浜に生きる 5 


essay,interview

単独無寄港世界一周を達成したヨットマン 白石鉱次郎さん

 

176日と4時間の青春

 

 

 白石鉱次郎。君には肩書きも敬称もいらない。コージロー。すがすがしい一人のヨットマンが、単独無寄港世界一周を達成した。
 1994年3月28日、静岡県松崎の港に帰ってきた。前年の10月3日出港以来、地球をぐるっと一周。178日と3時間59分、4万6115キロ。

  青春の夢を追いかけて冬の旅

 海を走り抜けた時間と距離、たったひとりっきりの洋上で浮かんだ句だ。
 26歳のゴールは、単独無寄港に、もうひとつ史上最年少が加わった。フランス人アラン・ゴディエが6年前に作った最年少記録を塗り替えたのである。ス ピリット・オブ・ユーコー、彼の師匠・多田雄幸氏の名前をつけた艇のなかでは、西田ひかるの「涙止まらない」をかけ、円生の落語を聞き、俳句を詠む。
 三崎水産高校を卒業。小学校、中学時代から海の男にあこがれ、船乗りになることを決めていたという。国立大学付属中学のときには迷わず水産高校への進路を自分で決めた。
 「水産高校は楽しくて、もう寝ずに勉強した、好きなエンジンのこと、ボイラーのこと、冷凍機でなぜものが冷えるのか。もう趣味の世界に没頭した」
 コージローは高校時代、免許という免許を取りまくった。冷凍機、ボイラー、クレーン、などなど。
 「こんなすばらしい学校ないと思った。先生方は皆エンジニアのプロ。水産高校はスペシャリストを育てるところだから、自分で目的もって選んだものにとっては格好の修業の場なんだ」
 コージローにとっては、水産高校は自分が子供のころから毎月思い続けた海へのあこがれを実現させてくれる、基礎教育の現場だった。海の厳しさをたたき込んでくれる修業の場となった。
 「今回の成功は、ぼくが水産高校でマグロ船に乗って、ハワイ沖でへどの出るような実習をやったからこそできたものだとおもうよ。漁師になったつもりで釣り上げたでかいマグロを自分の手で一時間もかかって引きあげるんだ。ぼくはヨットマンでもあるけど、漁師の気持ちも分かる。シーマンシップを水産高校でたたき込まれた」

 すごいことをやったという冒険男の風はみじんもない。若さに満ちあふれた青年からでてくる言葉にしては地味すぎるくらいだ。顔もいいし、こいつは女にもてる、もちろん男もすいよせられそうだ。
 「176日のことをよく聞かれるんですが、ぼくとしてはあまり航海中のことは覚えていない。それまでの7年、8年があっての176日。こんどの計画も2回失敗して、グアムからひきかえしてきた。これ以上つらいことなかった。苦労というか、現実の積み重ねが夢につながっていく。目的をもてば耐え切れるんだ。一文もない人間がね、ほんとにひとさまの好意で、拾ってもらって。文無しのぼくを助けてもらって。皆さん世界一周のこと、半年間のことをいいますが、ぼくにとってはスタートするまでのことが一番でかいことだったんです。あとは、自然に挑戦とか、征服なんてものじゃなくて、自然にうまく乗ることができるかどうかだけです」
 『白石鉱次郎一七六日の航跡』(文芸春秋・ナンバービデオ)のなかで、失敗で引き返すときに苦しんで嗚咽するコージローの姿にこそ、彼の冒険家とし、海の男としての真骨頂があった。
MANA

――全国共済水産業協同組合連合会機関紙『暮らしと共済』1995.85掲載

TOP



HOME    海BACK  浜に生きるINDEX   次▼

 


copyright 2001〜2004,manabook-m.nakajima 

siraisiko-jiro,siraisikoujirou,misakisuisankoukou,

suisankoukou,