯢魚似鮎四脚、前似彌猴、後似狗、聲如小皃啼、大者長八九尺、別名鰕。」と段注の注文に載せている。 (10-4)楚辞、天問、王逸曰。:古書注参照:前掲注(10-2)の『山海経箋疏』の郝懿行疏(注)に「呉都賦」「陶注本草=別録注」(「太平御覧」)引用が何れも載る。:「楚辞」天問:鯪魚何所(りょうぎょいづれのところぞ)、[斬(車→鬼)]堆焉處(きたいいづくにかをる)、羿焉日[張(長→畢)]、烏焉解羽。○王逸注「鯪魚、鯉也。一云鯪魚、鯪鯉也、有四足、出南方。」○楚辞集注(朱熹注)「鯪、一作陵」○楚辞補注「山海経、西海中、鯪魚有、四足人面人手魚身、見則風濤起、天対云、鯪人貌」 (10-5)呉都賦劉逵注:古書注参照:【文選】(嘉靖金臺汪諒校刊本:TLDB):前略……其荒陬{子侯}譎{決}詭、則有龍穴内蒸、雲雨所儲。陵鯉若獸、浮石若桴。雙則比目、片則王餘。窮陸飲木、極沈水居。泉室潛織而巻綃、淵客慷慨而泣珠。開北戸以向日、齊南冥於幽都。{陬、四隅、謂邊遠也。湘東新平縣有龍穴、穴中黒土、天旱、人人便共以水沾穴、則暴雨應之、常以此請雨也。陵鯉、有四足、状如獺、鱗甲似鯉、居土穴中、性好食蟻。楚辭曰。陵魚曷止。王逸曰。陵魚、陵鯉也。浮石、體虚輕浮、在海中、南海有之。桴、舟也。比目魚、東海所出。王餘魚、其身半也。俗云、越王鱠魚未盡、因以殘半棄水中為魚、遂無其一面、故曰王餘也。朱崖海中有渚、東西五百里、南北千里、無水泉、有大木、斬之、以盆甕承其汁而飲之。水居、鮫人水底居也。俗傳鮫人從水中出、曾寄寓人家、積日賣綃、綃者、竹孚兪也。鮫人臨去、從主人索器、泣而出珠満盤、以與主人。日南人北戸、猶日北人南戸也。善曰。尚書曰、宅朔方曰幽都。謂日既在北、則南冥與幽都同。王餘、泉客、皆見博物志。窮陸、見後漢書。史記曰。秦始皇地南至北向戸、北據河為塞。 (10-6)陶注別録云:『証類本草』「名医別録」陶弘景注に云う。 【證類本草】(政和本草:WDB)巻第二十二蟲部下品總八十一種:一十二種名醫別録(墨字)(8-130〜131):鯪鯉甲:微寒。主五邪驚啼悲傷、燒之作灰、以酒或水 、和方寸匕、療蟻瘻。{三字分墨塗云。其形似鼉而短小、又似鯉魚、有四足、能陸能水。出岸開鱗甲、伏如死、令蟻入中、忽閉 而入水開甲、蟻背浮出、於是食之。故主蟻瘻。…以下略。……「名医別録」:現在伝えられる「証類本草」の元となっているのが陶弘景編著になる500年ごろ成立した「本草経集注」。この 「本草経集注」は、当時すでに成立していた「神農本草経」と「名医別録」を合編し加注した書で、『證類本草』(政和本草:WDB)においては、本條における「鯪鯉甲」の載る、巻第二十二「蟲部下品總八十一種」は、「一十八種神農本経{白字}」「一十二種名医別録{墨字}」「二種唐本草先附{注云唐附}」「五種今附{皆医家甞用有放注云今附}」「八種新分條」「三十六種陳蔵器餘」と目録に記す。「証類本草」は、「本草経集中」以来の、薬物の増補改定にあたって、前代の原本の書式を(「白字」は墨べたに白抜き字。墨の黒字併用)そのまま踏襲し、増補して版本化していくことで、古い記事は、そのまま(誤植は当然あるが)新版に伝えられることで、「雪ダルマ式」(真柳氏の言葉を借りれば)の編成となる。そのため、「一定の規則に従えば過去の文献にさかのぼれることも不可能ではない」という利点があるが、煩雑、重畳な内容になるデメリットはある。『本草綱目』は、この重畳となった記事内容を、編者によって整理し、項目を立て直しより、利用の便に応えるために企図制作されたものである。ところが、「本草綱目」のような編集をしてしまうと、一度、誤植や編者による誤記や創意による挿入や削除された内容になってしまうと、原典のほうが正しい記述の場合には、その誤りのまま、後世に伝わり、復元は難しいという、マイナス面が生じる。エキ齊は、箋注にあたって、この点を配慮したものか、当時、既に広く流布していた「本草綱目」(や「本朝食鑑」のような編著作)からの引用は一切せず、「新修本草」「證類本草」を使用し、 「順抄文」「本草和名」「医心方」などとの校訂をしていることは、当然の考証方法とはいえ、以下箋注にあたって多出するため一言触れておきたい。 (10-7)「主蟻瘻」:「蟻瘻」は どうよんだらよいのか。『医心方』「雉」に「治蟻瘻」とある。その症状にかかっている、もっていると読むのでよいであろうか。 |
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山海経注云、聲如二小兒啼一、故名レ之 {○『山海経』「北山経」に「龍候之山決々之水出焉、其中多人魚、其状如[帝]魚、四足、其音如嬰兒」と云う。「郭璞注」に「或曰、人魚即鯢也、似鮎而四足、聲如小兒啼、今亦呼鮎爲[帝]」と云う。「之」とは是の引用であろう。エキ斎按う。『史記』秦始皇帝本紀 は、「葬始皇酈山、以人魚膏為燭」と云う。(裴駰)「集解」は、「徐廣注」を引用して「人魚似鮎四脚」と曰う。(張守節)「正義」は、「廣志」を引き「鯢魚聲如小兒啼、有四足、形如鱧、出伊水」と云う。 『水経』「伊水」注は、『廣志』を引き、「如鯪鯉」に作る。『証類本草』の「[夷]魚」の條に、陶隠居を引き「人魚似[是]而有四足、聲如小兒」と云う。陳蔵器は「鯢魚在山溪中、似鮎有四脚長尾、能上樹、聲如小兒啼、故曰鯢魚、一名人魚」と云う。
抄本文読み下し:人魚 兼名苑(ケンメイエン)は云う。人魚。一名鯪魚。{上音陵(リョウ)。魚身人面のものなり。}/山海経注は云う。声は小兒の啼くが如し。故に之を名づく。 |
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〔注〕(10-8)山海経北山経:[帝](9画)をみよ。山海経注:「郭璞注」 :山海経第三:(第2冊)北山経:北次三経之首曰太行之山{略}…中略…又東北二百里曰龍候之山、無草木、多金玉、決決之水出焉{略}而東流注于河、其中多人魚{懿行案、人魚即鯢魚。爾雅云。鯢大者謂之鰕是也。鯢古文省作兒。周書王會篇云、穢人前兒又是也。兒从几、即古文人字又人兒声転、疑経文古本作兒魚、闕脱其上即為人魚矣、}其状如[帝]魚四足、其音如嬰兒{[帝]見中山経、或曰人魚即鯢也。似鮎而四足、声如小兒嗁、今亦呼鮎為[帝]、音嗁。 懿行案。[帝]當為[弟]、説文云、[弟]大鮎也。郭云、見中山経者少室山休水中多[帝]魚是也。又云。人魚即鯢者水経注云、伊水又東北流注於洛水、引広志曰、鯢魚声如小兒嗁、有四足、形如鯪鯉、可以治牛出伊水也。司馬遷云、之人魚、故其著史記曰、始皇帝之葬也。以人魚膏為燭、徐広曰、人魚似鮎而四足、即鯢鯢魚也、}食之無癡疾{懿行案、説文云、癡不慧也。中山経云、[帝]魚食者無蟲疾與此異} (10-9)史記 :古書注を見よ。:『史記』一百三十巻(司馬遷「撰」:裴駰「集解」:司馬貞「索隠」:張守節「正義」)(TDB)秦始皇本紀第六: 前略……九月、葬始皇酈山。始皇初即位、穿治酈山……中略……以水銀為百川江河大海、機相灌輸 {略}、上具天文、下具地理。以人魚膏為燭、{徐廣曰、人魚似鮎、四足、○正義曰廣志云、鯢魚聲如小兒啼、(有四足、)形如鱧、可以治牛、出伊水、異物志云、人魚似人形、長尺餘、不堪食、皮利於鮫魚、鋸材木入、項上有小穿、氣從中出、(秦始皇冢中以人魚膏為燭、 即此魚也)出東海中、今台州有之、按、今帝王用漆燈冢中、則火不滅、}、度不滅者久之。 (10-9-その2)@集解:しっかい: 裴駰「史記集解」。A正義:せいぎ:張守節「史記正義」 |
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(10-10)水経伊水注:『水経注』「伊水」條に含む注文:古書注参照:@『水経注』乾隆39(1774)年序、戴震校本(WLDB)巻十五「伊水」:(25丁裏〜26丁表)又東北至洛陽縣南北入于洛。/伊水自闕東北流枝津右出焉{案近刻枝訛作之}…中略…伊水又東北流注于洛水。 廣志曰。鯢魚聲如小兒嗁{案近刻脱嗁字}有四足、形如鯪鱧{案近刻脱鯪字}、可以治牛出伊水也。司馬遷謂之人魚、故其著史記曰、始皇帝之葬也、以人魚膏為燭。徐 廣曰、人魚似鮎而四足、即鯢魚也。A同巻二十八「沔水」(ベンスイ):(13丁表〜15丁表)沔水{案此巻云々略}又東過堵陽縣堵水出自上粉縣{案堵水出下云々略}北流注/…中略…/又東過中盧縣東維水自房陵縣維山東流注之{案云々略}…中略…沔水、又南 與疎水合水出中盧縣西南東流至[邵(召→已)]縣北界{案云々略}、 東入沔水謂之疎口也{案近刻脱之字}、水中有物、如三四歳小兒、鱗甲如鯪鯉、射之不可入、七八月中好在磧上、自曝{案上近刻訛作中}[桼卩]頭、似虎掌爪、常没水中、出[桼卩]頭、小兒不知、欲取弄戲、便殺人、或曰、人有生得者、摘其皐’厭可小小使{案近刻作可以小使}、名為水虎者也{案虎近刻訛作唐}。 (10-10-その2)『廣志』は、亡佚書だが、和名抄、医心方など日本の古辞書、本草書など古書に引用されている「博物誌」的書とされ、『隋書』「経籍志」には、「[隋志]{雑}広志二巻{郭義恭撰}[新志]郭義恭広志二巻。」(【エキ齊「和名抄引書」】より)と「雑家」の書として記される。 (10-10-その3)箋注文は、「廣志」を引用して「如鯪鯉」と書くが、本注で参照した「水経注」の諸本原文によっていくつかの疑問点が浮んできた。(1)引用原文の『水経注』「伊水」の載る「広志」文に「鯪鯉」は載らない。つまり、エキ齊が、この前のセンテンスに載る「史記正義」の「形如鱧」「出伊水」を補注するための引用であるのだから、「鯪鯉」か「鱧」であるかは別にしても、「伊水」條からの引用でなければおかしい。エキ齊の見たテキストには「如鯪鱧」(あるいは明以前の古本『水経注』なら「如鱧」)と載っていたはずである。つまり、(10-10)@からは、正しくは「鯪鱧」(あるいは「鱧」)となる。エキ齊により「鱧」を「鯉」と読み直して引用したのなら、そのむね注しなければ、『水経注』の原文には、それが誤りの記述であろうと、引用の誤りとなる。(2)しかし、そう単純に結論を出せない別の読み方もできる。深読みして、「伊水」條ではなく、Aの「沔水」條を読んで、「如鯪鯉」引用したとすれば、引用句は正しいが、(1)で書いたように、引用例文として適切ではない。「沔水」條を引用したのではなさそうだ。(3)つまり、「史記正義」が引用した「広志云」は、@「鯢魚聲如小兒啼、有四足、形如鱧、」である。エキ齊が、それを箋注した「水経伊水注」の「広志」引用句は、A「如鯪鯉」とのみ記す。「水経伊水注」の@の戴震校本テキストには、B「鯢魚聲如小兒嗁{案近刻脱嗁字}有四足、形如鯪鱧{案近刻脱鯪字}、 」を載せる。@、A、Bについて、「啼」=「嗁」を同義とみて、エキ齊が、「鱧」字を「鯉」字に読み間違えて、「人魚」の箋注を意識したのか、「鯪鯉」としてしまった可能性は高い。あるいは、エキ齊 直筆稿本には、「鯪鱧」とあって、森立之による活字版制作中に、「鯪鯉」としてしまったのかの何れかであろう。ただし、これは、エキ齊直筆稿本をみれば確認できることで、後日、要確認事項とする。 (10-10-その4)しかし、本條の「人魚」及び「鯪鯉」あるいは「鯪」「鯉」そして「鱧」のそれぞれの字義の解釈を整理するうえで、もう一点、注意しておかなければいけないことがある。つまり、戴震校本に見える「{案近刻脱鯪字}」についてである。つまり、この注記は、戴震を含めて、清代考証家たちの「水経注」の清代校本、清以前宋代までの古本「水経注」など諸本校訂作業の過程で、「形如鱧」の句には、「水経」元文あるいは、「酈道元が編撰」し注を加えた「水経注」元文にはあった「鯪」が欠失していて、「形如鯪鱧」と正した、と書いてあるのである。しかし、この修正そのものが問題であった。前掲注(10-8)に見た『山海経』郭璞注が「廣志」該当箇所の引用句には「鯢魚声如小兒嗁、有四足、形如鯪鯉、」としており、この引用をきちんと検討して、「鯪鯉」と二字直すのならまだしも、古本『水経注』の「廣志」引用句「形如鱧」に「鯪」一字が抜けているとしたことがそもそもの誤まりであったのだろう。 (10-10-その5)清末以降の『水経注』研究により、現代版の最新テキストでは、この箇所は、また「形如鱧」に戻されている。「鱧」を「鯪鯉」に正さなかったのには、校訂者の考証するうえでの「正」に対する姿勢が伺えるように考えられる。箋注の注釈とははなれるが、引用しておこう。その校訂者とは、エキ齊の『箋注倭名類聚抄』を高く評価し、また森立之らエキ齊の薫陶を受けた漢学、本草学、医学者らと交流を深め、渋江抽斎・森立志編『経籍訪古志』の価値をいち早く見抜き、日本より先に中国での刊行を実現させた「楊守敬」(ようしゅけい)(1839〜1915)である。 (10-10-その6)楊守敬校訂・熊会貞編『水経注疏』四十巻(KJTDB):巻十五「洛水」:伊水又東北流注于洛水。廣志{撰人闕巻七隋書不著欽古類書多引之}曰{朱箋曰、謝云、廣志以上、疑有脱落趙云。按無闕文也。蓋其體例如此不得以人魚事、與上文義不属疑之}。鯢魚聲如小兒嗁{朱脱嗁字、趙増云、小兒下、爾雅釈魚註、有嗁字、史記始皇本紀、正義同全載、並増。守敬按。御覧〈九百三十八〉引廣志無嗁字、}有四足、形如鱧{趙云、鱧謂鯪鱧也、本草陶隠居云、鯪鱧、形似鼉而短小、又似鯉水〔魚〕、有四足、山海経曰、〔第五中山経:又西二百里〕蔓渠之山、伊水出焉、有獸焉、其名曰馬腹、其状如人面虎身、其音如嬰兒、是食人。此與沔水注、中盧疎水之水虎頗相類、道元又以人魚釈之詳見下、全載、増鯪字。守敬按。史記始皇本紀、正義、御覧〈九百三十八〉引廣志、並無鯪字。不必増。}、可以治牛出伊水也。司馬遷謂之人魚{朱箋曰、山海経、〔第五中山経:又西一百四十里〕厭染之水出、傅山之陽、南流注于洛、其中多人魚。不云、伊水豈。古今相沿并厭染之水、名伊水乎。趙云。案厭染之水見洛水注、朱氏只知人魚字出厭染之水、而不悟伊水、亦有馬腹之文也。}、故其著{朱作著其。朱箋曰。一作其著。全趙載改}史記{始皇本紀}曰、始皇帝之葬也、以人魚膏為燭。徐廣曰、人魚似鮎而四足{守敬按。始皇本紀、集解引}、即鯢魚也。〔KJTDBは、写本で、後日良刊本で容確認。〕……趙一清撰『水経注撰刊誤』(12巻)(古書注参照)では、「鱧は鯪鱧を謂うなり」として、その理由に「本草陶隠居云」に「鯪鱧」の注文を例文としてあげているが、これは、前掲注(10-6)に見るように「鯪鯉甲」の読み誤りであるが、楊守敬は、とくにこの箇所の「誤」を批正せず、引用句を挙げるにとどめている。そして、「史記始皇本紀」、「史記正義」、「太平御覧〈九百三十八〉」の廣志引用句には「鯪」字を載せていない、文献上の事実のみをあげて、「鯪鯉」と修正することは可能かもしれないが、あえて、清代テキストで、全て「鯪」字を加えたが、「増やす必要はなし」(不必増)と断じた。つまり、「本文に、鮎に似て四足という人魚の姿かたちや聲状を示し、鯢魚と呼ぶことで、明白であり、また、沔水の條にも人魚をのせ、山海経との記述 上の整合性からも《形は鱧の如し》の言葉のままが、古本にあっているのだ」と言外で主張しているのだろう。楊守敬の考証学の姿勢とみてもよいように思う。たまたま、エキ齊の箋注においては、「鯪鯉」と記してしまったことは「画竜点睛」を欠いたミスかもしれないけれど、考証に対する姿勢はエキ齊の箋注と楊守敬(また王念孫にも)校訂にも相通じる基本的なものなのであろう。これは、訳注者の読み方であって、この「鯪鯉」と「鯪鱧」と「鱧」の記述の校訂にあたっての考証について、楊守敬の的確な指摘以外の注解を見ないので、ぜひ批判を仰ぎたいと思う。 (10-11) 証類本草:鮧魚: 【證類本草】(古書注参照)(政和本草:WLDB)巻第二十巻蟲魚部:[夷] …中略…{陶隱居云。此是[是](音題)也。…中略…又有人魚、似[是]而有四足、聲如小兒、食之療瘕疾、其膏燃之不消耗、始皇驪山冢中用之、謂之人魚膏也。荊州、臨沮、青溪至多此魚、唐本注云。[夷]魚、一名鮎魚、一名[是]魚。…以下略}。真名真魚字典:鮧(6画)前掲注(10-6)も参照。……医心方巻三十「鮧魚」:本草云として引用されている。なお、「鮧魚」(いぎょ)については伊沢蘭軒の小論がある。 (10-12)陳蔵器云:【證類本草】(古書注参照)(政和本草:WLDB)巻第二十巻蟲魚部總五十種:二十三種陳蔵器餘:(8-58〜59)鯢魚:鰻[麗]注、陶云。鰻[麗]能上樹。蘇云。鯢魚能上樹、非鰻[麗]也。按、鯢魚一名王鯆、在山溪中、似鮎、有四脚、長尾、能上樹、天旱則含水上山、葉覆身、鳥來飲水、因而取之。伊洛間、亦有聲如小兒啼、故曰鯢魚、一名[蒦]魚、一名人魚。膏燃燭不滅、秦始皇塚中用之。陶注鮎魚條云、人魚即鯢魚也。 |
増字される前の古本『水経注』(桑欽撰、酈道元注)黄省曽撰の重刻本より(WLDB)(古書注:A1)
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『山海経』が云うところの「人魚」は、即ち「鯢魚」のことである。今、俗に「山椒魚」と呼び、或は、「半割」と呼ぶものである。その聲は小兒の如く啼くことから、「人魚」と名づけ、或は「鯢魚」と名づけたものである。 『日本紀略』は、延暦十六年八月己己の記述として、「掖庭溝中、獲魚長尺六寸、形異常魚或云椒魚、在深山澤中、」と云う。『文徳実録』は、仁寿二年三月の條に「癸酉、近江國得魚、形似獼猴、異而献之故老皆云椒魚也」と云う。即ち、この魚のことである。 「椒気」があり、故にこれを「椒魚」と謂う。『日本書紀』推古二十七年紀には「近江國言於蒲生河、有物其形如人」と云う。又、(続けて同年條には)「攝津國有漁父沈罟於堀江、有物入罟、其形如兒、非魚非人、不知所名」と云う。けだし、是の、鯢魚は二あり、一は 「鰌」に似て四足、大きさは五、六寸に過ぎず、よく木によじのぼり(縁)、 啼かない。下條に載る「波之加美伊乎」が是である。他の一は、「鮎」に似て四足、長さは二、三尺に至り、声を発し、木にはよじのぼらない。則ち、『山海経』に載ったものが是であろう。陳(蔵器)氏の「上樹聲如小兒啼」というものは、二種を混同して説いたものであろう。
抄本文読み下し:人魚 兼名苑( ケンメイエン)は云う。人魚。一名鯪魚。{ 上音陵(リョウ)。 魚身人面のものなり。}/山海経注は云う。声は小兒の啼くが如し。故に之を名づく。 〔注〕(10-12) 鯢魚:山椒魚:参照【本草綱目啓蒙】(平凡社東洋文庫、小野蘭山著「本草綱目啓蒙」3)「鯢魚」MANA字典鯢項に記す。 (10-13)日本紀略:古書注参照。 延暦十六年:桓武天皇(797年)「日本後紀」卷第六「桓武紀六」に同文載る。「掖庭」=同「掖廷」宮中の正殿わきににあって、皇妃・宮女が住んでいる御殿。後宮。 (10-14)文徳実録:古書注参照。 仁寿二年は西暦852年。「仁寿二年三月癸酉(みずのととり)、近江國得魚、形似獼猴、異而獻之、故老皆云、此椒魚也、昔時見有此物、」の記述は巻の四に載る。獼猴は「大きなサル」(【学研新漢和】)。獼は、新撰字鏡に「つくり:弥」をのせ「武移、左留’」(bu-iの反切、サル)とする。 (10-15)推古二十七年紀:日本書紀第二十二巻「二十七年夏四月己亥朔壬寅。近江国言。於蒲生河有物。其形如人。/秋七月。摂津国有漁父。沈罟於堀江。有物入罟。其形如児。非魚非人。不知所名。」「二十七年の夏四月(なつうづき)の己亥(つちのとのい)の朔(ついたち)壬(みづのえ)(の)寅(とら)(のひ)に、近江国言(まう)さく、蒲生河(がまふがは)に物有り、其の形(かたち)人(ひと)の如し、とまうす。」/「秋七月(あきふみづき)に、摂津国に漁夫(あま)有りて、罟(あみ)に入る。其の形児(わかご)の如し。魚(いを)にも非ず、名(なづ)けむところを知らず」(岩波文庫『日本書紀』四、132p、より) (10-16)鰌に似て:この場合の鰌を訓むとすれば「ウナギ」(ムナキ)と読むのが妥当だろう。箋注「鰻[麗]」の項に「證類本草は陶隠居を引用し、樹木によじのぼり(縁レ木)藤花を食す。形は[單]に似る。又、鰌がいて、これも似ているが体長が短い」とある。同項およびMANA字典「鰻」(11画)の「本草和名」等参照。 (10-17)同じくMANA字典「鰻」(11画)参照。 前掲注(10-6)、同注(10-11)、同注(10-12)参照。 |
エキ斎按う。「鯪魚」は則ち「鯪鯉」のことであり、今の人は、その甲をもつと謂う種類を「穿山甲」、一名「人魚」という。その顔かたち(面略)が人間に似ていることから「人魚」の名前がついているのであって、「人魚」と同じ名といえども、同じものではない。またはるか別の種類のものであるが、源君は、同一のものと混同し、誤ってしまったのだろう。又、エキ斎按う 。源君が(ここに)挙げた「人魚」は、疑うらくは、これは海にすむ人魚のことであろう。つまり、鯪鯉にあらず、また、鯢魚でもない。『史記正義』は又、『異物志』を引いて「人魚似人形、長三尺餘、不堪食、皮利於鮫魚、項上有小穿、氣從中出、」という。「東海に出る者」とは蓋し是であろう。 『異物志』は「以為秦始皇冢中為燭」者と続けるが、これは、おそらくその名を混同しているのであろう。下総本に、 『山海経』以下十三字無く、伊勢廣本も同じである。}
抄本文読み下し:人魚 兼名苑( ケンメイエン)は云う。人魚。一名鯪魚。{ 上音陵(リョウ)。 魚身人面のものなり。}/山海経注は云う。声は小兒の啼くが如し。故に之を名づく。 〔注〕(10-18)鯪:鯪鯉:前記注(10-1〜5)参照。 (10-19)穿山甲:センザンコウ:「爾雅翼」「釈魚」:鯪鯉四足、似鼉而短小、状如獺、遍身鱗甲、居土穴中、蓋獸之類、非魚之屬也、特其鱗色若鯉、故謂之鯪鯉。又謂之鯪豸、野人又謂之穿山甲、以其尾能穿穴、故也能陸能水、出岸間鱗甲不動如死、令蟻入、蟻滿便閉甲入水開之、蟻皆浮出、因接而食之、故能治蟻瘻。 (古今圖書集成:故宮博物院典藏雍正四年銅字活版本テキストDB)(原典テキスト未見のため要確認):前記注(10-4)、注(10-5)を参照されたい。 (10-20)史記正義:異物志を引いて:注(10-9)および(10-9-その2)を見よ。 |
〔11〕鮪 食療經云、鮪、{音委、}一名黄頬魚、{之比、}{○『日本書紀』「武烈紀」の訓注に「鮪 、此を慈寐(シビ)と云う。」を載せる。『万葉集』に同じ訓みを載せている。エキ斎按う。『毛詩』は「魚麗于羀、鱨鯊」(魚が[羀(あみ)に麗(かか)る、[嘗](ショウ)と鯊(サ)と)、 『毛詩正義』は、陸[王幾]の『毛詩草木鳥獣蟲魚疏』(陸璣疏)を引用して、「[嘗]は一名黄頬魚」と云う。また、『山海経』「東山経」は、「番條の山に減水出づ。その中に[感]魚がいる。その魚、一名を黄頬」と云う。しかし、(エキ齊按うに)いままでに、「鮪」の別称を「黄頬」とする文章は聞いたことがない。『食療経』が何を(出典元として)根拠としているのかを知らず。」下総本には、(「之比」の前に)「和名」のニ字がついている。}
抄本文読み下し:鮪 食療經( ショクリョウケイ)は云う。鮪、{音委( イ)。}一名黄頰魚(コウキョウギョ)、{之比(シビ)、}/ 爾雅注(ジガチュウ)は云う、大は王鮪(オウイ)と為し、小は[*2]鮪(シュクイ)と為す。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鮪(6画)。 〔注〕(11-1) 食療経(ショクリョウケイ):古書注参照:【エキ齊「和名抄引書」】 によれば、順抄本文中に、13箇所に載る。八巻龍魚部には、本項龍魚部「鮪」、龜貝部「蟹」「沙嚢」が載る。【エキ齊「和名抄引書」】には、経籍志等を記さず、中国伝来書 に列するのみで、書誌不詳。 (11-2)武烈紀: 『日本書紀』巻第十六「武烈天皇」(岩波文庫版『日本書紀』第三冊,146p〜):影媛(かげひめ)、曾(いむさき)に真鳥大臣(まとりのおほおみ)の男(こ)鮪(しび)に姧(をか)されぬ。{鮪、此(これ)をば玆寐(しび)と云ふ。}太子の期り……以下略。 (11-3)鮪:しび:@岩波文庫版 『日本書紀(三)』注六(147p):清寧記〔古事記、下つ巻清寧天皇〕には「平群臣之祖、名志毘臣」とあり、菟田首(うだのおびと)の女、大魚(おふを)を歌垣で顕宗天皇と争って殺されたとある。記紀いずれの形が本来のものか明らかでないが、津田左右吉は……中略……書紀編纂の際に顕宗天皇についての物語を武烈天皇の話にすり換えたのであろうとしている。A同内容について「古事記伝」第43(清寧)(吉川弘文館増補全集本第四)2119〜2134p参照。○補注(1):「シビ」と訓むことについては、〔14〕鮫の注14-13(a)(b)において エキ齊によって、大魚とサメのサンスクリット語言説に関連してシミ≒シビの訓みとのかかわりに触れているので参照されたい。 「大魚」を「オウオ」「オオウオ」と読めば「シビ」(マグロ)だが、「タイギョ」「ダイギョ」と読めば鯨(クジラ)となる。○補注(2):古代魚名を考えるとき、この「大魚」は、異種間の枠を越えて、いろいろな姿に変化しながら登場する重要なキーワードとなる。グループわけにトライしてみる要あり。 (11-3-2)魚名を冠した、或は含む古代史文献に登場する人名(しび、このしろ、ふな 、いるか等)については、ブログ版MANAしんぶんに整理して載せておいた。 (11-4)万葉集:@巻六(938)「山部宿禰赤人の作れる歌一首」藤井乃浦爾鮪釣等海人船散動……(ふじいのうらにしびつるとあまぶねさわぎ云々)(岩波文庫本上巻253p)、A巻十九(4218)「漁夫の火の光を見る歌一首」鮪衝等海人燭有射里火之……(しびつくと、あまのともせるいざりびの云々)(岩波文庫本280p) (11-5)そのほか鮪(6画)用例参照。 (11-6)毛詩:魚麗:詩経、小雅、魚麗(ぎょり)篇(TDB「毛詩注疏二十巻」722)。いわゆる「饗宴詩」として位置づけられる篇で、[嘗](ショウ:ギバチ:魚種の解釈は加納喜光氏「漢字の博物誌」による)、鯊(サ:カマツカ)、[方](ホウ:トガリヒラウオ)、[匽](エン:ドジョウ)、鯉(リ:コイ)などが登場する。 原文テキスト:[嘗](14画)。 (11-7)正義引陸璣疏云、[嘗]一名黄頬魚:TDB「毛詩注疏二十巻」孔頴達疏(「毛詩正義」)[嘗’]揚者魚有二名、釈魚無文、陸璣疏云、[嘗’]一名黄頬魚是也、似燕頭 、角身、形厚而長大、頬骨正黄、魚之大而有力解飛者、徐州人謂之揚黄頬通語也。鯊[它]釈魚文、郭璞曰、今吹沙也。陸璣注云、魚狭而小常張口吹沙故曰吹沙。此寡婦笱(かふこう:魚所留也=簗:ヤナ:固定式網漁具)而得[嘗’]鯊之大魚是衆’多也。……以下略。 (11-8)東山經云: 『山海経』「東山經」云:【山海経箋疏】(郭璞伝/郝懿行箋疏。還読樓校刊本)(WLDB)古書注参照:山海経第四東山經(2-29〜30):又南三百里、曰 、番條之山、無草木、多沙。減水出焉{音同減損之減。 懿行案〔略〕}、北流注于海、其中多[感]魚{一名黄頬、音感。 懿行案。[感]一名[乇]。説文云、[乇]哆口魚也。廣雅云、[氐][亢][唐]、[乇]也。玉篇云、[乇]黄頰魚、郭氏注、上林賦云、[乇][感]也。一名黄頰、與此注合、又謂之[嘗]、小雅魚麗篇,毛伝云、[嘗]楊也。陸璣疏云、今黄頰魚也。似燕頭、魚身、形厚而長大、頬骨正黄、魚之大而有力、解飛者、徐州人謂之楊、黄頰通語也。今、江東呼黄鱨魚、亦名黄頰魚、尾微黄、大者長尺七八寸許。} (11-8-その2)(A)黄頬魚是也。似燕頭、角身、形厚而長大、頬骨正黄。(B)今黄頰魚也。似燕頭、魚身、形厚而長大、頬骨正黄。……「角身」(角ばった姿)、「魚身」(魚の姿)。今手元に、陸璣「毛詩草木鳥獣蟲魚疏」なく、要確認。○参考:和刻本「陸氏草木鳥獣蟲魚疏図解」(淵在寛述)(TLDB-鴎外文庫)(読み下す)魚麗于羀鱨鯊:「[嘗’]一名揚、今ノ黄頬魚、燕頭ニ似テ、魚身、形厚クシテ長ク、骨正ニ黄ナリ、魚ノ之大ニシテ力ラ有テ飛スルコトヲ解スル者ナリ、徐州ノ人、之ヲ揚ト謂フ、黄頬ハ通語ナリ。今マ、江東黄[甞]魚ト呼ブ、亦タ黄頰魚ト名ク、尾微ク〔カスカニ〕黄ナリ、大ナル者長サ尺七八寸許、[沙]ハ吹沙ナリ、…以下略」……参考:「一名揚」は「楊」とかくテキストあり。遥(ヨウ)に通じ、「解飛者」と書いていることから、「鰩」をも想起させる。 (11-9)この節は、「鮪」に「黄頬」の名をかぶせた源君の出典元を探そうとしたエキ齊も、見つからなかったという件である。「本草和名」には載せていない「鮪」と同音のイ「[夷]」に「黄頬」を与えていることと関係アリやナシや。エキ齊は、この点から発し、鮪と[亶]と「シュク」とのかかわりから考証を進めるのが次の節である。 |
爾雅注云、大為ニ王鮪一、小為ニ[*2]鮪一、{○『爾雅』「釈魚」郭璞注は、二つの「為」字を、「者名」の二字に作る。 此の引用(「爾雅注云」)は蓋し(『爾雅』の)「旧注」によっている。今本の郭璞『爾雅注疏』は[*4]に作る。 陸徳明『爾雅釈文』は「叔」〔[*3]〕に作り、「字林」は[*4]に作る、と云う。是は、陸徳明が見た 『爾雅』「郭璞注」も また[*4]に作ってはいなかった、ということであろう。また、エキ斎按う。『呂氏春秋注』は、「鮪魚似鯉而大」と云い、 『礼記正義』 は、「爾雅郭璞注」を引用し、「似[亶]而小、建平人呼[各]子、一本云、王鮪似[亶]、口在頷下、音義、似[亶]、長鼻、體無鱗甲」と云う。『毛詩正義』は「陸璣疏」を引用して、「鮪魚形似[亶]而K、頭小而尖、似[夷]兜鍪、口亦在頷下、其甲可以摩薑、大者不過七八尺、益州人謂之[亶]鮪、肉色白、味不如[亶]也」と云う。鮪は未詳だが、「口在頷下、其甲可摩薑、肉色白」(の特徴)に拠れば、是は則ち鮫魚の類であろう。「之比」( シビ)に非ず。「鮪」を訓じて「之比」とするのは、允(あ)たっていない。「之比」( シビ)は「万具呂」(マグロ)の仲間(属)で、嶧山君( 錦小路嶧山)は、『大倉州志 』に載る「金槍魚」が「之比」に充(あ)たる、と云う。那波本は、[*2]を「叔」に作る。エキ斎按う 。『干禄字書』は、「*2叔上俗下正」と云う。}
抄本文読み下し:鮪 食療經は云う。鮪、{音委(イ)。}一名黄頰魚(コウキョウギョ)、{之比(シビ)、}/ 爾雅注(ジガチュウ)は云う、大は王鮪(オウイ)と為し、小は[*2]鮪(シュクイ)と為す。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鮪(6画)。 〔注〕(11-10)爾雅注:古書注参照。爾雅郭璞注より以前の「旧注」によっている。 (11-11)釈魚郭注:爾雅注疏巻十「釈魚第十六」(テキスト:TDB「爾雅注疏十一巻」):[各][*4]鮪【註】鮪[亶]属也、大者名王鮪、小者名[*4]鮪、今宜 都郡自京門以上江中通出[覃][亶]之魚有一魚状似[亶]而小建平人呼[各]子即此魚也{○[各]音洛[*4]音叔鮪音偉【疏】郭義具注云陸璣云、鮪魚形似[亶]而青黒、頭小而尖、似鉄兜鍪口、亦在頷下、其甲可以摩薑、大者不過七八尺、益州人謂、之[亶]鮪、大者為王鮪小者為[*4]鮪、一名[各]、肉色白、味不如[亶]也、今東萊遼東人謂、之尉魚、或謂、之仲明、仲明者楽浪尉也、溺死海中化為此魚、又曰、河南鞏県東北鴻j山腹有穴、旧説云、此穴與江湖通鮪従此穴而来北入河西上龍門入漆沮、故張衡賦云、王鮪岬居山穴為岬謂此穴也、月令季春薦鮪於寝廟天官漁人春薦王鮪是也、} (11-12)釈文又作叔:唐の陸徳明撰(音釈)「爾雅三巻」「爾雅釈文」。 『経典釈文』古書注参照。後日確認の上加注。 (11-13)字林:晋の呂忱撰。主な字書の成立関係は小生作成「魚名考参考年表」参照されたい。 |
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(11-14) 呂氏春秋注:『呂氏春秋』高誘注:おそらく「本味篇」:和之美者、陽樸之薑、招搖之桂、越駱之菌、鱣鮪之醢、大夏之鹽…以下略の注。原典テキスト手元になく未確認のため後日加注する。 (11-15)礼記正義:テキストTDB「十三経注疏」(汲古閣刊)「礼記注疏六十三巻」:「天子始乘舟、薦鮪于寢廟」○正義曰。案爾雅釋魚云、[各][*4]、郭景純〔郭璞〕云、似[亶]而小、建平人呼[各]子、一本云、王鮪似[亶]、口在頷下。音義云、大者為王鮪小者為[*4]、鮪似[亶]長鼻、體無鱗甲。(画像D:546)。鄭玄・注、陸徳明・音義。孔頴達・疏(正義)。山海経郭璞注にほぼ同じ記述あり(「鮪(6画)」参照。 (11-15)毛詩正義:TDB「毛詩注疏二十巻」孔頴達疏(「毛詩正義」)第三巻之ニ碩人篇(273〜279:278):「河水洋洋、北流活活、施罛濊濊、[亶]鮪發發、葭菼@@、庶姜孽孽、庶士有朅。」【箋】略。【疏】{〈伝〉罛魚罟、至送女者○正義曰。 前略…陸璣云、[亶]鮪出江海、三月中従河下頭来上、[亶]身形似龍、鋭頭、口在頷下、背上腹下皆有甲、縦廣四五尺、今於盟津東石磧上釣取之、大者千餘斤、可蒸為[確(石→月)]、又可為鮓、魚子可為醤、鮪、魚形似[亶]而青黒、頭小而尖、似鐡兜鍪、口亦在頷下、其甲可以摩薑、大者不過七八尺、益州人謂之[亶]鮪、大者為王鮪、小者為[尗]鮪、一名[各]、肉色白、味不如[亶]也。……以下略。} (11-16)建平人:三国呉の一郡、現在の四川省巫山県一帯。 (11-17)嶧山君: 錦小路嶧山:丹波頼理のこと。 (11-18)大倉州志: 国会図書館蔵書「諸州府志」(特1-2181)に「大倉州志物産」あり。未見。「金槍魚」 :「大倉州志」を出典に含む福井春水編『掌中名物撰』(天保4・1833年刊)に「マグロ 金槍魚(清俗)」と載る。 「キンソウギョ」と読むのだろうが、中国において、マグロを指す漢字として使われるようになったのは明代以降と思われるが不詳。 (11-19)干禄字書:「古書名注」参照。 |
〔12〕鰹魚 唐韵云、鰹 、{音堅 、漢語抄云、加豆乎、式文用二堅魚二字一。}{○堅魚は、 『延喜式』四時祭、齊宮寮、齊院司、大嘗祭、中務省、陰陽寮、主計寮、織部司、大膳職、大炊寮、主殿寮、内膳司、造酒司、主水司、京職、主膳監等の式に見える。『新撰字鏡』に、[甞]、魴、[惟]、[比/土]、[竟] を載せ、皆、「加豆乎」(カツオ)の訓みを与えている。エキ齊按う。疑うらくは、(『新撰字鏡』の加豆乎に訓ませた五字のうち)[比/土]は 、鰹の譌(カ)字であろう。
参考字形:![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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抄本文読み下し:鰹魚 唐韵は云う。鰹、{音堅( ケン)。漢語抄は云う。加豆乎(カツヲ)。式文は、堅魚二字を用う。} /大[同]なり。大は鰹を曰い、小は[兌]を曰う。{音奪(ダツ)。野王案ずるに、[同]の音は同(ドウ)にして、[彖/虫]魚なり。[彖/虫]魚は、下文に見ゆ。今、案ずるに、堅魚となすべきは、この義、いまだ詳ならず。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[鰹](11画)。 |
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〔注〕(12-1) 唐韵:古書名注「唐韻」(とういん)を見よ。 (12-2)漢語抄:古書名注「揚氏漢語抄」(ようしかんごしょう)を見よ。 (12-3)式文:延喜式:古書注参考: 「国史大系」@卷第1〜5、神祇:四時祭上:二月祭(10-4):鰒。堅魚各五両。…中略…烏賊。煮堅魚各二両。…中略…鰒。堅魚。二斤。…以下略。A巻第22〜23、民部省:(592-2)伊豆国:堅魚煎一…中略…壱岐島/三斤。堅魚九斤。{西海道諸国、十一斤十両。} B巻第24、主計寮上:(598-4)凡諸国輸調。…中略…(599-6)乾鮹九斤十三両。乾螺十斤十両。堅魚九斤。{西海道諸国、十一斤十両。…中略…}煮堅魚六斤七両。熬海鼠八斤十両。/凡中男一人輸作物。…中略…(600-4)堅魚一斤八両三分。{西海道諸国二斤。}C同:(603-1)志摩国調。雑鰒。堅魚。熬海鼠。雑…中略…庸。輸鮑。堅魚。鯛楚割。D同:(605-5)駿河国調。煮堅魚二千一百卅斤十三両。堅魚二千四百十二斤。庸。…中略…中男作物。…中略…堅魚煎汁。堅魚。 E以下堅魚類を収める国のみ記す。伊豆国、相摸国、安房国、紀伊国、阿波国、土佐国、豊後国、日向国、……以下略。 箋注記載引用例詳細は[鰹](11画)にのせる。「堅魚」(カツヲ)、「乾堅魚」(ホシカツヲ)、「煮堅魚」(ニカツヲ)、「堅魚煎」「堅魚煎汁」(いずれもカツオノイロリ)が載り、渋沢敬三:式内魚名:『祭魚洞襍考』(1954年岡書院。その後、「渋沢敬三著作集」第1巻1992年平凡社刊、「日本民俗文化体系3、渋沢敬三」宮本常一編著、昭和53年、講談社に載る。)に、カツオと訓み載せる。 |
[甞]
[A]
上から[B][C][D] 【新撰字鏡】(天治本)
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上から [a] [b][c][d]
【新撰字鏡】(享和本)
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【箋注倭名類聚抄】〔12〕鰹:国会図書館近代ディジタルLDB第八巻六丁裏10行中の7行目。
【くずし字解読辞典】(増補版)より
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(12-3-その2) 国立奈良文化財研究所「木簡画像データベース」を利用すると、「堅魚」を検索すると25件がヒットする。「鰹」のデータはゼロである。 (12-4)新撰字鏡:古書注参照。[鰹](11画)参照。 前掲注(6-6)に示したとおりエキ齊が見たのは、「享和本」(群書類従本)である。鰹字には、「加豆乎」の訓みはなく、また上記画像には載せていない「魴」は、「魴[魚+旁]同。方音。赤尾魚。不奈。又堅魚。」とこれも「加豆乎」の訓みはない。 (12-5)譌:「カ」と音で読み、 「ナマリ」、「ナマ」ると訓む。鰹を正字として、草行書のような略体字を介して、異体字が生れる過程を考えると、筆書きにより書写された文字を、写本あるいは刻字する際に、楷書体化された表記がされると、読者は本字とは別の字体として認知してしまうことによって、異体化していくと考えられる。 エキ齊の「譌(訛)」字は、このようにして「俗字」化していくことによって生れた字体を指すものと考えられる。 説文研究をベースにした、同音によって字義を同じくする諧聲字と区別して、「俗字」としての「訛字」を位置づけているということであろう。[鰹](11画)も参照されたい。 |
大[同]也、大曰レ鰹、小曰レ[兌]、{音奪、野王案[同]音同、[彖/虫]魚也
、[彖/虫]魚見二下文一、今案可レ為二堅魚一之義未レ詳、}{○下総本には、標目「魚」字はなく、恐らくは是(ゼ)とすべきではないであろう。『廣韻』は、大[同]とし、[同]の一字に作る。」エキ齊按う
。『爾雅』は、「鰹の大なるものが[同]、小なるものは[兌]」と云う。『唐韻』は之に依っているのであろう。『玉篇』の[蠡]は、大[同]のことである。『廣韻』には、[同]の上に大字がな
く、恐らくは脱字であろうか。」
エキ齊按う。『説文』には、鰹、[兌]の字は載っていない。『玉篇』は、「[同]は、鱧魚なり。[蠡]は[同]なり。」と云う。『説文』は、「[同]、魚名。一に[蠡]を曰うなり。」と云い、続けて、「[蠡]、[同]なり。」と云う。顧氏『玉篇』は、蓋し、之れ(『説文の記述』)によって、「蠡」に「魚」を従え、「[蠡]」を作ったの
であろう。
而して、『本草』白字は、「蠡魚、一名[同]魚」と云う。故に、源君は、魚字を従えない「蠡」を引用したのだろう。 然り、恐らくは、顧(野王)氏の舊い用例ではなく、[蠡]は即ち「玄鯉魚」のことであって、下文で本條が述べる加豆乎(カツオ)の字に宛てることはできない。
抄本文読み下し:鰹魚 唐韵は云う。鰹、{音堅( ケン)。漢語抄は云う。加豆乎(カツヲ)。式文は、堅魚二字を用う。} /大[同]なり。大は鰹を曰い、小は[兌]を曰う。{音奪(ダツ)。野王案ずるに、[同]の音は同(ドウ)にして、[彖/虫]魚なり。[彖/虫]魚は、下文に見ゆ。今、案ずるに、堅魚となすべきは、この義、いまだ詳ならず。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[鰹](11画)。 |
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〔注〕(12-6) 廣韻:TDB(大廣益会玉篇三十巻、廣韻五巻)下平聲巻第二:先第一(72):一○先{蘇前切、又、蘇薦切。}…○堅{古賢切。十七}鰹{[同]大曰鰹、小曰[兌]、[兌]音奪。} (12-7) 大[同]也:顧野王撰「玉篇」(大廣益会玉篇)(TDB同前):鰹{古田切。大[同]也。} (12-8)爾雅:TDB(爾雅注疏十一巻巻第十釈魚第十六):鰹大[同]小者[兌]【註】今青州呼小[麗]為[兌]{○鰹音堅、[同]音同、[兌]音奪。}【疏】此即上云鱧也、其大者名鰹、小者名[兌]、故注云、今青州呼小[麗]為[兌]、[麗]與鱧音義同。 (12-9)説文 :「鰹」「[兌]」:「説文解字」に載らない意味とは何か:つまり、爾雅には載って(注12-8参照)いるが、説文には載らず。 (12-10)玉篇[蠡]:玉篇(TDB):[同]{直壟切。鱧魚也。又直久切。}[蠡]{力啓切。[同]也。}鱧{同上} 。 |
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(12-11)本草白字:WBT「 寛永16(1639)年京都刊本「重刊証類本草(重修政和経史証類備用本草)」序例、明・成化4(1468)年版翻刻本」 より。:「開宝重定本草{開宝七年〔974〕詔ニテ新定本草ノ釈スル所ノ薬類或ハ允アタワザルコト有ルヲ、又、劉翰〔りゅうかん〕、馬志〔まし〕等に命テ重詳定ス。頗ル増損有リ。仍テ翰林学士・李眆、知制誥・王祐、扈蒙等ニ命テ重テ此ヲ看詳ス。神農諸説ハ白字ヲ以テ、之ヲ別テ、 名医ノ伝スル所ハ、即チ墨字ヲ以テ并ス。目録供二十一巻。}」(序列第43丁表)。これ以後「神農本草経」の365薬を白字にし、その他の増補された「名医別録」などの条文(365薬)を墨で記した併記式により増補・加注が重ねられていった(真柳誠「中国本草と日本の受容」)。 |
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(12-12)「神農本草経」江戸・嘉永七年、森立之校正本によるテキスト(東亜医学協会公開「中国医学古典テキスト」):蠡魚 一名鮦魚。味甘寒。生池澤。治濕痺面目浮腫。下大水。 (12-12-その2) 【證類本草】(政和本草:WDB)巻第二十巻蟲魚部(上品) 蠡{音禮}魚味甘寒無毒主濕痺面目浮腫下大水療五痔有瘡者不可食令人瘢{音盤}白一名 鮦{音銅}魚生九江池澤取無時{陶隠居云今皆作鱧字、舊言是公蠣蛇所變、然亦有相生者、至難死。…以下略 (12-13)本草和名:蠡魚{陶景注云今作鱧字}一名調魚{揚玄操音重}一名鮪{大者也古今注}和名波牟。〔元簡頭注〕按、蠡魚、本草一名[同]魚、[同]音重、如是、調乃[同]之訛、又按、古今注鯉之大者曰[亶]、[亶]之大者曰鮪、乃知一名鮪大者也、古今注九字、当是在前鯉條。〔森立之書き込み〕後要検討。 |
エキ齊按う。加豆乎(カツオ)は、是れ、加多宇乎(カタウオ)を省略して呼んだ名であり、加多(カタ)とは即ち、頑愚の意味である。『本朝月令』に、『高橋氏文』を引いて、「磐鹿六獦命 (イワカムツカリノミコト)、舳(トモ)を顧(カエリミ)すれば〔魚(ウヲ)〕多 く追い来(ク)、即ち磐鹿六獦命、角弭(ツヌハズ)の弓(ユミ)をもって、遊(ウカ)べる魚の中に当てしかば、即ち弭(ハズ)に著(ツ)きて出(イデ)て、忽(タチマ)ち数隻(アマタ)を獲(エ)し、仍号(ナヅケ)て頑魚(カタウヲ)と曰う。此(コ)を今諺(イマノコトバ)で堅魚(カツヲ)と曰う。今、角(ツヌ)をもって鉤柄(ハリ)を作り堅魚(カツヲ)を釣る、此は之を由とするなり、」を載せる。今の漁人は、魚を釣るに、その群れ集まるを見て、餌を取り、その集まってきた海上に投げ散(い)れると、魚は争って餌に食いつき、このときをみて、鹿の角で作った鉤の付いたしかけを投げ入れ、魚を獲るという。 『高橋氏文』がいうように、加豆乎(カツオ)は、頑魚であることがよく知れるのである。
抄本文読み下し:鰹魚 唐韵は云う。鰹、{音堅( ケン)。漢語抄は云う。加豆乎(カツヲ)。式文は、堅魚二字を用う。} /大[同]なり。大は鰹を曰い、小は[兌]を曰う。{音奪(ダツ)。野王案ずるに、[同]の音は同(ドウ)にして、[彖/虫]魚なり。[彖/虫]魚は、下文に見ゆ。今、案ずるに、堅魚となすべきは、この義、いまだ詳ならず。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[鰹](11画)。 |
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〔注〕(12-14)「本朝月令」所引「高橋氏文」:引用部分を 『伴信友全集』第三に載る伴信友『高橋氏文校注』の訓み下しに基づき訳すと「磐鹿六獦命(いわかむつかりのみこと)、…中略…、還る時、舳( トモ)を顧りみすれば、魚がたくさん追って来ました。すぐに磐鹿六獦命は、角弭(つのはず)の弓をもって、遊(うか)べる魚たちの中に、弭(はず)を著 (つ)き出すと、たちまち数隻(あまた)の魚が獲れました。仍ってこの魚を頑魚(かたうお)と号(な)づけました。この魚獲りの諺が、今の堅魚 (かつお)の名前に伝わったのです。今は、角で鉤と柄をつくり、堅魚を釣ることの、これが由来となっています。」となる。伴信友は「角弭之弓(ツヌハズノユミ)」 を注して、「弭(ハズ)に角を入(ハメ)たる弓なり{古の弓は、楢槻梓などの木弓なり、}和名抄に角弓、爾雅注云、弭今之角弓也、都能由美、とあるも、この角弭弓に当たる訓なるべし。 」と言う。関連箇所の原文テキストは[鰹](11画)に載せた。 |
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(12-15)今以レ角作二鉤柄一釣二堅魚一、此之由也、:「角弭弓」をどのように漁具として使ったのかは、この文章からは具体的にはよくわからない。ハズにはめたツノの部分を擬餌針にみたてて、魚群の中に入れると、魚がかかる、という「漁具の仕掛け」という読み方をして、考を進めた伴信友は、それでもイメージがわかないために、「此注文いと意得がたく、前に安房の國人に尋問ふに、其國わたりの海人の鰹釣るさまを見聞」きしたのだという。以下が、その答えであり、擬餌針をつかった古代鰹漁のようすが描かれているので長くなるが引用する。 (12-16)「牛角の先のかたを、魚の口に合(カナ)ふべく削作りて餌代(エノシロ)とし、其旁に鉄鉤(クロガネノツリバリ)を結付(ユヒツケ)て、其牛角の本の方に小孔(チヒサキアナ)を穿(エリ)て、釣繩を貫(トホ)しかため、さて本方(モトベ)七八寸囲(マハリ)なる大竹を、八九尺ばかりに切て釣棹として、釣るならひなりと談れり。以レ角作ニ鉤柄一、といへるに合ひてきこゆ、{此注文秘抄に釣ニ堅魚一の三字を脱し、作を爲と書り。また今字を脱し、柄字を槁橋橘など書る本あるは悉 く訛なり、また之字無き本もあり、此はいづれにてもあるべし、}又いはく、近世或は其餌代の角を[侯](フグノ)皮にて包み、又は鳥の[木+離][木+徒](フグケ)の黒きを少しく角に纏(マツヒ)着などすれば、よく釣食ふものなりといへり。なほ海人が心々に、とかくこしらへてものするなるべし。かくて艇(ヲブネ) 〔テブネか?〕に乗りて海原をうかがひ、鰹の集れる處に到りて、船を乗列(ナ)めて、鉤の角を投入るれば、群寄りて競ひ食ふを、大聲を揚ていかめしくいきほひて、時のまに あまた釣上るなり、あまりに多く集れる時、たゞ船をしるべに群り競ひ寄りて、船中にも跳入り、また往来(ユキヽ)の他船(アダシフネ)をも慕ひ追来(オヒク)ばかりなる事も、まれ \/にありと聞けりと語れり、後に上總伊豆相摸の國人の語れるも、とり\"/ながら大むね同じ。/注本朝食鑑、凡漁人釣レ鰹以ニ犢角及鯨牙一、……〔以下略 〕といへり、既に己が聞たるとおほかた同じ趣ながら、はやくむかし人の記しおけるがおむかしくて注(か)き添へつ、/此時の古事に、いとよく合ひてきこゆるにあはせて考ふるに、上に以ニ角弭之弓一當ニ游魚之中一、即着レ弭而出忽獲ニ數隻一、といへる其弓弭は、牛角にてぞ製りたりけむ、其を游べる堅魚の中に擬ひたりければ、やがて其角に喫着て、水を出たるを捕れる由にきこえたり、」(前掲全 集第三、58〜59p)関連箇所の原文テキストは[鰹](11画)に載せた。 |
然り、堅魚は、仮借(かしゃ)字である。本居氏は云う。是の魚は、古くは、皆、乾脯(ほじし)にするために之を用いる。賦役令、大神宮儀式帳、貞観儀式、及び延喜式の如くに、之を称するに、皆、斤をもってするのは、その堅さが他魚の脯に過(まさ)るものとして実証されていることがあるからである。故に名を堅魚と曰う。その説 もまた通用したことによって、後の人は「鰹」という字を作った。けだし、皇国(わがくに)が製するところの二つの合わせ字〔魚+堅=鰹〕としてみたとき、鰹は、[同](の字義)と同じではない。源君は、鰹が二つの合わせ字として使われることを知らなかったために、 『唐韻』の鰹字を引用し、鰹は即ち蠡魚のことであって、この間いわれてきた堅魚にはあらずとし、「未詳」という字を用いて、これに疑いをもたず、深く考察をすることがなかったのであろう。
抄本文読み下し:鰹魚 唐韵は云う。鰹、{音堅( ケン)。漢語抄は云う。加豆乎(カツヲ)。式文は、堅魚二字を用う。} /大[同]なり。大は鰹を曰い、小は[兌]を曰う。{音奪(ダツ)。野王案ずるに、[同]の音は同(ドウ)にして、[彖/虫]魚なり。[彖/虫]魚は、下文に見ゆ。今、案ずるに、堅魚となすべきは、この義、いまだ詳ならず。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[鰹](11画)。 〔注〕(12-17)仮借:かしゃ(假借): 漢字の造字法の一つで、許慎は『説文解字』序において、漢字を、@象形、A指事、B会意、C形成、D転注、E仮借に分類し、これを「六書」(りくしょ)と呼んだ。E番目の「仮借」は、「字の意味に関係なく、音だけ借りて言葉をうつすこと」(【学研新漢和大字典】)をいうが、和名と漢字の表記のかかわりについては、「説文解字」の解釈だけでは、説明ができず、エキ齊は、もっと幅の広い解釈をしている。源順序文の箋注で、その注意点を挙げている。 (12-18)本居氏云:古事記伝:古書注参照:『古事記伝』(吉川弘文館増補全集第四、2032頁〜)四十一之巻「朝倉宮上巻」(雄略天皇)「河内(かふち)に幸行(いでまし)き。爾(か)れ山の上に登りまして、国内(くに)望(みしせ)れば、堅魚(かつを)を上(あげ)て舎屋(や)を作れる家有り。天皇其の家を問はしめ云(のたまは)く。其の堅魚を上げて作れる舎屋は、誰(た)が家ぞととはしめたまひしかば、志幾(しき)の大県主が家なりと答白(まを)しき、……」【傳】○堅魚(カツヲ)は、屋ノ上なる堅魚木(カツヲギ)なり。まづ、堅魚と云魚は、 和名抄に唐韻ニ云ク鰹ハ大[同]也云々、漢語抄ニ云ク加豆乎式文ニ堅魚ノ二字ヲ用フとあれど、漢国の鰹は当らず。加都袁(カツオ)と云名は、加多宇袁(カタウヲ)の切(ツヾマ)りたるにて、即チ堅魚(カタウヲ)とは書るを、{古書には皆此字を書り、}後に此の二字を合せて、此方(こゝ)にて鰹字は作れるにこそあれ、{漢国の鰹字を当たるには非ず、漢国の鰹は鱧(ハム)にて、堅魚(カツヲ)とは大(イタ)く異なり}。さて古にいわゆる堅魚(カツヲ)と云るは此ノ魚の肉を長く裂(ワリ)て煎(ニ)て乾(ホシ)たるいはゆる鰹節(カツヲブシ)のことにて、貞観儀式延喜式などに多く見えたる皆是なり、{故に堅魚幾(いく)斤とあり、儀式に堅魚一連ともあり、又和名抄塩梅類に本朝式ニ云堅魚煎汁ハ加豆乎(カツヲ)以呂利(イロリ)とあるも、鰹節の煎汁なり、}さる故に堅魚(カタウヲ)とは云なり。もと生魚の名には非ず。{今ノ世とても、海ありて此生魚ある国々にてこそ生(ナマ)なるを加都袁(カツヲ)と云ヒ鰹節をば鰹節といへ、京などにては常に加都袁(カツヲ)と云は、鰹節のことなり、}さて、屋ノ上に置ク加都袁岐(カツヲギ)も其の形の鰹節に似たる故の名なり、……以下略 |
エキ齊按うに、加豆乎(カツオ)は、西土にこれと同じものはなく、漢名に該当するものはないのであろう。『中山伝信録』という書に、「佳蘇魚、削二黒 饅魚肉一、乾レ之為レ脯、長五六寸、梭形、出二久高一者良、食法、以二温水一洗一過、包二芭蕉葉中一、入レ火略煨、再洗浄、以利レ刀切レ之、三四切勿レ令レ断、第五六七始断、毎一 片形如二蘭花一、漬以二清醤一更可レ口、 」と云う。佳蘇魚は、即ち加豆乎であり、いわゆる堅魚節(かつおぶし)のことである。則ち琉球では、黒饅魚を加豆乎(かつお)にあてている。
下総本は、「大日」以下六字に分注をつけ、伊勢廣本には、是の六字がなく、及び二字が抜けており、皆(原本とは)非とするものであろう。
下総本の、「野王案[同]」の四字、及び「[彖/虫]魚也」の三字を、正文として記している。廣本も同じである。」
エキ齊按う。野王『玉篇』の「鰹は是れ[同]」とし「[同]は即ち蠡魚」を引いて、堅魚に非ず、とする証明をしたのであるから、則ち、野王案以下文を正文とすることは非とするべきであろう。下総本は、「案」の下に「云」字が有り、また、[彖/虫]字は蠡に作る。那波本 も亦た蠡に作る。
抄本文読み下し:鰹魚 唐韵は云う。鰹、{音堅( ケン)。漢語抄は云う。加豆乎(カツヲ)。式文は、堅魚二字を用う。} /大[同]なり。大は鰹を曰い、小は[兌]を曰う。{音奪(ダツ)。野王案ずるに、[同]の音は同(ドウ)にして、[彖/虫]魚なり。[彖/虫]魚は、下文に見ゆ。今、案ずるに、堅魚となすべきは、この義、いまだ詳ならず。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[鰹](11画)。 |
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〔注〕(12-18)西土:中国をさす。 (12-19) 中山伝信録:清の康煕58(1719)年に琉球尚敬王の冊封使として来島した徐葆光が記した使録が「中山伝信録」。初版は康煕60(1721)年刊。自序に、命を奉じ康煕58年6月に琉球に来て8ヵ月滞在したとあり、その間に、琉球の制度、礼儀、風俗などを見聞した記録を図入りで記した。「中山」(ちゅうざん)は、琉球国王名。全6巻。その六巻が「風俗・日用器具・市場・武器・月令・物産・語彙」の「物産」の鰹節の製法について載る。明和3(1766)年京都で出版された「重刻」版が、琉球大学付属図書館「伊波普猷文庫」DBに画像公開されている。 (12-20) 中山伝信録云:〔佳蘇魚〕削二黒饅魚肉一、乾レ之為レ脯、長五六寸、梭形、出二久高一者良、食法、以二温水一洗一過、包二芭蕉葉中一、入レ火略煨、再洗浄、以利レ刀切レ之、三四切 [皆]勿レ令レ断、第五六七始断、毎一片形如二蘭花一、漬以二清醤一更可レ口、:明和3年重刻板では、忽令の前に「皆」が入る。箋注版の脱字であろう。訳すと「〔佳蘇魚〕は、別名、黒饅魚。その身肉を削(割)り、之を乾し、乾し肉とする。その長さは五〜六寸で、梭(ヒ:織り糸の横糸を通す具)のかたちをしている。「久高」(久高島)に出来たものが良い。食製法は、温水でひとくぐりさせて洗い、芭蕉の葉で包み、略煨 (うずみ火)にいれ(蒸し焼きにし)、もう一度洗浄する。その後、よく切れる刀で三ないし四切れに切り、さらに五〜七に切り分け(第五六七始断の意味が良くわからない?)ると、その一片が蘭の花のようであり、清んだ醤(ひしお)に漬け、それを口に入れる。」となろう。ただし、エキ齊は、「佳蘇魚」=カツオ(節)としてほぼ断定していることに検討を加える要あり。琉球の清との交易に関する文書には、同一書に「佳蘇魚二百個」とともに「鰹節一箱(二百塊)」(沖縄の歴史情報第5巻DB、翁姓家譜(伊舎堂家))や「佳蘇魚三十個」「鰹節一匣」(同、鄭氏家譜(古波蔵家)が併記されてあり、いわゆる現在のカビ付けと乾燥を繰り返してカチカチになった鰹節(ホンブシ)をのみ想起するのではなく、ナマリ節、生節などの製品をも考慮して再検討したほうがよいだろう。 (12-20-その2)堅魚と鰹、カタウオとカツオの字源考証において、前掲注12-14〜12-16、伴信友『高橋氏文考注』において、「京にても諸國の中にても、鰹節を、たゞに鰹といふ處、彼此きこえたり、但し式に堅魚筥二十四合、腊(キタヒ)筥五十五合など見えたる堅魚は、上に云へるごとく、腊の堅きにて、鰹節のことなるべく、腊はきたひのよわき品をいへるなるべし、また堅魚脯(カツヲノホジシ)とあるは、そのきたひのまだしきをいへるにて、今俗になまりといひ、又なまり節(ブシ)ともいふ、これにて其はきたひに對へてなまりといへるなるべし、又式に煎堅魚(ニカツヲ)若干斤と見えたるは、脯のまだしきなるべし、又堅魚煎汁(カツヲイロリ)若干斤とあるは、鮮堅魚(ナマカツヲ)の膏油(アブラ)を煎取(ニトリ)たるを云、今も海人の其を貯置て、醤油(ヒシヲ)に和(アハ)せて物を煮るとぞ、是なるべし、さて又式に堅魚ならぬ魚類に、鯖(サバ)、鰒(アハビ)、烏賊(イカ)、螺(サヾエ)、蛸(タコ)などをも若干斤と書るも、他物の例によるに乾物(ヒモノ)なるべきを、然書ても用足(コトタ)りて通えたりしなるべし、さて件の竪魚のくさ\"/の造りざまは、今さだかに知べき由なけれど、せめて試にいへるなり、」と補注しており、正当なる指摘である。 |
![]() 『中山伝信録』(WLDB)(重刻和刻本)第6巻「物産」:「佳蘇魚」の「蘇」は、画像(他のテキストも同)では、草冠の下の「魚+禾」が逆転して「禾+魚」となっているが、通用し同字である。
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〔13〕[乞]魚 玉篇云、[乞]、{居迄反漢語抄云、古都乎、式文用二乞魚二字一、}{○乞魚皮の字は、齊宮寮、内膳司、主膳監等の式に見える。/エキ齊按う。備後鞆浦に「許都宇乎」(コツウオ)あり。是について、小野蘭山は、「許都宇(コツウ)のことであり、色は黒と白 (色p白)で、口は頷(あご)の下についていて、長さは、小さいものは四五寸、大きなものは二丈余りになる。尾は燕尾のごと し。是れは、『寧波府志』に載る燕尾鯊に当るものであろう。」と云う。錦小路嶧山君は、「燕尾鯊は俗に左賀菩宇(サガボウ)と呼ぶものである。」と曰う。
抄本文読み下し:[乞]魚 玉篇は云う。[乞]、{居迄反。漢語抄は云う。 古都乎(コツヲ)。式文は、 乞魚二字を用う。} /魚名なり。 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :箋注原文テキスト[乞](3角)。 |
〔注〕 (13-1)玉篇:TDB「大廣益会玉篇三十巻(張氏重刊宋本玉篇)」:[乞]{居乞切。断魚也。} (13-2)漢語抄:参考古書注。 (13-3)式文:「国史大系」:@乞魚皮:延喜式第五巻:斎宮:月料:乞魚皮十五斤。/同第三十二巻内膳司:乞魚皮廿斤十三両。/同第四十巻主水司:乞魚皮十五斤。A許都魚皮:同第二十四巻主計寮上:凡中男一人輸出物…中略…許都魚皮…中略…雑魚腊各二斤、…中略…、備前国…中略…中男作物、…中略…許都魚皮、…中略…備中国…中略…中男作物、…中略…許都魚皮、…中略…備後国、…中略…中男作物、…中略… (13-4)小野蘭山曰「許都宇云々」:『本草綱目啓蒙』(平凡社東洋文庫、小野蘭山著「本草綱目啓蒙」3)254頁訳文「燕尾鯊{寧波府志}は、コツウオ{備後鞆}」以下。同書、巻之四十、鱗之四、無鱗魚「鮫魚」項首題(250頁)に「サメ シャカボウ〔一名〕海鯊魚{通雅} 潮鯉{広東新語} 皮〔一名〕[台]魚皮{千金方}」。 (13-5)寧波府志:ねいはふし:古書注参照:燕尾鯊(あえて読めば「エンビサ」「エンビザメ」):【寧波府志】(張時徹・纂修。周希哲・訂正。嘉靖39[1560]序)(WLDB):第十二巻「物産(鱗之属)」鯊魚{皮上有沙、故名有、白蒲鯊、黄頭鯊、白眼鯊、白蕩鯊、青頬鯊、班鯊、牛皮鯊、狗鯊、鹿文鯊、[夷]鯊、[歮]鯊、燕尾鯊、虎鯊、犂到鯊、香鯊、熨斗鯊、丫髻鯊、剣鯊、刺鯊、鋸鯊、其類甚多} (13-6)色p白:p=[白/七][白/十](音ソウ)で「黒い」色。p白(そうはく)は「黒と白」(【学研新漢和大字典】) (13-7)錦小路嶧山:ニシキコウジエキザン。 医師、本草家。錦小路(丹波)頼理(よりただ)の号である。『本草薬名備考和訓鈔』(文化4・1807)刊。 「嶧山君曰」として、エキ齊は多くの引用をしている。人名注参照。 (13-8)左賀菩宇(サガボウ):『物類称呼』(岩波文庫版)巻之二(49〜50ページ):鮫魚 さめ○播州にて○のそといふ。越前にて○つの字と云。その故は、此魚捕(とら)へて磯(いそ)へ上れば假名(かな)の“つ”の字の形に似たりとて、越前の方言につの字となづくと也。大和にては○ふかと云。さめと[亶]魚(ふか)とは大イに同しくしてすこしく異(こと )也。ふかの類多し。或は白ぶか、うばぶか、かせぶか、鰐(わに)ぶか、もだま、さゞいわり等有、皆さめの類なり。四国及九州に、“さめ”の称なし。すべて“ふか”と呼び、又江戸にて一種○ぼうざめと云有。下野国宇都宮(うつのみや)辺にては○さがぼうとよぶもの也。江戸にて云○ほしざめを、西海にて○のうそうと云。江戸にて○しゆもくざめと云を、西国にて○念仏坊といふ。是土佐の国にて云○かせぶかなり、又土佐にて一種○なでぶ〔ふ〕かといふ有。船端(ふなばた)に人立時は、必尾をもてなて落すと也。 |
魚名也、{○エキ斎按うに、乞魚は「主計寮式」に見え、或は、「許都魚」に作る。乞魚は「許都魚」であり、仮借字である。源君は、もって、玉篇の[乞]字となすとしているが、恐らく、こじつけ(牽強)であろう。}
〔注〕(13-9)主計寮式:前掲注(13-3)に載せる。 (13-10)前掲注13-1、13-2参照。 (13-11)@中国における鮫・鯊・鱶・鯗及び鮝の字形及び字義の検証が要検討。Aサメ・フカの生物としての呼称と乾し魚及び皮など加工製品の呼称の整理をする必要があろう。「のうさば」について。B[乞]の字体再検討。玉篇の「断魚」とは何か。「乞」の字体と、「兌」の字体との比較検討→(a)ハモ(鱧)、カツオ(鰹)、[同]魚など大魚につながる字体の検証、(b)タチウオ:[斉]⇔エツ・ダツ・ハモなど「太刀」(タチ)形魚類の呼称の検証、……を課題としたい。 |
〔14〕鮫 陸詞切韻云、鮫{音交、佐米、}{○下総本には、「和名」二字あり。/『本草和名』、『新撰字鏡』も同じ訓みを与えている。又、『新撰字鏡』に載る、[台]、鰹、[因]についても、皆同じ訓みを与えている。}
抄本文読み下し:鮫 陸詞切韻は云う。鮫、{音は交。 佐米。} /魚皮に文有り。刀剣を飾るべきものなり。/兼名苑は云う。一名は[氐][弥/魚]。{低迷二は音なり。}/本草は云う。一名は[昔]魚。{上は倉各の反なり。}/拾遺は云う。一名は鯊魚。{上の音は沙なり。字も亦[少]に作る。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鮫(6画)。 |
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〔注〕(14-1) 陸詞切韻:りくしせついん:古書注参照:陸法言撰「切韻」 。 (14-2)本草和名:古書注参照:「本草和名(寛政刊・古典全集本)」 (右画像):鮫魚{仁諝音交}一名[昔]魚皮{仁諝音、倉各反、装刀靶者也}一名[亙’][弥/魚]{位迷二音}一名[壊(土→魚)]雷一名青目一名黄頭{已上四名出兼名苑}一名鯊魚一名鰒甲{出拾遺}和名佐女。 (14-3)新撰字鏡:古書注参照: エキ齊は、既に見てきたように「享和本」ないし「群書類従本」によって箋注している。:【新撰字鏡(享和本)】(掲載順)@[台][追]{同。[勑]丈○○○反。壽也。老也。佐女。}A鮫{今作蛟。古希反。有文可飾刀劔。佐女。}B鰹{古年反。平。大[同]。魚名。佐女。}C[囙]{左女}……「佐女」という字において『本草和名』と同じ訓みである。「囙」=「因」として箋注文にのせたのだろう。 (14-3-その2)参考:【新撰字鏡(天治本)】(掲載順)@[台][追]{同字。[勑?]丈反。壽也。老也。■〔佐〕女}B鮫{今作蛟、古又有}B鰹{古年反。平。大[同]。則反伊加。魚名。}「鰹」には「サメ」の音を与えていない。また、「[因]」なし。「享和本」は「魚へん+旁り:囙(=イン)」に「左女」の訓みを与えている。「囙」=「因」として、享和本に載った理由を、【新撰字鏡(天治本)】の復刻として「古典索引叢書3」(全國書房昭和19年発行)編纂者である澤潟久孝(おもだかひさたか)氏による小学篇:[番]{加世佐波}[力]{佐比目左地魚女}[恵]{左波}[地]{波江。佐女。}に対する〔頭注〕に、「(一)加世佐波○地―治・魚囙―[魚へん+囙]」○[魚ヘン+地]―[魚へん+也]・女―波」を与えている。 (14-4)右画像の赤線と青線で印をつけた注文のある「[力]」字に注目した、澤潟博士は、割注として1行目右上から下によみ、2行目左上から下に読む、普通の読み方をするかぎりでは「佐女」の訓みは無く、エキ齊箋注にも佐女と訓む字に含ませていないのだが、「佐女」(左女)と読む、読み方を見つけた。つまり、「佐比目左地魚女」→「佐比/目/左/地/魚/女」→「佐比地」「目」→「囙」→「魚囙」→[囙](左女)の組み合わせが、可能になるというのである。この〔頭注〕は、享和本との対比の中で、つけているので、享和本の編者(写本者)が、天治本の写本について、別系統の写本を見たか、その知識を持っていた可能性を示唆していると見ることができよう。それは、【類聚名義抄(観智院本)】(鮫(6画)同項参照 )の、「サメ」及び「佐女(左女)」と訓む字形整理からも推量することができそうである。 |
【本草和名(古典全集本)】画像〈A〉
【新撰字鏡(天治本)】小学篇1行目〔頭注〕画像〈B〉 |
【新撰字鏡(天治本)】小学篇1行目〔本文〕画像〈C〉 |
魚皮有文、可以飾刀劔者也、{○エキ斎按う。『説文』は、「鮫海魚、皮可飾刀」と云う。 『玉篇』は、「鮫、[昔]属、皮有文」と云う。陸詞(『切韻』)は蓋し、之を本にしている。『廣韻』は、また「鮫、魚名、皮有文可飾刀」と云う。『山海経』「中山経」は、「漳水流れ出て、その中に、鮫魚が多くいる」と云う。 『山海経』注に、「鮫は鮒魚の類であり、皮には珠の文様があり、堅い。尾の長さは三、四尺あり、人を螫す毒はもっていない。皮は、材料の角(カド)を磨き細工し たりする(皮のヤスリ)のに使われたり、刀剣を飾るために使われる。 今、臨海郡に之を産する。」と云う。}
抄本文読み下し:鮫 陸詞切韻は云う。鮫、{音は交。 佐米。} /魚皮に文有り。刀剣を飾るべきものなり。/兼名苑は云う。一名は[氐][弥/魚]。{低迷二は音なり。}/本草は云う。一名は[昔]魚。{上は倉各の反なり。}/拾遺は云う。一名は鯊魚。{上の音は沙なり。字も亦[少]に作る。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鮫(6画)。 |
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〔注〕(14-5)説文:【説文】(「説文解字注十五巻」TDB):鮫:海魚也。皮可飾刀。{【段注】今所謂沙魚、所謂沙魚皮也。許有[少]字、云从沙省、蓋即此魚、陳蔵器曰、沙魚状皃非一、皆皮上有沙、堪揩木、如木賊、蘇頌曰、其皮可飾刀靶、按其皮可磨錯、故通謂之[昔]魚、音措各切、有鐇[昔]、有骨在鼻前、如斤斧形者也、有出入[昔]、子朝出求食、暮還入母腹中者也、淮南子鮫革犀兕為甲冑、中山経有鮫魚、郭云即此魚、中庸黿鼉鮫龍、本又作蛟。}从魚交声。{古肴切、二部、}……『本草綱目 』「鮫魚」及び左思『呉都賦』「[印]龜[番][昔]」も参照のこと。 (14-6)玉篇: 【玉篇】(大廣益会玉篇三十巻・張氏重刊宋本玉篇)(TDB):[少]{所加切、鮫魚}/鮫{古爻切、[昔]属、皮有文}/[昔]{倉合切、又音錯} (14-7)廣韻:鮫: 【廣韻】(五巻・張氏重刊宋本廣韻TDB):下平声巻第二:肴第五(82)鮫{魚名、皮有文可飾刀} (14-8) 山海経中山経:山海経注:鮫魚:@箋注文:鮫、鮒魚、類也、皮有二珠文一而堅、尾長三四尺、未レ有毒二螫人一、皮可下飾二刀劔口一、錯中治材角上、今臨海郡亦有レ之「人を螫す毒はもっていない」:原文:未有毒螫人:「未(いまだ……せず)」を「末(マツ:スエ)」とすると、意味が逆転し、尾の先の部分に毒があり、人を螫す、となる。このほうが自然な読みの流れであろう。 【標註訂正康煕字典】渡辺温篇が「末」であり、「末」のほうが正しいようだ。たしかに、鮫魚を、河にすむ魚と云う解釈から、サメのような魚ではないとすると、「未」のほうが正しいと云うことになる。しかし、鮫皮については、抄「調度部、弓劔具、鮫皮」に本草音義を引用して「鮫魚皮装刀[木+覇者也]」があるので、本項は明らかに「サメ」について源君は描いていることが推測されることから、エキ齊は「末」を「未」に読みまちがえたのか もしれない。A郝懿行【山海経箋疏】(WLDB):第五「中山経」:中次八經荊山之首、曰景山…中略…多文魚…中略…東北百里、曰荊山、…中略…其中多黄金、多鮫魚{鮫、鮒魚類也。皮有珠文而堅、尾長三四尺、末有毒螫人、皮可飾刀劒口、錯治材角、今臨海郡亦有之。音交。:懿行案。鮫魚即今沙魚。郭注、鮒字譌、李善注、南都賦引此注云。鮫[昔]屬是也、又云。皮有斑文而堅斑、疑珠字之譌。初学記三十巻引劉欣期広州記曰鮫魚出合浦、長三尺、背上有甲珠文堅彊、可以飾刀口、又可以鑪物、與郭注合、三尺疑當為三丈字之譌。又引此經荊山譌作燕山、郭注、尾有毒譌、作尾青毒、張揖注、子虚賦云、蛟條魚身而蛇、尾皮有珠也。蛟即鮫字古通用。}。其獸多閭麋{似鹿而大也。:懿行案…以下略}…以下略。 |
兼名苑云、一名[氐][弥/魚]、{低迷二音、}{○『本草和名 』は、同書文を引く。「低迷二音」もまた、『本草和名』と同じ。エキ斎按う。『廣雅』に「河[氐][乇]也。[氐]音齒之」という。 『玉篇』に「[氐]尺尸切、鮪[氐]也」と云う。 『廣韻』に「[氐]處脂切、魚名」と云う。音義は、(このように)それぞれに異っている。恐らく は、同じ字ではないのであろう。[弥/魚]字は、『玉篇』、『廣韻』、『集韻』には皆載っていない。「鮫、一名[氐][弥/魚]」は出典が不明なのである。
エキ斎按う。『玄應音義』は、「[土氐]彌、律中低彌皆作迷字、應言帝彌祇羅、 此云大身魚也」と云う。則ち、[土氐]彌は魚名であり、梵語の対訳であったが、後の人が魚編にして「[氐][弥/魚]」に作ったものであることが知れよう。 『龍龕手鑑』は、「[互]の音は低」「[彌]は俗字にして音は彌」とする。まさに、これが、その(『玄應音義』に云う)「大魚」のことであり、「鮫」の一名にあたるのである。 『兼名苑』はまた、「摩竭」を「鯨」とする。その意図するところは同じであるので略す。下総本[氐]は[互]に作り、伊勢廣本も同じ。 『龍龕手鑑』もまた、[互]に作る。エキ斎按う。『干禄字書』に「互氐上通下正、諸従氐者竝準此」と云う。」}
抄本文読み下し:鮫 陸詞切韻は云う。鮫、{音は交。 佐米。} /魚皮に文有り。刀剣を飾るべきものなり。/兼名苑は云う。一名は[氐][弥/魚]。{低迷二は音なり。}/本草は云う。一名は[昔]魚。{上は倉各の反なり。}/拾遺は云う。一名は鯊魚。{上の音は沙なり。字も亦[少]に作る。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鮫(6画)。 |
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〔注〕 (14-9)兼名苑:古書注参照。 (14-10)本草和名:注14-2参照。【本草和名】は、「位迷」と書く。同書元簡頭注及び森父子書き込みにも指摘されているように、「位」は「低」である。 (14-11)[氐]の音は、廣雅(s-i)、玉篇(s-i)、廣韻(s-i)字義は異なるが、音はいずれもS音(シ)。 (14-12)玄應音義:玄應一切經音義:古書注参照。「低彌皆作迷字」→「低迷」 (14-13) (a)〔第二卷大般涅槃經卷三十六〕「善男子。…中略…。迦葉菩薩白佛言。…中略…。言常沒者。所謂大魚受大惡業身重處深。…中略…。如是大魚。…中略…。謂坻彌魚。身處淺水樂見光明故出已住。」……「サメ」の語源が仏教経典に含まれる「[土+氏]彌」(大身魚)の梵語対訳語彙からきているという、エキ齊のこの「箋注」は、これまでの魚名語源考証では、触れられてこなかったことであり、注目すべき整理である。このセクションから、[氐][弥/魚]の訓みは、もともとの字音である「シメイ」「シミ(シビ)」が、あったことと、「低」の音によって示された「テイメイ」あるいは「テイミ」の訓みが通用して来たことがわかる。次のセクションに示された[昔]の訓みである「シャク」「サク」「セキ」及び、「沙」及び「少」を作り字とする「サ」「ショウ」の訓みに共通する「S」の音とが、関係し絡まりあいながらサメの呼称が変化していくことの特徴を見出すことが出来る。 (14-13)(b)補注:大魚が「シミ(シビ)」であるとすると、「大魚」である〔11〕鮪の古名「志毘」「志比」のシビの訓みにも通じるということになるのかもしれない。これは、要検討としよう。 |
【本草和名】画像Aより「一名[亙’][弥/魚]{位迷二音}」を拡大:[亙’]=[a]:[弥/魚]=[b]:[a]の右横書込み字 =[c]
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【倭名類聚鈔】(那波道圓本)「鮫」項より。[氐][弥/魚]{低迷二音}
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本草云、一名[昔]魚、{上倉各反、}{○『証類本草』「蟲魚部 」「下品」に「鮫魚皮 、即ち刀靶を装する、[昔]魚皮なり」と云う。『本草和名』に「鮫魚一名[昔]魚皮、此云一名」と云う。則ち、源君は蓋し、『本草和名』に従い之を引用したのである。 『説文』に、「[昔]」字なし。蓋し、是の字(鮫)と魚皮(の字義)との交錯によって「[昔]魚」と名したものであろう。後に、魚を从え、[昔]の字に作ったのであろう。}
抄本文読み下し:鮫 陸詞切韻は云う。鮫、{音は交。 佐米。} /魚皮に文有り。刀剣を飾るべきものなり。/兼名苑は云う。一名は[氐][弥/魚]。{低迷二は音なり。}/本草は云う。一名は[昔]魚。{上は倉各の反なり。}/拾遺は云う。一名は鯊魚。{上の音は沙なり。字も亦[少]に作る。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鮫(6画)。 |
〔注〕 (14-14)本セクションはエキ齊により、すでに以下の「箋注」がされていることを前提に読むべし。「箋注・巻五、調度部第十四、弓劔具七十四」鮫皮:仁諝本草音義云、鮫魚皮、{鮫音交、佐女乃加波、}{○昌平本下総本有和名二字、}装刀欛者也、{○本草和名云、鮫魚一名[昔]魚皮、鮫魚下云仁諝音交、[昔]魚皮下云、仁諝音倉各反、装刀靶者也、此所引即是、而欛作靶、為異、按説文、把、握也、転注凡物所握持之處謂之把、禮記曲禮、左手承弣、注云、弣、把中、釈文云、把、音覇、手執之處也、是也、後劔柄以皮装、故従革作靶、遂與轡革之靶混無別也、其欛字亦説文所無、後俗諧聲字、則欛靶並把字之俗、非別字也、説文云、鮫、海魚、皮、可飾刀、」鮫又見龍魚類、} (14-15)証類本草:古書注参照。 (14-16)前記注14-14中の「仁諝本草音義」 (じんしょほんぞうおんぎ)は輯佚書。「仁諝」撰「新修本草音義」(「新美篇・輯佚資料」)。 (14-17)「証類本草」蟲魚部「鮫魚皮」の條は、「下品」ではなく「中品」に載る。要確認。 (14-18)「本草和名」前記〔注〕14-2参照。 |
拾遺云、一名鯊魚、{上音沙、字亦作レ[少]、}{○『證類本草 』を引いて「沙魚」を作る。『本草和名』もこれと同じように引用したものであろう。エキ斎按う。『説文』に「[少]、魚名、出楽浪潘國、从魚沙省声」と云う。『玉篇』は「[少]、鮫魚、」と云う。 「六書故」に「 鯊、海中所産、以其皮如沙而得名」と云う。則ち、[少]は、沙、あるいはまた鯊に作るのである。また、『毛詩』(小雅)に「魚麗于羀、[嘗]鯊」と云う。『毛詩正義』に、 陸璣疏を引用して「魚狹而小、常張口吹沙、故曰吹沙」と云う。『爾雅』に「鯊[它]」と云う。郭璞 「注」は「今吹沙小魚」と云う。『廣韻』に「鯊魚名、今吹沙小魚」と云う。[少]は、上に記したとおりであり、その名の 由来(所以)は、異なっている。}
抄本文読み下し:鮫 陸詞切韻は云う。鮫、{音は交。 佐米。} / 魚皮に文有り。刀剣を飾るべきものなり。/兼名苑は云う。一名は[氐][弥/魚]。{低迷二は音なり。}/本草は云う。一名は[昔]魚。{上は倉各の反なり。}/拾遺は云う。一名は鯊魚。{上の音は沙なり。字も亦[少]に作る。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :鮫(6画)。 |
〔注〕 このセクションは、鮫は鯊(魚)とも書き、鮫の皮製品を指すことばとして使われたが、もうひとつ、「沙」(サ、スナ)を介して「今吹沙小魚」を指す字として使われるようになったという、整理をしている。 「大魚」の義を持つ「鮫」が、「小魚」であり名もつかぬ雑魚(ザコ)(ハゼやカジカやギギなど異種だが有る特徴を備えた魚たちのグループの総称)を指す字「鯊」と もかかわりを持って変じたことを示唆したものとして読むこともできるだろう。 (14-19)拾遺云:「本草拾遺」陳蔵器云う。 (14-20)六書:漢字の形・音・意味の成り立ちを説明する六つの原理。象形・指事・会意・形声(諧聲)・転注・仮借(許慎説文叙)。説文段注のもととなった段玉裁「六書音韻表」参照。 (14-21)六書故:「正字通」(【標註訂正康煕字典】渡辺温篇より読下し)青き目赤き頬。背の上に鬣(タチヒレ)有り、腹の下に翅有り。味肥美。六書故に曰。海中に産する(所)。其の皮、沙の如きを以って名を得る。哆(は)る口。鱗無し。胎生。…以下略。 (14-22)又毛詩云、魚麗云々:前掲〔注〕11-5、11-6、11-7参照。 (補)〔9〕鮝の項(フカ)を見よ。 |
〔15〕[宣]魚 弁色立成云、[宣]{音宣、波良可、今案所出未詳、式文用腹赤二字、}{○下総本は、[宣]の下に「魚」字あり。廣本も同じ。下総本注首に「上」字有り。 『新撰字鏡』に同じ訓みを載せる。「腹赤」は延喜宮内省、内膳司等の式に見える。
抄本文読み下し:[宣]魚 弁色立成は云う。[宣]、{音は宣。 波良可(ハラカ)。今案ずるに所出は詳ならず。式文は腹赤二字を用う。} |
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〔注〕 (15-1)[宣]は、中国の古字書、史料に類似形も見出せない、本邦で作られた文字 (国字)であろう。「腹赤の奏」(はらかのそう)あるいは「腹赤の御贄の奏」(はらかのみにえのそう)。「アイ嚢抄」(アイ:[土+蓋])正保3年板 (文安2年成立)(35丁表)、巻四の二十五「奏(ソウ)スル氷様(ヒノタメシ)腹赤(ハラカ)の御贄(ミニエノ)事」 に次のように載る。 「是ハ宮内省ノ奏スル事也。氷様ト申ハ、只氷リ也。去年納メタル所々ノ氷様ヲ、今日節会ノ次ニ奏聞スル也。是ヲ凍スル池ヲハ、氷池(ヒイケ)、ト曰也。延喜式ニモ、氷池ノ祭リヲ註シ侍リ。喩ヘハ氷ノ多ク生ハ聖代ノ験シ、氷ノ居サルハ、凶年ノ相也。仍テ氷ノ居サルハ、凶年ノ相也。仍テ氷ノ御祈トテ、大法ナト行ルヽ也。様(タメ)シトハ、寸法程ラヒノ分際アル故也。仁徳天皇ノ御于ニ額田大中彦(ヌカタオオナカヒコノ)皇子ノ初テ、氷ヲ奉ラセ給シ也。其後ヨリ、季冬毎ニ国々、是ヲ接(オサメ)テ、氷室ヲ置レシナリ。 次ニ、腹赤ノ魚トテ、筑紫ヨリ奉也。昔ハ節会ナントニ軈テ供シケルニヤ。腹赤ノ食様トテ、食サシタルヲ皆取リ渡シテ、食給ヒケルトナン。景行天皇ノ御時、肥後ノ国毛宇土(ケウト)ノ郡長浜ニテ、此ノ魚ヲ釣リ奉ヲ、毎年ノ節会ニ供スヘキ由、定メ置レケル也。」 |
参考字形
:[宣] |
(15-2)弁色立成:古書注参照。 (15-3)新撰字鏡:@【新撰字鏡(天治本)】小学篇、[宣]波良加。A【新撰字鏡(享和本)】(群書類従本も同)[宣]波良加。 (15-4)『古事類苑』(動物部十六魚)1300〜1304頁にわたり用例21を揚げる。しかし、なぜ「宣」を旁として「はらか」と読ませるのかは不詳である。[宣]についての考証は、(1)伴信友「比古婆衣」 「巻のニ」に載る「腹赤」、(2)明治に至り天皇臨幸に際して熊本県知事より依頼を受けて執筆された、内柴御風「腹赤御贄考」の二つの著作が「通説となっている鱒は後人が赤魚から転用してこじつけたもので、ニベサニの語のもととなる「ニベ」を献上したことが元となっている」ニベ説をとる。 訳注子も、 この2つの論が正しいと支持したい。 |
〔16〕鰩 陸詞切韵云、鰩{音遙、度比乎、}{○『新撰字鏡 』に、「[要]、止比乎」が載る。}
魚之鳥翼能飛也、{○『廣韻』は、「鰩 文鰩魚、鳥翼能飛、白首赤喙、常に西海に遊び、夜には北海に向かい飛ぶ。 」と云う。エキ齊按う。『山海経』「西山経」三の巻は、「泰器の山、観水が流れ、西に流れて于流沙に注ぐ。ここにたくさんの文鰩魚がいて、その姿(状)は鯉魚のよう。魚の体には翼がつき、蒼い文様があって、白首に赤い喙を持つ。常に西海に遊び、夜になると飛ぶ。」と云う。陸氏は蓋(おそら)く、これを本にしているのであろう。また、 『證類本草』は、「陳蔵器(餘)」を引用し、「文鰩は、南海に出で、大きさは長さが一尺ばかり、翅を持ち、尾と斉 (ひと)しいくらいのおおきさだ。一名は、飛魚。飛水に群れるほどいて、海人(漁師)たちは、この魚の現れる様子をうかがって、大風(アラシ)が起こることを予測する。『呉都賦 』に〈文鰩は、夜飛び、網に觸(ふれ)る〉 とあるのは、この魚のことである。」と云う。『説文』には、鰩字なく、 「常に西海に行き東海に遊ぶ」という、前掲引用文に依って(考慮するなら)、則ち、古くは、「遙」の字を用いたのであろう。}
抄本文読み下し:鰩 陸詞切韵は云う。鰩、{音は遙。 度比乎(トビヲ)。/魚の鳥翼をもって能く飛ばん。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[謠(言→魚)]10画(1032):鰩。 |
〔注〕(16-1) 陸詞切韵:りくしせついん:(14-1)鮫項「陸詞切韻」参照。古書注「切韻」を見よ。 (16-2)@新撰字鏡(群書類従本)魚部七十一:[要]{止比乎}。A新撰字鏡(天治本)魚部第八十七:[瑶(王→魚)]{要遥反。平。有翼能飛}。/小学篇:[要]{止比宇}。 (16-3)廣韻:(TDB)下平聲巻第二(80):{相焦}宵第四[瑶(王→魚)]{文[瑶(王→魚)]魚鳥翼能飛白首赤喙常游西海夜飛向北海}。 (16-4)西山經云:山海経西次三經:山海経西山經第三の巻:又西百八十里、曰泰器之山。觀水出焉、西流注于流沙。是多文鰩魚(郭注1)、状如鯉魚、魚身而鳥翼、蒼文而白首、赤喙、常行西海、遊于東海、以夜飛。其音如鸞雞(郭注2)、其味酸甘、食之已狂、見則天下大穰(郭注3)。:(郭注1)音遙。(郭注2)鸞雞、鳥名、未詳也。或作欒。(郭注3)豐穰收熟也。韓子曰、穰歳之秋。 (16-5)陸氏:陸詞切韻云、つまり陸法言切韻「鰩」。 (16-6)證類本草:古書注参照。 【證類本草】(政和本草:WDB)巻第二十巻蟲魚部(8-56):文鰩魚{餘招反}無毒。婦人臨月帶之、令易産。亦可臨時焼為K末、酒下一錢匕。出南海、大者長尺許、有翅與尾齊、一名飛魚、羣飛水上、海人候之、當有大風。呉都賦云。文鰩夜飛而觸網、是也。。 (16-7)呉都賦:古書注参照。 【文選】(嘉靖金臺汪諒校刊本:TLDB)巻第五:京都下:呉都賦(30丁裏):前略…結輕舟而競逐、迎潮水而振緡{密}。想萍實之復形、訪靈夔於鮫人。精衛銜石而遇繳{酌}、文鰩{遙}夜飛而觸綸。北山亡其翔翼、西海失其遊鱗。{略} (16-8)夜飛び 、網に觸(ふれ)る:前注のように、「文鰩夜飛而觸綸」とあ り、「觸レ綸」は「つりいとに触れる」 であり、諸本のテキストに「網」とするものはない。「網」は「綸」を正とする。 なお、「触」は「かかる」と読めなくもない。また、この文の前に載る「精衛銜石而遇繳」の「繳」は「弋繳」(ヨクシャク)で、「いぐるみ:鳥を射るために、矢に糸をつけたもの。繳は、絡ませるためのひも」。つまり、海上で鳥を射るための仕掛けに、飛んできた「文鰩」(トビウオ)が絡まってくる、そういうシチュエーションであることを考慮すべし。 (16-9)「説文」には、鰩字なく、:許慎「説文解字」に宋の徐ゲンが校訂を加えたものを「大徐本」とい う。徐鉉撰の際に許慎「説文」未収の親字を加えており、その字を「新附字」という。但し、段玉裁『説文解字注』(「段注」)には、この新附字は採用されていない。つまり、「鰩」は、新附字の一 であり、もともとの「説文」には鰩字はな かった。そして、鰩字が生れる前の、古い時代には、「遙」の字を用いて「飛ぶ魚」を表していた、と読むことでよいであろう。 (16-9-その2)【説文解字】(徐鉉校訂「大徐本」汲古閣本)(WLDB):鰩{文鰩。魚名。从魚[謠−言]聲。余招切。}〈新附〉 |
〔17〕鯛 崔禹食經云、鯛、{都條反、多比、}{○下総本は、「和名」二字あり。/『本草和名 』『新撰字鏡』『万葉集』は、いずれも同じ訓みを与える。『新撰字鏡』は、「鱧」を、また、「太比」と訓む。
抄本文読み下し:鯛 崔禹食経は云う。鯛、{都條の反。多比(タヒ)。/味甘。冷。無毒。貌は[即’]に似て、紅鰭の者なり。} 箋注原文テキスト:真名真魚字典 :[鯛]8画。 |
〔注〕(17-1)崔禹食經:古書注参照。 (17-2)都條反:テフ・チョウ :【廣韻】(五巻・張氏重刊宋本廣韻TDB)鯛:下平聲巻第二:三○蕭{蘇彫切}○貂{都聊切。二十二}鯛{魚名}○迢{徒聊切。二十二}條{略} (17-3)本草和名:古書名注参照。:鯛{音徒聊反}、又有尨魚{治体相似出崔禹}、和名多比。 (17-4)新撰字鏡:古書名注参照。:@天治本:巻九魚部第八十七 :鯛{都聊反。太比。}A享和本・群書類従本:魚部第七十一:鯛{都聊反。太比。}/鱧{礼音。太比。} (17-5)万葉集:岩波文庫版:@巻9(一七四〇)水江の浦島の子を詠める一首並に短歌/春の日の かすめる時に 住吉(すみのえ)の 岸に出でゐて 釣船(つりぶね)の とをらふ見れば 古(いにしえ)の 事ぞ思ほゆる 水江(みずのえ)の 浦島の兒が かつを釣り 鯛(たひ)釣りほこり 七日まで 家にも来(こ)ずて 海界(うなさか)を 過ぎてこぎ行くに 海若(わたつみ)の……/右の件の歌は、高橋連蟲麻呂の歌集の中に出でたり。(上巻380頁)A巻16(三八二九)長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌八首より:酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠める歌/醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛(たひ)願ふ吾にな見えそ水葱(なぎ)の羮(あつもの)(下巻176頁)。 |
味甘冷無毒、貌似レ[即’]而紅鰭者也、{○『医心方 』 を引くが、原典には、「無毒」の下になお若干字あり、「紅鰭」の下に「堅鱗」の二字あり、「者也」の字はない。」エキ斎按う。 『説文』の「鯛骨端脆也」は、この義にあらず。『玉篇』『廣韻』とも「魚名」とだけ云う。是れは、蓋し、崔氏がいうところと同じである。又、エキ斎按う。崔氏は、鯛の姿(状)について、「[即]に似て、紅の鱗をもつ、それが太比として疑うところはない。 」と云う。西土において後世いうところの棘鬛が、即ち是であろう。『閩中海錯疏 』は、「棘鬛は 、[即]に似て、大きく、その鬛は、棘の如くで、紅紫、」という。さらに同書は、続けて 、「「嶺表録異」では、名を、吉鬛とし、泉州では、之を、鬐鬛、又の名を 、奇鬛と名づけている。」と記している。}
〔注〕(17-6)医心方:古書注参照: 無毒の下になお若干字:【醫心方(安政版)】(叢書日本漢方の古典1「醫心方 食養篇」巻末影印)巻30: 鯛 崔禹云、味甘冷無毒、主逐水、消水腫、利小便、去痔虫、破積聚、欬逆上気、腸、主出敗瘡中虫、利筋骨。貌似鯽、而紅鰭、堅鱗。和名、多比。 (17-7)説文「鯛」:「説文解字注十五巻」TDB:古書注参照:骨耑脃也、从魚周声。{都僚切。如其義則当與鯁 、篆相属、篇韵皆曰、魚名何也}……「鯛骨端脆也」:「端=耑」「脆=脃」。骨の端が脆い。 (17-8)玉篇、広韻:大廣益会玉篇三十巻・廣韻五巻(TDB):@張氏重刊宋本玉篇:鯛{丁幺切、魚名}……幺(ヨウ・エウ)、つまりtcho-「テフ」「チョウ」。A張氏重刊宋本廣韻:巻2、下平聲第ニ{蘇凋}蕭第三: 三○蕭{蘇彫切。十六}…○貂{都聊切。二十二}鯛{魚名}。 (17-9)閩中海錯疏 :びんちゅうかいさくそ:古書注参照。 :巻上鱗部上:棘鬛、似[即]而大、其鬛如棘、色紅紫。嶺表録異、名吉鬛。泉州謂之鬐鬛、又名奇鬛。 (17-10)嶺表録異 :唐の劉恂撰。3巻。中国南方の風土産物を図で説明した書。「嶺表録」とも称される(MANA未見)。 |
〔18〕尨魚 崔禹食經云、尨魚、{久路太比、}{○下総本には「和名」二字有り。 『本草和名』の「尨魚」は「鯛」の條に有り。別の「和名」はない。}
與レ鯛相似而灰色、{○『本草和名 』の鯛の條に、尨魚が載り、「治体相似、出崔禹」という。エキ斎按う。「鯛に似て灰色」というのは、今、関東にて「久路太比(クロタヒ)」と謂い、関西では「知沼(チヌ)」と謂う魚のことである。『弁色立成』の「海[即]魚」も「尨魚」に当てるが、この二つは、姿も似ておらず同じものではない。しかして、関西では一種は「久路太比(クロタヒ)」と呼び、「知沼(チヌ)」とを別にしている。源君があげた是(尨魚)は「久路太比(クロタヒ)」であろう。}
抄本文訓み下し文:厖魚(ボウギョ) 崔禹食経(サイウショクケイ)は云う。厖魚。{久路太比(クロダヒ)。}/鯛と相似して灰色なり。 箋注原文テキスト(「尨」その他7画)。 箋注関連條文:〔17〕鯛。 |
〔注〕(18-1) 崔禹食經:(17-1)注:古書注参照。 (18-2) 本草和名:前掲注(17-3)参照。 (18-3)「治体」:詠み方がよくわからない。 「治体」(ti-tai)の反切で、taiという意味か。また、音で訓み「チタイ」として、「根本」という意味から「根本から似ているもの」とでも読むのだろうか。 要検討。 (18-4) 灰色:「古事記伝」では「クロ」という訓みを与えている。次注参照。 (18-5) 【古事記伝】(第十七之巻・神代十五之巻「綿津見宮の段」:岩波文庫版(四)311〜313頁)○赤海[即’]魚は、多比(タヒ)と訓べし。鯛なり。書記には、赤女(アカメ)とありて、赤女ハ鯛魚ノ名也と注あり。【但シ此ノ注は、後ノ人のしわざにもあらむか。】一書には、赤女或ハ云二赤鯛一トとあり。又一書には、赤女とありて、即赤鯛也と注せり。さて、仲哀ノ巻に、海[即]魚(タヒ)とあると、和名抄に、弁色立成云、海[即]魚ハ知沼(チヌ)、とあるとを合せて見れば、赤海[即]魚は、鯛(タヒ)なること決(ウツナ)し。【知沼(チヌ)は、鯛の色灰色(クロ)き物にて、黒鯛(クロダヒ)の類なり。和名抄に、知沼(チヌ)と久呂多比(クロダヒ)とは別なれど、遠からぬ物なり。さてつねの鯛は、知沼(チヌ)と形全く同くて、色赤き故に、赤海[即]と書るなり。橿を白檮と書るたぐひなり。又仲哀ノ巻なるは、色の赤き黒きを一ツにして、海[即]魚を鯛にあてたるものなり。凡て古書に、物の漢名を書ること、其人の心々にて、右の如く少しづつの違ヒあり。彼此(カレコレ)をよく考ヘ合せて、定むべし。よくせずはまぎれぬべきものぞ。】多比(タヒ)は、和抄には、崔禹錫食經云、鯛ハ味甘ク冷無レ毒。貌似レ(テ)[即’](フナニ)、而紅鰭ナル者ト也。和名多比(タヒ)と見え、字鏡にも、鯛ハ太比(タヒ)とあり。【師は、此(コヽ)の赤海[即]魚をも、書紀に依て、アカメ(ルビ○○○)と訓れたり。其(ソレ)もさることなれども、此記の例、若シあかめならむには、直(タヾ)に赤女と書クべきなり。さて又書紀の赤女を赤鯛也とあるに依て、或説に、鯛の中の一種、殊ニ色赤きなりとするは、わろし。後ノ世にこそさもあらめ、上代には、さばかり細(コマカ)に分て、名ヅくることはなかりしぞかし。赤鯛とあるも、即チよのつねの鯛にて、黒鯛の類もあるに対へて、赤ノ字は添ヘたるものなり。然るにかの仲哀ノ巻に、海[即]魚をタヒ(ルビ○○)と訓るにつきて。此(コヽ)の赤海[即]魚をも、アカダヒ(ルビ○○○○)と訓て、かの殊に赤き一種と心得るは、非なり。又アカチヌ(ルビ○○○○)と訓るのも、非なり。】さて、この多比(タヒ)の下に、那母(ナモ)てふ辞を読ミ添フべし。語の勢ヒ必ズ然るべし。 (18-6)弁色立成:古書注参照。 |
〔19〕海[即’] 弁色立成云、海[即’]魚、{知沼、[即’]見二下文一}{○下総本には「魚」字 がなく、「和名」二字あり。エキ斎按う。『日本書紀』「仲哀紀」は、 「海[即’]魚」が載り、「多比(タヒ)」と訓む。その訓みは、(抄文でいう「チヌ」と書紀でいう「タヒ」とは)同じではないけれども、(「海[即’]魚」と)「魚」字がつ く方を是(タヒ)とすることを証すべし。また、エキ斎按う。本書(抄本文)は、「弁色立成」を引用して、その例文には、「和名」字がついていない。(『倭名類聚抄』諸本のうち)「和名」字がついているものは、おそらく は、抄原本としては非ではないだろうか。廣本も、また「和名」字はつかない。『新撰字鏡』には、[卑] が載り、「知奴(チヌ)」と訓みを与えている。
エキ斎按う。『閩中海錯疏』に「烏魚似[即’]而大、尾鬣倶黒、力能跋扈」と載る。是に記すものを「知奴(チヌ)」に充てたい。}
抄本文読み下し: 海[即’](カイセキ) 弁色立成(ベンジキリュウジョウ)は云う。 海[即’]魚(カイセキギョ)。 {知沼(チヌ)。[即’](セキ)は、下文に見ゆ。} |
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〔注〕(19-1)[即’]=鯽は、「セキ」あるいは「ソク」と訓む。この記述、エキ齊箋注の読み下しは 短いがなかなか難しい。ようするに、和名抄の「海[即]」は、和名「チヌ」をさしている 。日本書紀は、同じ[即]という字を用いて、「海[即]魚」と書き、訓みのとおり「たひ」=鯛(神代紀の海幸山幸の段でいう「赤海[即]魚」と同じ)を意味する。これは、前項〔注〕18-5で引用した、本居宣長「古事記伝」の記述に示されているとおりである。同じ「海[即]」 (魚)という字でありながら、日本書紀の記述の魚と、「閩中海錯疏」で書いている、烏魚(ウギョ:カラス色をしたサカナの意:黒い色の尾背びれをもつ、チヌ:クロダイ )とは異なる。本項の「[即’]」は、閩中海錯疏のチヌのことである、というような文意となろう。 (19-2)弁色立成:古書名注参照。 (19-3)仲哀記:日本書紀仲哀紀:古書注参照:【日本書紀】(岩波文庫『日本書紀』坂本・家永・井上・大野校注):@原文(489p):日本書紀巻第八/足仲彦天皇 仲哀天皇/前略○夏六月辛巳朔庚寅、天皇泊于豊浦津。且皇后従角鹿發而行之、到淳’田門、食於船上。時海鯽魚、多聚船傍。皇后以酒灑鯽魚。々々〔鯽魚〕即酔而浮之。時海人多獲其魚而歓曰、聖王所賞之魚焉。故其處之魚。…以下略。A本文(126p)足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと) 仲哀天皇(ちうあいてんわう)/…中略…夏六月(なつみなづき)の辛巳(かのとのみ)の朔(ついたち)庚寅(かのえのとら・のひ)に、天皇(すめらみこと)、豊浦津(とゆらのつ)に泊ります。且(また)、皇后(きさき)、角鹿(つぬが)より発ちて行(いで)まして、淳’田門(ぬたのみなと)に到りて、船上(みふね)に食(みをし)す。時に、海鯽魚(たひ)、多(さは)に船(みふね)の傍に聚(あつま)れり。皇后、酒(おほみき)を以て鯽魚(たひ)に灑(そそ)きたまふ。鯽魚、即ち酔ひて浮びぬ。時に、海人、多(さは)に其の魚(いを)を獲て歓びて曰はく、「聖王(ひじりのきみ)の所賞(たま)ふ魚なり。故(かれ)、其の処(ところ)の魚、六月(みなづき)に至りて、常に傾浮(あぎと)ふこと、酔へるが如し。其れ是の縁(ことのもと)なり。…以下略。 (19-4)新撰字鏡:古書注参照:@【新撰字鏡(享和本)】[卑1]{薄佳反。知奴。又、和尓。}/A【新撰字鏡(天治本)】[卑1][卑2]{二同薄佳反。知奴。又、和尓。} (19-5)閩中海錯疏:古書注参照:【閩中海錯疏】(国会図書館蔵本写本)烏魚似[即’]而大、尾鬣倶黒、力能拔扈。□似烏而短、身圓口小、目赤鱗黒、一名鯔、味與[時]相似、冬深脂膏滿腹至春漸瘦無味。 |
基本字形
:[即’] 参考字形
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【新撰字鏡(天治本)】 上:[卑1]。下:[卑2]。 |
〔20〕王餘魚 朱豪L云、南海有二王餘魚一、{加良衣比、俗云加禮比、}{○下総本に「和名」二字あり。 加良衣比(からえひ)は、深根輔仁『本草和名』によっている。エキ斎按う。「加良」(から)とは、美称を意味する。是の魚の形が「韶陽魚」に似て、味がとてもよい(最美)ことから名づけられた。今、俗に「加禮比」(カレイ)と呼ぶ。源君 が編じた時代の俗称と同じである。}
抄本文読み下し:王餘魚(おうよぎょ) 朱豪L(しゅがいき)は云う。南海に王餘魚有り。{ 加良衣比(からえひ)。俗に加禮比(かれひ)と云う。} 箋注原文テキスト:[鰈](8画)。 |
〔注〕(20-1) 輔仁:深根輔仁(ふかねのすけひと)が編じた「本草和名」:古書注参照:寛政刊・古典全集本・下巻:@[比]目{必勢反、貌以牛脾黒色、一目両方相合乃得行}一名[去]{廻於反}一名鰈{他臘反}一名[介]{何邁反}一名板魚{音板出兼名苑}/A王餘魚{郭璞云、王餘皆雖有二片其実一魚也、不比行者、名王餘也、比行者名比目也、捜神記云、昔越王為鱠、割魚而未切、堕半於海中、化魚、名曰王餘也、出七巻食經、}和名加良衣比。 (20-2) 加良(から)、美称:【言海】(370p中)始めて、日本に来たりしに起こり、転じて三韓をも呼べるなり。古へ、三韓渡来の物事に添えていへる語、珍とし美(ほ)むる意あり。 (20-3) 邵陽魚(エイ)に似て:平らたく薄い魚形をさして「似」とする。〔25〕[覃]及び〔42〕邵陽魚をみよ。 だが、「似邵陽魚」というフレーズが載る出典は不詳。ありそうで見つからない。 |
昔越王作レ鱠、不レ尽、餘レ半棄水、因以二半身為一レ魚、故名曰二王餘一也、{○『隋書 』「珠酷`」一巻は、偽燕の蓋泓撰になる。『太平御覧』は「朱崖傅」を引く。抄本文に引く「朱豪L」とは、是の書のことだろう。今はこの「傅」は亡佚し伝わらない。」エキ斎按う。 『漢書』「武帝紀」に「珠(シュガイ)、儋耳(タンジ)」が載る。注に、「二郡は、大海中崖岸の辺にあり、そこには、真珠が出る。故に珠 と曰う。」と云う。則ち、「朱香vは、「珠香vに作る。『文選』「呉都賦」劉逵の注に「王余魚は、半身の姿をしている(其身半也)。俗に越王が魚の膾(なます:細い糸づくりのサシミ)にして食べたが、食べつくさないままに、半身を残し、その身を水中に棄てたと云う。その身が魚となったが、一面だけの姿をしていたため、その魚を 〈王余魚〉というようになった」と云う。抄本文に引用された記述はその逸話によっている。『本草和名』は、「捜神記」を引き、また「昔、越王は膾をつくり、魚を半身に切ったが、切り残して海中に堕てた。それが魚と化し、名づけて 〈王餘〉という。七巻食經に出ている。」と云う。今本の『捜神記』には載っていない。伊勢本は、「曰王餘」の下に「魚」字あり。那波本も同じである。
抄本文読み下し:王餘魚(おうよぎょ) 朱豪L(しゅがいき)は云う。南海に王餘魚有り。{ 加良衣比(からえひ)。俗に加禮比(かれひ)と云う。} /昔越王は、鱠(なます)を作 せしが、尽さず、半を餘し、水に棄つ、因 りて半身、魚となすをもって、名づけて王餘と曰うなり。 箋注原文テキスト:[鰈](8画)。 |
〔注〕(20-4) 隋書珠崖傳一巻:エキ齊「和名抄引書」(WDB):{△/御覧引目朱崖傳}朱崖記{王餘魚}[隋志]{地理}珠崖傳一巻{僞燕聘晉使蓋泓撰}……「僞」:対立する国家を、自らの 国を正として、それに対して見下した呼称とする場合に使う。 (20-5) 漢書武帝紀:班固撰。注は「顔師古(がんしこ)」:古書注参照:【漢書】順治13・1656年、汲古閣版(20冊)(WULDB):(第2冊)『前漢 書』「武帝紀」第六:孝武皇帝…中略…六年冬十月、發隴西、天水、安定騎士及中尉…中略…遂定越地[佀−ニンベン]、以為南海、蒼梧、鬱林、合浦、交阯、九真、日南、珠香A儋耳郡。{應劭曰。二郡在大海中崖岸之邊。出真珠、故曰珠崖。儋耳者、種大耳。渠率自謂王者耳尤緩、下肩三寸。張晏曰。異物志、二郡在海中、東西千里、南北五百里。珠崖、言珠若崖矣。儋耳之云、鏤其頰皮、上連耳匡、分為數支、状似雞腸、累耳下垂。臣瓚曰。茂陵書珠崖郡治*都、去長安七千三百一十四里。儋耳去長安七千三百六十八里、領縣五。師古曰。儋音丁甘反、字本作瞻。[耳覃]音審。}定西南夷…以下略。 (20-6) 呉都賦劉逵注:古書注参照 :【文選】(嘉靖金臺汪諒校刊本:TLDB)巻第五:京都下/呉都賦:「陵鯉若獣、浮石若桴、雙則比目、片則王餘、……」に対する李善注:鯪鯉、有四足、…中略…王逸曰、……比目魚、東海所出、王餘魚、其 身半也、俗云、越王鱠魚未盡、因以残半棄水中為魚、遂無其一面、故曰、王餘也、朱崖海中有渚、東西五百里、南北千里、無水有泉…中略…王餘、泉客、皆見博物志……以下略。 (20-7) 本草和名引捜神記:注20-1のA参照。 (20-8) 今本捜神記に載らず:@太平御覧、巻九百三十八「比目魚」:捜神記曰、東海名餘腹者皆越王為膾、割而未切、墜半於水化為魚。/臨海水土記曰、両片特立合体倶行{比目魚也}。/嶺表録異曰、比目魚南人謂之、鞋屜魚、江淮為之拖沙魚。A捜神記テキスト(叡茶山房サイトより):巻十三(330話)江東名餘腹者、昔呉王闔閭江行、食膾有餘、因棄中流、悉化為魚、今魚中有名呉王膾餘者、長數寸、大者如筋、猶有膾形。……御覧引用原文(あるいは古本捜神記)では「越王云々」とあり、今本捜神記では、本草綱目も引用する「呉王(闔閭)云々」となっていることをさしているのだろうか。 後日再検討すべし。 (20-9) 七巻食經:古書注「食經」参照。 |
エキ斎按う。『爾雅』には、「東方に比目魚有り。比(並)ばざれば行かず。その名、之を鰈と謂う。」という。「郭璞注」は「その姿は牛の脾臓(脾)のようで、鱗は細かく、紫黒色をしている。一眼である。1片の身 を2片相い合わすことによって前に泳ぐ(行)ことができる。今、水中にこの魚を産し、江東では又、王餘魚と呼んでいる」と云う。また、郭氏は、「比目魚贊」 という文章を記しているが、そのなかで、「<比目>は、連なりあっている姿をして、もう一方の別の身を<王餘>と名づけている。2片あるといえども、その実 、身はひとつの魚である。身をひとつに合せてもくっつきすぎず、身はふたつに離れているといっても離れすぎてはいない。これをもって、<比目>と<王餘>の二つの身で一つの体をなしている 。」と書いている。
また「呉都賦」は、「双(雙)とは、一方(則)が〈比目〉で、もう一方(片則)が〈王餘〉」といっている。そのフレーズについて、劉逵は「比目魚は東海に出づるところでは、王餘魚といい、その身は半分の姿をしている。」と 注を与えている。この賦の記述は、(前述したとおり)爾雅によって、「比目」を「雙」(並ぶ)といい、越王の事により「王餘」を片方の身とした。蓋し、諸魚の姿は両側の片方にひとつづつ目はついているものだ。この魚は、1片に二つの目が相並んでついている。ゆえに「比目」の名がついているのである。目のついていない半身のほうを、捨て去ってしまったような姿をしているので、またの名を「王餘」としている。実際は、「比目」「王餘」は、古今(同じものの)「異名」であって、「不レ比不レ行」という表現は、 著者によるこじつけ話にすぎない。郭氏による「一眼両辺相会乃得レ行」の説は、根拠のないものであろう。劉逵は、注に「王餘が比目の片半分というのは非である」と書いている。
抄本文読み下し:王餘魚(おうよぎょ) 朱豪L(しゅがいき)は云う。南海に王餘魚有り。{ 加良衣比(からえひ)。俗に加禮比(かれひ)と云う。} /昔越王は、鱠(なます)を作 せしが、尽さず、半を餘し、水に棄つ、因 りて半身、魚となすをもって、名づけて王餘と曰うなり。 箋注原文テキスト:[鰈](8画)。 |
〔注〕(20-10) 爾雅「東方有比目魚焉、不比不行、其名謂之鰈」: 古書注参照:爾雅注疏巻第六、釋地第九の冒頭「九府」に載る。九府は、各州(国)の産物を蔵する「八方」と、すべての美物が集まるところを一にくわえて九を数えたもの。その九府の冒頭に「東方云々」の句が載る。郭璞註として「状似牛脾鱗細紫K色、一眼兩片相合乃得行、今水中所在有之、江東又呼為王餘魚{○鰈、音蝶}」を載せる。 (20-11) 郭璞著「比目魚贊」:比目之鱗、別號王餘、雖有二片、其實一魚、協不能密、離不為疏、是以比目王餘為一物:「芸文類聚」第99巻に載る。 (20-12) 呉都賦劉逵注:前掲注20-6参照。 (20-12) こじつけ話:原文では「付会」。 (20-12) 劉逵による「非である」という注記は「呉都賦」には載っていない。別書の注とすればどこに載るのか未確認。要検討。 (20-13) 補注:前掲注20-11の「爾雅釋地」「九府」の「比目魚」(東方)は、「比翼鳥」(南方)及び「比肩獣」(西方)及び「比肩民」(北方:この中に「枳首蛇」:二つの頭を持つ蛇を五方目として描いている)を含めて、四種の「片」身動物(人)の一であり、この四動物が「四方中国之異気」として描かれていることに注意しておくことが必要である。というより、この「異気」を放つ「異形」の生物を、豊かな産物を生み、美物のあつまる国を描く「釋地」(いわば「地理編」)冒頭に登場させる爾雅編纂者の「狙い」が興味深いのである。片身だけでは意味を持たず、片身×2(あるいは雌雄)が一体となってことをなせることと、幸いや夫婦和合から国の繁栄のシンボルと置く思想がなかなかに面白い。 |
「爾雅翼」にいたっては、「王餘は長さ5、6寸、身は丸まっこく、筋がみえるように白く透き通っていて、無鱗であり、まるで鱠(なます)の魚とでもいえようか。ふたつの目は黒い点がついているようだ 。〈博物志〉は、〈呉王の江行は鱠を食し、あまったものを、川の流れに棄てると、魚の姿に化した。呉王の鱠餘と名づけた。〉と云う。今では 〈鱠残魚〉という名で呼ばれ、またの名を〈銀魚〉という。」と書いている。李時珍(「本草綱目」鱠残魚の項)は、こ れらが本になっている。つまり、(前記「捜神記」が書いた)「越王が鱠(糸づくりのサシミ)をつくって、半分を海中に棄てると、それらが魚に化した」と いう記述と、(「博物志云とする、呉王闔閭が揚子江を舟で行くとき、云々」の記述)が非常に似ていたこともあって、かえって、「王餘魚」と「鱠残魚」とが、その後、ごっちゃになって伝えられてしまった ということなのだろう。}
抄本文読み下し:王餘魚(おうよぎょ) 朱豪L(しゅがいき)は云う。南海に王餘魚有り。{ 加良衣比(からえひ)。俗に加禮比(かれひ)と云う。} /昔越王は、鱠(なます)を作 せしが、尽さず、半を餘し、水に棄つ、因 りて半身、魚となすをもって、名づけて王餘と曰うなり。 |
〔注〕(20-14) 爾雅翼:古書注参照:【爾雅翼】(古今圖書集成:故宮博物院典藏雍正四年銅字活版本テキストDB参照):王餘長五六寸、其圓如筋、潔白而無鱗、若已鱠之魚但目兩點黒耳。博物志曰呉王江行、食鱠、有餘、棄于中流、化為魚、名呉王鱠餘。高僧傳則云、寶誌對梁武帝食鱠、帝怪之、誌乃吐出小魚鱗尾、依然金陵尚有鱠殘魚。二説相似。然呉王之傳、則自古矣、此魚與比目不同、劉淵林解、呉都賦第見其稱雙、則比目片則王餘、遂云比目魚、東海所出、王餘魚其身半也。俗云、越王鱠魚、未盡、因以其半棄之遂無其一面故曰王餘則是以王餘為比目之半而郭氏解比目亦云、状如牛脾鱗細紫K色一眼兩片相合乃得行今水中所在有之、江東又呼為王餘魚、亦與劉説相似。予按二物今浙中皆有之、絶不類比目乃只一目生、近海處土人謂之鞵底魚、王餘状如前説、今猶呼鱠殘魚。又名銀魚。多暴為脯、又作顏、色可愛自是一種非比目之半也。 (20-15) 博物志:「呉王江行、食鱠有余、棄於川中流、化為魚、名呉王鱠餘、今猶呼鱠残魚、又名銀魚、」上注「爾雅翼」において引用したフレーズである。 (20-16) 李時珍:李時珍著「本草綱目」鱗部第四十四巻:鱠残魚:〈釈名〉王餘魚{綱目}、銀魚」{〈時珍曰〉按博物志云、呉王闔閭江行、食魚膾、棄其残余於水、化為此魚、故名、又作越王、及僧寳誌者益出傳会不足致弁。}……以下「集解」略。……この場合の魚膾は「銀魚」つまり『国訳本草綱目第十冊』同条で、木村重博士が註校訂している「支那ニハしらうを属ハ四種アリ、スベテ銀魚(インユー)と呼バル、…中略…日本のしらうをに似ル」(562頁)シラウオのナマス(鱠)をさす。前掲註20-7の捜神記の古本(比目=つまり鰈・カレイ)と今本(銀魚:つまり白魚・シラウオ)の用例記述の混乱をもエキ齊は想定しての上で本文を書いているのがわかる。文末で、李時珍自体が、「呉王闔閭」をあえて名前入りであげ、「越王」の引用をせずに「益出傳会不足致弁」と断じていることをも含めて、「読者もこのへんの事実経過をきちんとふまえて読んでほしいのだよ」というエキ齊の声が聞こえてきそうな箋注である。 (20-17) 「絶相似、還混」:非常に(絶)似ていたこともあって(相似)、かえって(還)、(「王餘魚」と「鱠残魚」とが、その後、)ごっちゃになって(混)(伝えられてしまった)。 |
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