MANA Essay Notes-takasakiya-histry
Notes 中山道 江戸の大商人「高崎屋」って?――高崎屋その1 |
江戸の食文化を支える 酒・味噌・醤油のトップ問屋だった |
高崎屋が江戸時代の大店であったことなどツユ知らず、本郷追分の一里塚のあった位置にある酒屋だからとちょっと覗いてみた。店にはいると、柱や調度類、酒徳利に記された店名などから、老舗酒店だとはわかったが、とくに特徴がある店には思えなかった。 ふとレジを見ると、絵葉書が 貼ってあるのに気付く。何かの美術展の案内なのかとおもって、店の人に1枚くださいというと、「近くの文京ふるさと歴史館で、うちの店の歴史のことを展示しているんですよ」という。 絵葉書の屋敷と庭園の図柄(上記写真)が、江戸時代の高崎屋を描いたものであり、これを描いた画家が、長谷川雪旦であると聞いて、びっくりしてしまった。 神田明神鳥居脇の天野屋の糀作りのときに調べた、本郷周辺には糀屋や味噌屋が集中していたということのバックグラウンドには、この高崎屋があったということに納得させられたばかりか、「江戸名所図会」や「江戸名所花暦」の挿絵を描いた絵師・雪旦のスポンサーが高崎屋であったということについても知ることができたのである。絵葉書のウラには、雪旦画「高崎屋絵図」について、次ぎのような説明書きが書き添えられていた。 |
●絵葉書の裏の説明書き 高崎屋絵図 〔文京ふるさと歴史館蔵 渡辺泰男氏寄贈〕
東京都文京区向丘1-1-17 〒113-0023 |
その2へ続く |
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