MANA Essay Notes-silkroad

Notes 絹の里 開高健『最後の晩餐』(文芸春秋版、1982年13刷)より

神の御意志のまま

 今回は羊がテーマなので、どうしても北海道をマクラにおかなければなるまい。……中略……。

 いわゆる “ジンギスカン”は津軽海峡からこちらでも食べられないわけではなく、町を歩けばチラホラ看板を見るけれど、朝鮮焼肉に圧倒されていて、まだまだである。羊は“安いが臭い”というイメージが舌よりは頭にしみついているからである。しかし、海峡のあちらへ渡ると形勢が逆転し、いたるところに“ジンギスカン”の看板が氾濫している。そして羊の肉が“安い”という讃辞はよく聞かされるけれど、“臭い”ということばはあまり聞かなくなる。これはタレのおかげである。羊の肉にふさわしいタレをとっくに道産子は発明し、それに一晩ぐらい浸けることで臭みを魅力へ、いわばアウフヘーベンしたのである。羊の肉の臭みはクマだの、トドだのというどうにもならない先生方のにくらべると、はるかに温和で同化しやすい性質のものなのだし、むしろタレでアウフするとかえってコクに転化するような性質のものなのである。かのブクブクぼわぽわのブロイラーよりよっぽど滋味あるものに化けてくれるのである。これは文学、音楽、絵画、ことごとくに共通する一般原則である。前の章で、癖のないヤツよりは一癖あるヤツのほうがコックとして上達するというホテルオークラのコック長の寸言を紹介しておいたけれど、コックも素材もおなじである。一癖ある素材を一癖あるコックがこなせば、たとえば繊細ということについても無気力のそれと活力あるそれというたいした差が生じるはずである。ただし天才はその一癖を仕上げの段階ではまったくさりげなく消してアウフしてしまうことだろうが……。
 〈以下略〉

 八王子市郊外の段丘地帯に『絹の里』という名のジンギスカン屋がある。この店の羊肉は産直である。自家生産である。牧場で三○○頭ほど羊を飼っていて、血は製薬会社に売り、肉をジンギスカンとして焼いて食べる。この店にたのむと、どんな新鮮な肉でも、また肉のどんな部位でも入手できるとわかった。セバイ博士夫妻もその現場へいっしょにいきましょうということになり、二台の自動車に分乗して走った。私は羊の焼肉にミートしそうなスパイスを数種と、アラブの地酒のアラックにそっくりのギリシャのウーゾという酒を買った。ぶどう酒もついでに買いこんだが、羊の肉は脂が多いからそれに対抗するにはブルゴーニュでは上品すぎるので、コクのある、腰の張ったのがいいネ、ついてはガブガブ飲むためのとチビチビ味わうためのと半々にしようじゃないかと提案し、サン・テミリオン、サン・ジュリァン、ローザン・セグラ、オーゾンヌの四本を買いこんだ。(このうちどれがガブガブ用で、どれがチビチビ用か、あてられますか?)
『絹の里』は店の構えにはべつにとりたてていうほどのことはなかったけれど、羊肉は非常に優秀であった。どういうものか臭みがまったくなく、キメのこまかい霜降りで、塩をふって焼きあげてから一口噛むと、まったくジューシー(おつゆたっぷり)であった。ここの羊は牧草のほかに大麦や豆腐カスなどを食べさせているとのことであった。セバイ先生によると、羊には牧草のほかに落す一ヵ月前ぐらいからソラ豆を食べさせると肉質がとてもよくなり、蛋白質の含有量がグンとふえて、段違いにうまくなるのだそうである。また、アラブ圏では、国ことに羊が異なり、肉の味も異なるが、豆を食べさせるほかに、海岸地帯で飼われた羊が、やっぱり、どこでも、珍重されるのだそうである。フランスでもイギリスでも海に面した丘で育った羊は乳も肉もチーズ も特級品扱いされるという説をいつか聞かされたが、どうやらこれは海からの欧風に含まれる塩分が草を通じて羊の肉に浸透するためではあるまいかとのことである。それが肉だけではなくて加工品にまでひびくというのだからおそろしい。……以下略……

●この本は、ぼくにとって味探検のバイブルといっていい。何度も読んだし、この中の1篇となっている、「一匹のサケ」で紹介されている『鮭鱒聚苑』(さけますしゅうえん)という、昭和17年に出された本について、著者である松下高と高山謙治という2人の人間について徹底的に調べ上げたことがあった。さらに、開高が特に興味を示した、鮭のナメシ皮を装丁に使った経緯や、鮭のなめし皮の製法についても調べたことがあった。この本の復刻ができないかという企画も立てたが、結局実現しないまま、私の手元に、いつでも原本になるだけの美装本(3万円ぐらいした。箱入り)が残された。背に使われた鮭の皮と、表紙・裏表紙のビロードのクロスとが、継ぎ表紙という装丁の技法をとっていて、今では皮全体の銅色と鮭のウロコ痕が美しい文様となり、なんとも渋い色合いの本になっている。

 開高は、この本から着想を得て、たしか『フィッシュオン!』だったと思うが、鮭のなめし皮を表紙に使った部数限定の凝りに凝った装丁本を作ったはずだ。

 他にもカニバリズムについてとか、なにかと、食という行為がもつ強欲な側面と知の遊びの側面、いうなれば、美食と悪食とのボーダレスな世界へと向かわせてくれた。

 「絹の里」の店名は、明治直前横浜開港とともに作られた東海道から関内へとつなげた道が、絹貿易の道として遠くは高崎あたりから八王子を経て、町田経由横浜までの「横浜道」として整備され、通称「絹の道」と呼ばれ、鑓水の地には絹交易で財を成した成金たちが多く住んだ里として知られたことからとったもの。現在の店主は、開高が訪れたときとかわらず、当時の話を聞くこともできたが、開高が言うところの「野趣に富んだ」雰囲気はなく、家も新しくなり、1軒屋の家庭的なもてなしを大事にした、店となっていることをおことわりしておく。絹の道を散策するときのによってみるのがよいだろう。

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