味食クラブレシピ取材メモ1―焼き筍の古い詩取材メモ2―カジカと焼筍と白雲庵での筍掘り

味探検106味食クラブ12(東京新聞1999年2月18日掲載)

つきぢ田村・当主 田村暉昭さん

素材を生かす料理法で

タケノコを食べ尽くす

     シュンライ    イッセイ    アマタ     タケノコ              ホトバシ

   春雷ノ一声ニ万ノ簪玉ガ乱レ迸ル

 春一番の筍を女性の簪(かんざし)に例えた中国の古い詩をみつけた。

焼筍を食する会での作らしいが、穂先をタテ割にした形は、なるほど櫛(くし)とも簪(かんざし)のようにもみえる。

「これから一番おいしい季節を迎える筍を食べ尽くしましょう」と、つきぢ田村・当主の田村暉昭さんに筍料理5品を作っていただいた。

 柔らかい皮の付け根は細く切って「姫皮ひたし」。穂先はタテ割にして新ワカメと「若竹椀」。薄口醤油で味を整えた出し汁に浸し下味をつけるのがポイントとか。木の芽との合性抜群の「木の芽焼き」。中間部分は、いちょう切りにして「筑前煮」。根元に近い部分は輪切りにしエビすり身をはさみ、油で揚げた「はさみ揚げ」。

「根元の一見硬そうなところも使い方さえ心得れば宝物の味になる」と、すりおろし、丁寧にあたり撥であたって豆腐を加えて「飛竜頭」にする料理法を教えてもらった。

 料理の心とは「材料はなんでもかんでも捨てたらあかん」という初代平治さんから、2代輝昭さん、3代隆さんに引き継がれた「ものを大切につかいきること」。店裏口に笊に干された切り残した根菜類は、料理人に一番大切な生命あるものを生かす証なのだという。

「慧舟」の雅号を持つ輝昭さん、料理素材の生命を描く画展を318日からKCC内で開く。

(中島 満 (1999年2月18日掲載)

☆ワンポイント・レシピー

「筍の飛竜頭」

@材料(4人分)=木綿豆腐1丁、根部のおろし筍80c、大和芋50c、人参80c、菜の花12本。煮汁A(二番出し25c、砂糖大匙3、味醂大匙1、濃口醤油大匙3)。煮汁B(二番出し15c、砂糖大匙15、味醂大匙1/2、薄口醤油大匙1)A作り方=水切りした豆腐を裏ごしあたっておく。水気切ったおろし筍に大和芋を加え、混ぜ4分割、170度位の油で揚げる。煮汁Aで飛竜頭を煮る。千切り人参を茹で水にさらし煮汁Bで下煮。菜の花は茹で水でさらし、二番出し汁2/3c、薄口醤油大匙2/3に浸す。B食べ方=飛竜頭に暖めた人参と菜の花を盛り、適量の辛しでいただく。

参考書に「和風・節約おかず」主婦と生活社刊。

取材メモ

1-初物は焼き筍に限る

 「古い詩」とは、いつもながら青木正児の『華国風味』(岩波文庫、1984年)の「焼筍」よりとった。「豆腐三徳を賛える」を引用したときと同じ著者だが、こいつはうまそうな話だと、いつかは自分もやってみたいと思っていた。中国の古い詩人たちは、早春の訪れとともにまずは掘りたての筍を食すのが一番のぜいたくだと考えていたらしい。みな競って、焼き筍の会を催し、筍料理を食し、詩を作り、画竹を楽しんだ。

「噴飯」の故事  文与可という竹を画く名人の高官が、長官として筍の名産地に赴任した。与可が友人の蘇東坡に詩を求めたところ、「きっと食いしん坊のあなたのことだから、ここぞとばかり焼き筍をむさぼり食べていることでしょう」という意味の詩を贈った。むさぼり食べていることでしょう、という表現は「胸中に在らん」という語に込めたのである。胸中とはなにか。

 与可は、ちょうど焼き筍の晩餐を奥さんと一緒にとっているときに、この東坡の詩が届き、読み上げると、あまりにそのとおりのことを皮肉たっぷりに表現されているものだから、その場で、失笑し、口に入れていた食べ物を飯台に吹き出して(噴飯)しまった。

**

 なぜ噴き出してしまったのか。

 与可は、以前、蘇東坡から、先生のように竹の画を上手にかくにはどのようなことをしたらいいのでしょう、と聞かれたことがあった。東坡に答えていうには、「いやなに、かんたんなことだよ」として、「竹ヲ画クニハ必ズ先ズ成竹ヲ胸中ニ得、筆ヲ執リ熟視スレバ、すなわち其ノ画カント欲スル所ノ者ヲ見ル」云々と。ようするに本物の竹を思い描いて、集中すればおのずと画題がうかびそれを描き付ければいいことだよ、というようなことを答えたのである。

 蘇東坡は、この自慢げな言葉をもじって、きっと筍をむさぼり食べて(「胸中に得て」)いるでしょうと皮肉ったのである。この逸話が「噴飯」(ふんぱん)の故事となったという。

***

春雷ノ一声  焼き筍の風流を作った祖がこの蘇東坡であり、以後、いろいろな焼き筍の詩が歌われてきたなかで、青木が引用したのが、冒頭の「春雷ノ一声」の詩であった。元末明初の時代の四傑と呼ばれた詩人の一人、楊基の「食焼筍」の七言古詩。

                   あまた たけのこ

   春雷ノ一声ニ万ノ簪玉ガ

       しんし           ほとばし ばいたい

   参差トシテ乱レ迸ル莓苔ノ緑ヨリ。

      き  きた      はきよ    こみち  

   斬リ来リ葉ヲ掃セテ逕ニ当ツテ焼ケバ

                   まめがら*           まめ

   何ゾ異ナラン萁ヲ燃シテ秋ノ菽ヲ煮ルニ。 

                     さが      たけのこ  ふと

   盤ニ登サレシ査牙タル玉版ノ肥キハ

                  さいはく     そうりゅう

   尾ヲ焼キテ砕剥セリ蒼竜ノ皮ヲ。

          おおい  くら

   山人大ニ嚼ヒシモ以テ報イルモノ無シ

      か   つづ

   写キ作ル林間ニ筍ヲ焼クノ詩。

*(まめがら・キ)=クサカンムリ+其

 タケノコを簪(かんざし)にたとえたのもきれいだが、早春のタケノコが土から顔を出すとともに一瞬のうちに成長するさまを、春雷とミダレホトバシルさまに描いた、その形容の妙にうなってしまった。

 青木は、自ら中国で経験したこの焼き筍会を、京都に戻ってからも自ら主催して、若き吉川幸次郎ら中国文学者らとなんども楽しんだことが、別の文章にも紹介されている。

2−焼き筍を鎌倉円覚寺の草庵で食う

 ながく、「春雷の一声、乱れ迸る」フレーズを思い描きながら、いつか焼き筍を食べたいと思っていたら、そのチャンスがやってきた。

*

山北町でのカジカと焼き筍体験 つきぢ田村の田村暉昭さんから取材をした、その年の5月、古東海道の矢倉沢往還を味探検で散策していたとき、山北町で知り合った山菜とキノコとり名人の山口啓一さんから孟宗筍は終わってしまったが、マダケならご馳走しましょう、「来週きなさい」というのである。山口啓一さんのことは、1999年6月3日掲載の味探検「たかみ」で書いたのでそちらを参考にしていただいて、記事では書けなかった「カジカ」と「焼き筍」のことをちょっと書こう。

 約束した5月末のある日にお宅にうかがうと、庭先にはすでに炭火の特設囲いが用意されてあって、なんと、その日の朝、丹沢の玄倉(クロクラ)川源流で獲ってきてくれた数十本ものカジカを串にさして焼いて待っていてくれた。ちょっと掘りに行きましょうといって、庭先の竹やぶのなかにマダケの筍掘りにつれていってくれた。取り立てのマダケをアルミホイルに包みそのまま炉にぶちこんで、いただいた焼き筍。孟宗筍はこの何倍もおいしいと聞かされたが、マダケでも十分においしかった。(以下、カジカの話と、翌春実現した鎌倉円覚寺の白雲庵の裏山での筍掘りと焼き筍の話は、次の機会に書こう。今日はタイムリミット。)―続く―

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