浜に生きる 11


essay,interview  がんばれ!若者漁師山口県野波瀬漁協の一年生漁師をかこんで

 

 一年生。ういういしい響きだ。ベテラン漁師にも海にでてはじめて網をあげた時があったのだ。漁業は、後継者不足、高齢化、結婚難と将来性に対する不安要素をかかえているが、ことしも頼もしい新人漁師が誕生している。

 山口県野波瀬漁協の一年生から四、五年生までの新人漁師たちに、これからの漁村をどう支えていこうかというホンネトークを紹介してみよう。ベテラン漁師も交えて「がんばれ!新人漁師たち」期待してるよ、次の時代の漁業は君たちの両腕にかかっているのだから。

  

3名の漁師志願

  山口県三隅町野波瀬(のばせ)。沖合に浮かぶ青海島(おおみじま)と小島と仙崎でかこまれた好漁場が地先に広がっている。対岸の通(かよい)には勇壮な鯨供養の祭りが現代に引き継がれている。

 野波瀬漁協は、組合員270名(うち正組合員200名)の組合であり、イワシ船びき網、まき網漁業、一本釣り、はえなわの漁船漁業からすもぐり・採貝採藻に養殖漁業まで20種以上もの多様な漁業種類が特徴である。典型的な沿岸資源依存型漁村といえよう。

 昨年から今年にかけて、山口県全体では30人近くの新人漁師が誕生した。全国平均からすれば比較的順調な就業者確保の数字を残している。

 ここ野波瀬でも、この1年に3名が漁業志願した。

 この若い漁師志願者たちを取材しようと、野波瀬にやってきた。

 

父親の背中をみていたから

 

1年生漁師、石村哲也さん24才。

大学を卒業して自らの意志で、家業のまき網漁業を継ぐために漁師の道を選んだ。

「信念があって漁師の道に入った訳じゃない。それでもおやじから家を継げというプレッシャーはとくに感じたことはなかったな。小さいころから漁師の父親の背中みていたから。」

 そばにいた哲也さんの「おやじ」(石村弘治さん)が、ひとこと「自然体だったなあ」と、うれしそうにボソッと言葉をはさんだ。「でも、本当はみいりがバッチリだったからさ。サラリーマンのことも考えたけど、サラリーマンやるより漁師のほうが手取りがいいんだ。」

 その気持ちわかるなあと、僕も納得してしまう。

 

 石村孝幸さん21歳。

孝幸さん、写真を撮るとわかると、「ちょっとまってくれ」と髪をととのえてから、「おれの場合は、一度鉄鋼関係の会社に勤めたんだが。そこの給料安くて、仕事もけっこうきつかった。」というので、一年で会社を辞め、漁師志願。

「まき網船に乗ったんだが、はじめは船酔いがひどくて仕事を覚えるどころではなかったなあ。網仕事からはいって、いまでもまだまだ大変だよ。とにかく一生懸命にやっている。そのかわり、給料も同級の連中よりはいいから、そういう面ではいい仕事だと思っている。」と孝幸さん。

 

もうやめられないよ

 

 野波瀬漁協青壮年部長の松本剛さんが、「おやじさんよろこんでいたよ。よそで仕事してから、漁業してみてどうだ。」と聞く。

「漁師はじめたら、まえの仕事がばからしくなった。一度よその仕事していると漁師の仕事との差がわかるから、もう漁師はやめられない。親父が船を新しくしてくれて、長男は漁師にはならないといっていたので、おれが会社やめたいといったときに、つらいとはなにごとか会社に迷惑かけちゃいかんといっていたけど、内心では、喜んでいたみたいだった。顔でわかった。」と孝幸さん。

 

 どうなの、漁師やってみて当てが外れたところはどこだろう、と聞いてみた。

 

「休みがほかの友達と合わない。それでも、遊びにいくときに混んでいなくていいからそれもいいよ。彼女?まだだけど、仕事が夜だし、時間が合わないからデートといってもむずかしいんだ。」と哲也さん。

「そうなんだ。時間帯がまったく違うから、土曜日の休みぐらい。」というのは孝幸さん。

 それでも、孝幸さんは「漁があればみんなふっとんじまう。おもしろい。網にがーっと魚がたまったときなんかは、いいですよ。漁がなくてがっくりということはもちろんあるけど、なんで網だけあげるのに漁師やっているのかなんて思う。」

 

母親思いなんだなー

 

 漁協事務所に集まってきてくれた若者漁師たちは10名近く。土曜のいっせい休漁日に、三隅町の各地の漁協から8チームが集まってのソフトボール大会が開催された。監督が松本青年部長。勝敗は、逆転がちでもぎ取った1勝(1敗)がきいて8チーム中第3位の成績。

 野球場から車で漁協事務所に集合してくれた。

 

上田美樹雄さん22才。

3年生漁師である。「親父とじいちゃんとでイワシ棒受け網と定置しているが、じいちゃんが働けなくなってからは、自分ががんばろうと思って、下関の漁業会社やめて船に乗った。」

 

 内田義久さん27歳。

「高校卒業して、長崎の水産会社に入ったが、以西底曳網の減船整理で会社の規模縮小とともにこっちに戻ってきた。漁をやめていた親父が、それを機に二人で延縄やろうと、新船建造して始めた。今年で五年だ。親子船だね。タイはえなわは結構収入上がり、長崎時代とは雲泥の差だ。」

 

 宮本剛さん29才。

「18から家のイワシ船びきあみと定置やって、もう10年になる。そのころに比べると若い仲間の漁師が増えた感じだな。」

 

 みんなすらっとしていい男ばかりだ。レーサータイプ、貴の花タイプと「いよー」と声をかけたいぐらい。

 

 北村善治さん30歳は、漁協の自営養殖事業担当。「宮本君と同級なんだ。嫁さん募集中!漁協に勤めたのは、おふくろの苦労みて育ってきたから、給料とりの道を選んだ。」(「母親おもいやなー」と声がかかる。)

「長男だったこともあります。父親が内航船で家にほとんどいたことがなかったので、仕方なく家の近くで漁業の道を選びたいと思って」という。ハマチと、タイとイシダイを養殖している。

 

 藤野和浩さん、水産高校を卒業して北村さんと組んで漁協の養殖事業を担当している。町外から、漁協に就職して10年になる。

 

足手まといにはならないぞ

 

「まだ一年で、自分の仕事はほとんどお荷物状態なんで、ほんと漁業について他の船と比較しながら考えていくまでにはいかない。それでも、山口にはまき網漁業が七船団あるんですが、やはり一流といわれるような火船とか運搬船の操船とかすごいなーと思うよ。勉強、勉強学校のときよりずっとおもしろいと思うようになってきたんだ。」

と石村哲也さん。

 

「おれだって一年目は、もう仕事覚えるのに必死で、どうやっていたのか覚えていないくらいだ。今年で四年目になったが、三年目ぐらいかな、親父からぼろくそいわれなくなったのは。何もいわれなくても自分からできるようになった。上達してんだよ。うちの自慢は、乗組員がすごく若いんだ。それだけ競争が激しいから、頑張って他の船より網揚げも、魚の陸揚げもずっと早い。四年目になったからか、漁師というのは、頑張りがいがある仕事というのがちょっとわかってきたんだ。」と哲也さんにむかって上田美樹雄さんが兄貴分といったはなしっぷりだ。

 

ただいまお嫁さん募集中

 

 若手のリーダー格の宮崎定治さんは37歳。15年のイワシ船ひき網と小型そこびきのベテラン漁師だ。親父の羽振りをみながらそだってきた。いまでは、かえって経営の厳しさほうが頭を悩ませている。乗組員の確保と高齢化が大変だといい、船びきあみの場合は七〇近い平均年齢になっている。

 

 石津新一郎さん、38才。「定置網と壷網をやっているが、他の業種に取り組もうという若い人がいても、許可制の枠組みのなかでは無理というのはおかしい。定置なら定置で一生おわり、底びきならずっと底びきという選択肢が限られているなかでは、本当の意味で漁村に若い人の時代がこないのではないか。」

 

 だんだんと議論が進んできて、ポツンと、隣にいた野波瀬の貴様といわれる宮本剛さんが「そうはいってもやっぱり嫁さん募集中なんだよ」とぼそっというのが聞こえた。 哲也さんも、「ほんとに女性と交流する時間もないものなー」。「女ならおれにまかせろ」と強気の孝幸さん発言。

 剛さん「おれは、そとに遊びに出て行くのも好きではないし、どうもなあ。」

 30歳以下で既婚者は一人だけというから、将来の沿岸漁業の最大のネックがこんなところに浮き彫りにされてきた感じだ。

 

全国漁青連の顧問でもある石村弘治さんが、オブザーバー役として発言をもとめる。

「これからの青年部活動の最大のポイントは、実は若い女性たちたちとの交流の場作りなんだが、漁師はこれがどうも苦手でな。ボーリング大会も何回かやったが、男同士こっちで固まり、女性どうしで話をするだけでうまくいかない。淡路島の沼島の夢じゃないが、テレビやPRの力を借りてでもなんとかしなけりゃいかんなあ。せっかく毎年若い連中が漁業を選んでくれて、Uターン組みも出てきているのに、こういううれしい動きに水をさしてしまう。なんとか、漁業はもうかる仕事なんだということをストレートに女性たちに理解してもらう手立てを考えるのがわれわれサイドの役目だとは思うんだ。組合と青年部会それに婦人部の力の見せ所といえそうだね。」

 青年部会長の松本剛さんも、「漁船漁業から潜水業者もいれて、一年通して切れ目なく収入源を得られる地区なんだが。前向きに漁業一本でいこうとよそより考えている地区だから、これが若い人の定着につながっているんだと思うよ。だけどな、……」という。松本さんの息子が高校三年生、進学か漁師を継ぐかまだ決めかねているらしいのである。松本さんは、息子さんに漁業の道をえらんでほしいというのがその顔にあらわれていた。

 

●頑張れ若者漁師たち

 

 一年生の夢と希望のインタビューは、いつの間にか、漁村の重層的な問題がわき出てきてしまった。

 漁業センサスでは、後継者のいる割合は、沿岸漁船漁業のばあい全国平均で約1割そこそこまできているのが現状である。年齢階層別の漁業就業者の比率で見てみても、全国平均で30歳代以下の漁業者は、この10年で5ポイント近く減少し、全体の2割をきってしまっているのだ。

 野波瀬地区には、こんなにパワフルな若者達が村をリードしていこうとしているではないか。哲也さんも孝幸さんも今年で二年目に入ろうとしている。

 頑張れ新人漁師たち。活気を作り出そうとする20代、30代の若い漁師たちの稼ぎへの意欲には、追い風が必ず吹いていくだろう。(JF共水連・機関誌『暮らしと共済』bX0。1995年11月号掲載) (MANA)

 


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